「ドイツ再統一後、28年の無念の日々をひっそり孤独に耐え続けた中年男の死」希望の灯り 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)
ドイツ再統一後、28年の無念の日々をひっそり孤独に耐え続けた中年男の死
ベルリンの壁崩壊の翌1990年10月に東西ドイツは再統一するが、政治的な祝賀ムードとは正反対に経済的には大きな混乱を来して長い不況に突入する。
特に旧東側では国営企業が民営化されて次々に倒産し、失業者が増加。その煽りで移民排斥の動きやネオナチの復活が見られるなど、経済的な格差から社会不安が醸成されているという。
本作の舞台は再統一後28年を経た2018年のライプツィヒにある巨大スーパーである。ここも東ドイツ時代は運送トラック会社だったが、再統一後にスーパーに業態変更を迫られ、ドライバーたちはスーパー店員となった。
そこに新たに採用されたのが建設業をクビになった主人公。首や腕、背中に刺青があり、少年犯罪で2年刑務所暮らしをした経歴の持ち主だが、周囲と同調する能力はあるし、仕事も真面目なために、職員に好かれて信頼を得ていく。好意をもった女性職員から自分も好かれるのはいいが、彼女は既婚者で、すぐに何かが起こるとは考えられない。
その環境の中で、彼はフォークリフトの運転資格を苦労しながら取得したり、職場での貧しいクリスマスイブのパーティでさきの女性と寄り添ったり、暴力夫が原因で彼女が休職したり等々のささやかな出来事の後、ある夜、上司のベテラン職員宅に招かれ、暗く狭い部屋で2人で酒を酌み交わす。
酔ったベテラン職員は東ドイツ時代を懐旧して、「あの頃はトラックを飛ばして、いい時代だった。今やトラックの代わりにフォークリフトの運転だ」と、無念の気持ちを吐露する。
翌日、出勤した主人公は先輩から「あいつはもう来ない。今日からお前が責任者だ」と告げられる。理由を尋ねると、「昨夜、自殺した」というではないか。しかも本人は妻と一緒に暮らしていると話し、周囲もそう思っていたが、実際は再統一後の長い年月を、たったひとりで暗く狭い部屋で過ごしてきたのだ。恐らくは28年間、ずっと無念の気持ちを抱きながら。
葬儀の日、かつてのドライバー仲間だったスーパーの同僚たちや、主人公や件の女性は一緒に参列し、無言で死者を見送る。
ここにどのような希望の灯があるのか、小生にはわからない。ただ、再統一後の地方都市でひっそりと無念の28年を過ごした中年男性と、自らそれに終止符を打った心中に思いを馳せるだけである。
東ドイツ時代を懐かしむことをノスタルジーならぬ「オスタルギー」と呼ぶらしい。2007年にドイツで行われた世論調査によると、東西分断時代の頃の方が良かったという回答が19%に上った。
あの自殺したスーパー店員と同様の人々は、ドイツにどれほどいるのかと想像せざるを得ない。本作は何ら政治的主張も体制へのプロテストも、社会的な訴えかけもせず、ただ中年スーパー店員の自殺を投げ出しただけだ。しかし、そこに無言の政治的な訴えを読み取れるような気がする。メルケルにそれが読み取れたか、少々疑問だが。