「大量消費時代の終わりに」希望の灯り masakingさんの映画レビュー(感想・評価)
大量消費時代の終わりに
旧東ドイツ領内にある巨大な会員制スーパーマーケットが舞台である。
天井に届かんとする陳列棚いっぱいに並べられた品々。
どこか暗さを感じる店内。まばらな買い物客。
廃棄処分となった食品を貪る従業員たち。
資本主義に凌駕されつつも、夢のような生活を送れると信じたが、
結局、持つ者と持たざる者との乗り越えがたい断絶に打ちひしがれた人々が、
かつて培った連帯感の残滓を求めて避難したシェルターのようだ。
彼らは、スーパーマーケットに集い、共に働く。
スーパーマーケットこそが本当の家庭で、職場の仲間こそが本当の家族だと信じている。
虚飾まみれの家庭に、旧体制の瓦解を知らない世代の若者クリスティアンが仲間入りする。
体に刻まれた後ろめたい過去の名残である刺青を、制服の襟や袖で隠すようにして着替えるクリスティアン。
彼のルーティンが板についた頃、事情は異なれど職場以外に居場所がないという共通点からか、クリスティアンと古参の従業員たちの心がつながり合う。
上司のブルーノ宅で酒を酌み交わしたあとの帰り道の情景が美しくも哀しい。
大きな通りを大量消費の象徴然とした大型トラックが連なって駆け抜ける。
その脇を、そのトラックが運ぶものの恩恵に決して浴することのないクリスティアンがとぼとぼと歩いて帰途に着く。
その頃、かつてはそのトラックの運転手をしていたブルーノは、自宅で人生における決定的な決断を実行に移していたのだ。
クリスティアンが心を寄せる人妻マリオンとの、プラトニックな恋愛関係が清々しくも痛々しい。
エンディングで二人が聴く波音は、クリスティアンがマリオンの自宅で見た作りかけのパズルに描かれた海辺の音ではなかったか。
決して訪れることができないであろう彼の地のイメージを、寄り添いながらフォークリフトで共有する二人の後ろ姿に、タイトルとなっている「希望の灯」を見出すことは、正直できなかった。
あのスーパーマーケットもまた永遠ではないからだ。
あそこに集う彼らが、いつかほかの居場所を見出すことはできるのだろうか。
大量消費時代に終焉が訪れようとするいまと重なって、彼らの姿が淡く滲んで見えた。