縄文にハマる人々のレビュー・感想・評価
全3件を表示
褒める人ばかり・・
ハマった人たちとして26人の学者、研究者、アーティストが登場、46ヶ所を越える全国の遺跡や博物館を巡る、縄文文化探究の集大成ともいえるドキュメント。
ただ、残念ながら学術的な要素より趣向的な惚れ込みを語る人が多く、新たな発見、驚きには至りませんでした。
印象を語るなら、生活の器に精緻で芸術的な装飾を施した火焔土器や宇宙人かと見紛う遮光器土偶を初めて見た時の驚きがよみがえってきます。
古代人って凄い、縄文に限らず古代エジプト文明の遺産を含めて、ホモサピエンスが生き残り、栄えてきた理由がつくづくわかったような気がします。
我が高校の世界史の教師がそう言う人だった。縄文文化を優しい話で解釈...
我が高校の世界史の教師がそう言う人だった。縄文文化を優しい話で解釈していなかった。当該映画でも語っているアイヌ文化や琉球文化やネイティブアメリカンやアボリジニの文化どの類似性と、彼らに対するナショナリズムの鼓舞であった。しかし、その恩師との出会いの前に僕は『コンチキ号の冒険』と言う実験漂流のノンフィクションを小学校5年生の時に読んで、日本の海洋文化に純粋にハマっていた。所が、そこへかなり偏った考えを持った教師との出合いが重なってしまったのだ。その頃は反ベトナム戦争や黒人の公民権運動の広がりがあって、アメリカンサブカルチャー運動へと発展する中、日本でもその動きは割と浸透していた。だから、僕も違和感なくその考え方に同調したと記憶する。だがしかし、ある事件がその終わりを告げた。若い人達には想いもつかない事件があったのだ。残念な事だが結果として、その行為が日本の古来のナショナリズムを抹消してしまったと僕は定義付けている。
それはさておき、縄文の紋様を理解しがたいとしているが、スラブ系のキリスト教文化であるイコン文化を考えて見れば分かると思う。つまり、絵は全て記号として表されている。その流れが縄文にもあろうかと思う。ユダヤ、イスラム、キリストの様に偶像崇拝を否定的にとらえている宗教感がある。僕は縄文文化も似たような所があったような気がする。そこへ大陸からの文化が渡来する。六世紀には偶像崇拝そのものの仏教まで伝来する。同じ様な文化は南米、メキシコの文化にもあって理解しがたい文化になってしまっている。要は神様の捉え方が今とは全然違う。そこに理解しがたい壁を生んでいると僕は断言する。
縄文時代のシンボル性、勢い。
「縄文」といのは、作物栽培が始まる前の狩猟の時代で、「弥生」から見れば、単純に前の時代と言えなくもない。
しかし、出土した土偶や焼き物を見ると、シンボル性が強く、勢いがあり、独特の特徴を備えている。
縄文時代への関心は高まった。
全3件を表示