嵐電のレビュー・感想・評価
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幻想と日常の淡いを走る路面電車
3組の男女の恋愛模様を、嵐電を舞台に幻想的に描いた秀作。画面の構図などに素人っぽさが見え隠れするが、力みすぎず脱力しすぎず、日常の出来事と幻想的な世界との往還がバランス良く構成されていて終始心地よい。
何が表現したかったのか?私には不明~
《お知らせ》
「星のナターシャ」です。
うっかり、自分のアカウントにログインできない状態にしていまいました。(バカ)
前のアカウントの削除や取り消しもできないので、
これからは「星のナターシャnova」
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千年の都、京都の民家の軒先に触れそうな場所を走る嵐電。
千年の都には異世界の「あやかし」的な何かが
今でも闊歩してても決して不思議でない気がするよね〜
でも、この映画、ちょっとそこのところが中途半端な気がする。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
映画の後半、地元の人たちが撮った嵐電の昔の姿を
みんなで鑑賞するシーンがある。
あそこに出てきた人達は、リアルにあの映像を撮影した人や
自分の親族が撮影した映像を提供した人達だろうと思う。
そこだけは何となく本物っぽく思えた。
嵐電が街の人々の生活に溶け込んでる感じを描きたいのか?
嵐電と京都の風景が醸し出す異世界感を描きたいのか?
その融合なのか?
それとも、人の縁の不思議を描きたかったのか?
どうもイマイチ、私には掴みきれなかった〜
@もう一度観るなら?
「地上波テレビで良いかも〜」
京都タワーは京都のシンボル
唐突な台詞の言い方が舞台の様な感じがした。三つのstoryがそれぞれ愛していた人の過去のことを思い出す。嵐電を通して。キツネとタヌキの迷信を繋げて。さいごは歌まで歌っているところは正しく舞台です。
井浦新が稲垣五郎の様に思えたのは声が似ているから。
嵐電という結界の中で。
支持。
嵐電という結界の中で時間と現実なる呪縛が人知れずほぐれて僅かに成長する人々。
ここに不在の人は既に亡き人とするかの喪失感。
大林宣彦に倣いつつ、より上品に仕上げた良質なファンタジー。
劇場で見ねばだった。
悪い人が出てこない映画
見終わった感想は、タイトルにつきるかな。最初のミュージカル風なセリフ?歌声?からファンタジーなんだなと思い、そういう目線で観ることができました。
嵐電江ノ電地元の方、嵐電江ノ電好きな方には素晴らしい映画だろうと思います。
井浦新さんが最初に登場するシーンが流石の雰囲気で早くもこの映画のピークでした。
狐と狸の夫婦漫才は自然で楽しく、東北弁を巧みに操る高校生?が出るシーンは演劇的な作りで映画の流れがいちいち止まってしまうし方言を素晴らしく使いこなせてて凄いのですが、方言全然わからない!て部分もありました。滑舌悪いのか?もしくはこちらの耳がわるいのか?そういう伝わらなさ、言葉や振る舞いの差異を感じさせるのも意図したことなのかもしれません。8ミリカメラで嵐電を追う男の子が、好きなものを撮影していたはずなのに撮影したものを好きになってると取り乱す部分、最初そういうことあるなと思ったんですが、思い直して、
今の世の中全体がそういうふうに無意識に無批判無検討に流されてばかりなんじゃないか、と、気になりました。目につくものを好きに慣らされてないか、好きと誤魔化したり誤魔化されてないかと。
とにかく悪い人が出てこない映画(=違和感)だけど皆勝手に生きて勝手に自分の気持ちを押し付けようとしてる。してないフリの人も然り。悪い人いないし悪いこともしてないけどみんな独りよがり。そのことに自覚的なのは人ではなく2つと狸の夫婦だけ、いうことで。
京都好き、嵐電好きな方におすすめです。
コロナ禍で自宅で鑑賞。
大好きな京都に行かれないので
京都好き、嵐電好き、井浦新さん大好きな私にとっては
この時期にうれしい映画でした。
嵐山や広隆寺に行くために
嵐電を利用しましたが、
地元の方が多く利用していて
のんびり乗車して
京都に住んでいるような気分を味わうことができる
電車でした。
嵐電が好きで好きでたまらない方が
撮った映画なのではないのでしょうか。
京都慕情
あの人の姿懐かしい
黄昏の河原町・・・
いつも読んで頂きありがとうございます。
さて京都についてはこれまでも書いてきましたが、まだ書き足りません。京都マニアは勿論、スーパースター寺(金閣寺、銀閣寺、清水寺、二条城)も好きなんですが観光客がさほど行かない神社仏閣も好きなんですよ。
例えば六角堂(紫雲山 頂法寺)です。森見登美彦の有頂天家族にも登場するへそ石で有名な寺です。所在地は京都の中心部、新京極からほど近い場所です。さほど大きい寺では有りません。北側に半径約10メートルの池が有り、その向こうには華道裏千家池坊の総本山。全面ガラス張りです。
そしてその小さな池に白鳥が四羽。えっ?白鳥?そうです白鳥です。綺麗だね。なるほどね。視点を変えると生け花の向こうに白鳥。今風に言うと【ばえる】って言うのかな?
所々に立て札がある。【触ると白鳥が怒って噛みつきます。】
( ̄O ̄;)えっ?なに?見ためは綺麗だけど凶悪なんだね。子供を泣かしてきたんだね。さらに四羽の白鳥を観察してると、微かな違和感。あれ?片方の脚を尾の上に置いている。片脚だけしか使わない。ダラダラしてるよ、
よく影で努力する事を比喩で、白鳥は水面下で必死で脚を動かしているって言うけど、それは嘘だった!単純に凶悪でやる気がない奴だ!
どうも異常に高く評価されている。なにが白鳥の湖だよ!超美人だけれど超性格が悪い女だ。名前は出さないが。
なんかグループサウンズの曲にもしょっちゅう出てくる気がするぞ。買い被りすぎだ。おっと、白鳥の悪口を言い過ぎた。悪口は言わない主義だからね。一応謝っておく。
すわん すわん❗️
くだらないよ❗️駄洒落かよ❗️
遠い日の愛の残り火が
燃えてる 嵐山・・・
はい。毒にも薬にもならない枕が終わりました。すいません。もうこの先は読まないでいいです。
本作は嵐電界隈を舞台にしたファンタジー映画です。恋愛要素もあり、バックステージ要素もあり分類するのも難しいです。
中年の平岡衛星(井浦新)、斗麻子(安倍聡子)二十歳前後の小倉嘉子(大西礼芳)と吉田譜雨(金井活人)中三の有村子午線(石田健太)と北角南天(窪瀬環)の三組の恋模様が、嵐電を舞台に描かれます。
よく言うと独創的、悪く言うとひとりよがり。
意味がわからない所が有ります。と言う事は勝手に解釈するのも自由だと思います。
まあ群像劇なのですが主役は一応、井浦新でしょう。平岡(井浦新)はスマホを使っていますので現在の話です。かたや中3の子午線くんは嵐電ヲタクです。常に嵐電の動画の撮影をしています。但しスーパー8でです。何故?
平岡は作家で嵐電にまつわる不思議なエピソードを求めて一人でアパートを借ります。途中で奥さんと固定電話で話すシーンが有り、カメラが左に動くと、そこに奥さんが伏せています。
えっ?なんで?そこにいるの?(コメンタリーではトビー・フーパー監督のポルターガイストを参考にしたらしい)
中三チームは平岡夫妻の過去の姿なのではないのでしょうか?平岡衛星は現在は江ノ電沿線に住んでいます。生粋のトラム好きなのでしょう。そして言いづらいのですが・・・奥さんは冥府の住人ではないのでしょうか。過去の思い出を辿る為に嵐電沿線に来たと思います。狐と狸の掛け合いがきっかけで現在と過去が交錯するのでしょう。
あくまで私見です。解釈は自由ですので。
桜散る散る 嵐山
何も言わずに別れて
あなたはどこに
また中身の無いレビューになりました。読んで頂きありがとうございました。1日でも早く我が愛する京都に観光客が戻るのを祈って。
結婚・オブ・ザ・デッド
いまいち映画にのめり込めなかったのは、井浦新の妻役である安倍聡子が母親なんじゃないかと勘違いしてしまったため。実年齢でも10歳くらい上なので、キャスティングミスのような気がしてならない。
内容は3組の恋愛ストーリーではあるけど、その結末は観客に委ねられるという手法。嵐電・帷子ノ辻駅の様子はとても良くて、電車内の何気ない風景が乗ったことがなくても親しみを感じられる。狐と狸のエピソードも笑うに笑えない幻想的なカットだけど、この他にも幽体離脱みたいなシーンが多く、どことなく大林宜彦作品に似ていると感じました。
劇中劇でもある“結婚・オブ・ザ・デッド”はもっと見たくなるのですが、もしかして『カメラを止めるな!』を意識したのだろうか、序盤だけだったのが残念だった。結局、3組の恋愛劇も京都の嵐山地区に溶け込んでしまい、消え去りそうな雰囲気で気持ちよく終わるかと思ったら、あがた森魚の音楽がちょっと残念。まだ音楽やってたんですね・・・「赤色エレジー」だけでいいよ。
【”帷子の辻”の恋と妖。不思議な魅力に満ちた作品。】
冒頭、夜中のどこかの嵐電駅の踏切が映る。
謳うように流れて来る男女の声
”最終電車が行ってしまったねえ”
”これからは私たちの時間ねえ”
ー京都のミニシアターで鑑賞した際、前情報なしだったので”京都造形芸術大学の映画好きの学生さん達が製作した映画だと思っていた・・。(大きく間違ってはいなかった・・)ー
キネマ・キッチンで働く人付き合いが少し苦手な”かこ”(大西礼芳:今作では特に印象が強く残った女優さん。)と東京から来た若手俳優”ふう”さん(金井浩人)の嵐電界隈でのぎこちない恋愛や
鉄道の不思議を調べて作品にしている”えいせい”さん(井浦新)とつれあい?の女性との関係性、
修学旅行生と思われる”なんてん”さんと地元の”8ミリカメラ鉄っちゃん”の学生さんとの不思議な関係が、
狐と狸の嵐電駅員さん達を狂言回しとしながら描かれる。
序盤は、”帷子の辻の傍には、上手い京都中華屋があるんだよねえ”
とか、 ”キネマ・キッチンじゃない! あの付近にも安くて美味いうどん屋があるんだよなあ”
とか、 ”嵐電沿線のアパートって、風呂付で月三万なの?借りようかなあ・・。”
などと、おバカな事を思いながら、楽しく観賞。
だが、”かこ”と”ふう”さんが『驛室御』の改札前で交わす遣り取り(ここのシーンはとても良いと思う。)から、妖も登場する物語の中に引き込まれて行った。
そして、冒頭で流れた妖の声が再び流れ・・。
ラストで流れたあがた森魚の曲調も映画に合っており、満足した作品。
<2019年6月8日 京都シネマにて鑑賞 今にして思えば、単館でスタートした映画が良くぞ広まったモノだと感じるとともに、京都は矢張り映画の街であるのだなあ、という事を再認識した作品。>
■蛇足 この後、嵐電に乗って帷子の辻の京都中華屋に行き、広隆寺に参拝したことは言うまでもない。
未知との遭遇
映画鑑賞歴50年以上経っていますので、どんな種類の映画でもある程度カテゴライズ出来る自信があり、それを含んで鑑賞出来るという自信もあります。
それでも時として、思いがけずそれが出来ない作品に出合ってしまう時があり、本作などもどう捉えて良いのか分からず、DVDなので何度も何度も挫折して観るのを止めようとしましたが、取り合えず我慢して最後まで鑑賞しました。
しかし、我慢したからと言って何かを発見できたか?という事もなく、作り手の思いと表現がここまで鑑賞者に対する思いに繋がらない作品も珍しいのではないのかという思いだけが残った作品でしたね。しかし、こういう思いに至ること自体が私にとっては稀有な経験なので、そういう意味では貴重な体験だったのかも知れません。
何故この作品を借りたかと言うと、今年のキネ旬邦画ベストの9位だったからですが、この作品を高評価された方々も多くいたという事で、まだまだ私に欠落している感性があるのだろうなという気がしました。恐らく一生分からず終いに終わってしまう部分なのかも知れませんが…
映像は小説より奇なり
終始チープで見るに堪えないけれど、ストーリーは謎めいていて面白いと思った。
冒頭、嵐電といえば?で、お化け列車の話が出てくるように、この映画はすべてその怪奇的な背景があるのだろう。駅の名前の不思議な成り立ちや、狐とたぬきなど、オカルト的な要素をわかった上で見ないと、作者の意図は掴めないんだろうな。
3つの恋が合わさる物語なだけに、それぞれにメリハリを付けて表現してほしいし、説明もないので理解に苦しむ。観客に考えさせるにしても、もう少し説明が欲しいものだ。
何故に井浦新は不思議な物語を追う?それは妻をなくしたからでは無いのか。であればもっと切羽詰まった演技が欲しいし、
俳優と女優ごっこする女の子は立場が違う事を理解していながらも夢見るところ、最後は消えてなくなる。
修学旅行生は、そもそもなぜ男子と知り合い?引っ越したの?にしても方言がすごいしな…難しい。
人生は演劇だ〜的なセリフがあって、それが全てなのかも知れないが、にしても嵐電と絡める意味は?
嵐電の進行方向やラッピング、駅名の由来、色んな要素はあるんだろうけど、嵐電にこだわる理由をいちばん知りたかった。
京都には魔物が住んでいる。
人の過去、今、未来を縦横に掌る魔物がいる。
だから町かどにはお地蔵さまが設置され、特に子供を守っている。ガキの頃に近所の爺さんがそんなことを語っていた。
この映画を観て、そんな話を思い出した。
ラブストーリーなんだこの映画は…。
男と女は違う。食べるものも考え方も感性も。その隙間に魔物は取り入り絶望を与えようと目論む。
だから、嵐電には簡単に乗らぬ方が良い。
愛し合うものどうしであれば、尚更だ。
線路を歩くのが良い。御室から嵐山まで歩くのが良い。
嵐電は魔物が動かす電車。
気を付けなさい。
そんなことを僕に語りかけてくれたこの映画は最高だ。
レビューの評価が0から5まで大きく割れてるのが非常に興味深い。 「...
レビューの評価が0から5まで大きく割れてるのが非常に興味深い。
「そんなひどいか?」とも思うし、
「そんなにええか?」とも思うので、
きっちり3点にしときます。
確かに「学生の作った自主製作」レベルというのは否定しない。
ただ、私自身が京都に近いところの出身なので、
方言への懐かしさと、方言が持つ温かみで、
ひいき目に観てしまったかもしれない。
あ、それから、舞台挨拶を観てから映画を鑑賞したので
「あの人たちが一生懸命演じてるんや」という
思い入れもプラスされとります。
途中で出ました・・・
京都出身ですが、あまりの駄作に、いたたまれなくなって1時間ほどで映画館を出ました。途中で出るなんて、めったにしません。学芸会以下の出来。京都の舞台と市電を使ったら、もっといいものが作れるはず。井浦さんはもちろんのこと、大西さんだって、他の作品ではもっとずっといい演技をされていた。もったいない・・・。残念です。
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