劇場公開日 2018年12月7日

「トンデモホラーの内に潜む、“人間の持つ二面性”の恐怖」来る 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 トンデモホラーの内に潜む、“人間の持つ二面性”の恐怖

2025年11月8日
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鑑賞方法:VOD

怖い

興奮

【イントロダクション】
澤村伊智によるホラー小説『ぼぎわんが、来る』を原作に、岡田准一主演で映画化。
怪奇現象に悩まされるサラリーマンからの依頼を受けたオカルトライターが、正体不明の訪問者である「何か」と対峙する事になる。
監督・脚本は『嫌われ松子の一生』(2006)、告白(2010)の中島哲也。その他脚本に、岩井秀人、門間宣裕。

【ストーリー】
かつて幼き日に、田原秀樹は仲良くしていた女の子から「何かに連れて行かれる」という話を聞かされる。そして、「アレ」はいずれ秀樹の事も狙うという。何故なら、彼は嘘吐きだからである。

やがて、成長した秀樹(妻夫木聡)は、婚約者の香奈(黒木華)を連れて親族の13回忌の為に帰省する。母親による片親育ちで、その母親とも良好な関係を築けていなかった香奈は、田舎特有の親族同士の密接な付き合いに困惑する。しかし、秀樹からの愛を受け、香奈は彼との結婚を決意し、2人は盛大な披露宴を上げる。式には秀樹の友人達も多数参加し、その中には秀樹が特に親しくしている津田大吾(青木崇高)の姿もあった。

新婚生活後まもなく、香奈の妊娠が発覚し、秀樹は幸せの絶頂に至る。彼は子育ての様子をブログで発信する事にし、小さなアパートから目の前に公園のある高級マンションに移り住む。そんなある日、勤務中の秀樹の元に謎の来客が訪れたと部下の高梨から聞かされる。訪問客は「チサに用がある」と要件を告げたと言うが、秀樹には心当たりがなく、また「チサ」という名前は、誰にも告げていなかった生まれてくる娘に付ける予定の名前だった。
会社の玄関ゲートにやって来た秀樹だったが、訪問客の姿は見当たらない。後を追ってやって来た高梨に訪問客の特徴を尋ねるが、高梨は自分でも不自然に感じる程にその姿を記憶していなかった。すると、高梨の左肩甲骨の辺りに謎の傷が発生し、現場は悲鳴に包まれる。幸い大事には至らなかった高梨だったが、医者も原因不明だという。

そして、田原家に待望の第一子である知紗が誕生する。その感動をブログに綴る秀樹。幾日かの休みを経て、会社に復帰した秀樹だったが、高梨の姿が見当たらない。実は、高梨は秀樹が休んでいる間に症状が悪化して入院生活を余儀なくされていたのだ。見舞いに訪れる秀樹に、高梨はずっとひた隠しにしてきた本音を吐露する。やがて、高梨は死に至る。

2年後、ブログも好調でパパ友仲間から崇拝されている秀樹は有頂天になっていた。しかし、ブログで綴られる華々しく幸せに満ちた子育て生活とは裏腹に、香奈は育児ノイローゼに陥って家事を放棄しており、部屋にはゴミが散乱し、台所のシンクには洗い物が溢れていた。
不意に眠りに落ちる秀樹。夢の中で、幼い姿の秀樹は田舎の自宅玄関にて、知紗を求める「アレ」の訪問を見る。目を覚ますと、知紗も「アレ」が自らを求めてやって来たと告げる。
不安に駆られた秀樹は、津田に相談し、彼の紹介でオカルトライターの野崎(岡田准一)と出会う。冷めた態度の野崎に連れられ、秀樹達はキャバクラ勤めの霊能者、真琴(小松奈々)を紹介されるが。

【感想】
公開当時のX(旧Twitter)での反応や、その後の本作の扱われ方から、“トンデモホラー映画”という認識でおり、2つの意味で「怖いもの見たさ」で鑑賞した。

なるほど、確かに心霊的なホラー演出やオチを期待すると肩透かしを食らうかもしれない。しかし、本作で描かれている「恐怖」とは、霊的な恐怖以上に「人間の二面性の恐怖」だったのではないかと思う。「霊的な怖さ」と「人的な怖さ(所謂:人怖〈ヒトコワ〉)」を一緒くたにする描き方には賛否が分かれそうだが、その描き方にも私は「賛」の立場である。
「何が霊的な干渉によるもので、何が人の闇によるものかが分からない怖さ」という、恐怖の詳細、境界線を曖昧にした描き方は、最終的には「結局、全ては人が生み出した怖さ」に帰結すると思うからだ。そう捉えると、本作は中々に怖い作品だと言えるし、豪華俳優陣の熱演も相まって楽しめる一作だった。

オープニング映像に、『ドラゴンタトゥーの女』(2011)もといデヴィッド・フィンチャー監督作を彷彿とさせる凝った映像を用いる様子は非常に好みである。

また、物語を3章仕立てで構成し、それぞれの章ごとの主人公の視点で全体像が浮かび上がっていく描き方も興味深かった。
第1章は田原秀樹の視点、第2章は田原香奈の視点、そして、第3章でようやく主演の岡田准一演じる野崎和浩の視点で全ての決着が描かれる。

惜しむらくは、台詞(特に野崎)をボソボソ声で語らせる演技指導のせいで、何を言っているのか聞き取れない箇所が度々あり、結局字幕表示で鑑賞する事になってしまった点だ。

【第1章:田原秀樹の視点】
サラリーマンとして順調なキャリアを築き、社内で人気者(表向きは)として君臨している彼は、他の登場人物から語られる過去の女性遍歴からは正反対の香奈と結婚する。
秀樹の友人女性達の「地味じゃね?」「意外だよね。秀樹がああいうの選ぶのって」という台詞があるが、まさしく、散々派手に遊び回った女垂らしの男性が、身を固めようとして従順で誠実そうな女性をパートナーに選ぶというのはあるあるである。

知紗の誕生後、立ち上げたブログサイトで理想的なイクメンパパの優雅な日常を綴っていく。しかし、それは自分の描いた理想のストーリーに家族を巻き込んで当て嵌めていく“家族ごっこ”に過ぎない。虚飾で塗り固められた日々は、見方によっては途轍もなく不気味に映る。

やがて、ブログで理想の家族生活を発信する事が生き甲斐になっていた、まさに幼少期の「アンタ、嘘吐きやから」という台詞の通りな秀樹は、「アレ」に命を狙われる。やがて、かつてTVを騒がせた霊能者の逢坂セツ子(柴田理恵)や、真琴の姉・琴子(松たか子)の助力虚しく、秀樹は「アレ」によって下半身を奪われて、自宅のリビングにて無惨な姿で息を引き取る。

ところで、秀樹の会社の同僚で、彼に少なからず好意を寄せていた(高梨の話によると、以前に手を出した可能性がある)美咲の存在は何だったのだろうか。秀樹に捨てられた腹いせか、新居パーティーで家賃の値段を知っていると発言して場を沈黙させたり、後日津田とデートした事を報告して彼の嫉妬心を煽りたかったのであろうか。彼女も謂わば、人間の持つニ面性の恐ろしさを体現する1人だったのだろうか。

【第2章:田原香奈の視点】
1年後。秀樹の死後、香奈はかつてのようにスーパーでパート店員として勤務し、シングルマザーとして幼い知紗を育てなければならない生活にウンザリしていた。
秀樹の理想を最優先にした空虚な夫婦生活と育児生活の裏で、香奈は次第に精神を磨耗させていた。

やがて、香奈にも「アレ」の影響が見え始め、とうとう知紗の面倒を真琴に押し付け、自分の好き勝手に生きるようになってしまう。不倫関係にあった津田の元を訪れ、身体を重ねる。しかし、遂に香奈も「アレ」の餌食となってしまう。

秀樹のハリボテのイクメンっぷりに耐えかねて暴れ回り、隠蔽する為に「アレ」の仕業に見せかけた香奈の姿は、悲しくはありつつも恐ろしく感じた。

【第3章:野崎和浩の視点】
知紗を守ろうとして、重症を負ってしまった真琴。彼女の病室を訪れた野崎の前に、真琴の姉・琴子が現れる。琴子は秀樹のマンションに「アレ」を呼び寄せて祓うため、全国各地から有力なユタや霊媒師、神主達を呼び寄せる。しかし、「アレ」の力は予想以上に強大であり、半数が辿り着く前に命を落とした。
琴子は警察の協力まで取り付け、マンションの住民をガス漏れ事故を理由に退去させ、祓いの儀式の舞台を整えさせる。

最終章だけあって、これまでの要素が一気に集約し、クライマックス感のある展開を見せる。
野崎のキャラクター性が、前2章の主人公や比嘉姉妹と比べると弱く感じられてしまうのは残念だが、恋人との間に出来た子供を堕させている過去は、「アレ」の正体と相まって興味深かった(詳しくは後述)。

また、津田の本性も恐ろしい。秀樹から香奈を奪う事を目的に、彼女に優しく接して篭絡し、秀樹の遺影の隣に魔導符を仕掛ける。香奈と身体を重ね合わせた瞬間の背中の夥しい傷から、彼もまた「それ」の影響下にある事は明らかだが、その根底には彼の邪悪な本性があるのは間違いない。

【超豪華俳優が“来る”!その中でも一際輝く女性キャスト陣】
本作は、とにかく豪華女優陣の演じる女性キャラクターの魅力が炸裂しており、それぞれが演技力の高さから抜群の存在感を放っている。

小松奈々演じる真琴は、姉である琴子への憧れから独力で霊能力を獲得し、ピンク髪とパンクファッション、タトゥーと、およそ霊能力者とは思えない出立ちをしている。また、見た目だけでは演じているのが小松奈々だと思えない程だ。しかし、粗暴な見た目に反して根は優しく子供好きであり、それが度々知紗の窮地を救い、結果的に彼女を救う事になる。

対する松たか子演じる琴子の出立ちは、左眼に負った傷をサングラスで隠し、整えられた黒髪ロングに黒づくめの姿と、一つの典型的な霊媒師らしい姿をしている。落ち着いた声のトーンで淡々と事態を説明し、冷静な判断を下す姿に、「最強の霊能力」としての格を感じさせる。

そんな個性豊かな霊媒師姉妹に負けず劣らずな活躍と存在感を示すのが、柴田理恵演じる逢坂セツ子だ。公開当時ネットでも話題となり、芸人「春とヒコーキ」による『バキ童チャンネル』でも度々話題に上がるのだが、なるほど真似したくなるのも分かる魅力的なキャラクターだ。また、普段バラエティ番組に出演している柴田理恵の姿が印象的な私としては、彼女がこれほどまでに抑えたトーンと個性的なキャラクターを演じている事に驚かされた。

「痛いですか?生きているということは痛いということです。傷が付き、血も流れます」

未だ自らの死を認識出来ずにいる秀樹の霊を成仏させる際の、拝借した野崎のナイフを彼の手の甲に突き立てる際のこの台詞が素晴らしかった。

【「アレ」の正体とは】
作中、秀樹の田舎の親族が子供を躾ける為の怖い話として、「ぼぎわん」とその名を語る。また、津田は民俗学者の立場から妖怪の仕業と考察する。
調べると、原作では「ぼぎわん」とは宣教師が伝えた「ブギーマン(欧米の民間伝承に登場する妖精、もしくは怪物)」の発音が訛って伝わったものだと語られているそう。また、作者の澤村伊智によると、「アレ」の正体そのものが重要なのではなく、「人々に恐れられている」という恐怖そのもの。「誰がどんな反応をしたか」を重要視しているそうで、詰まるところ、自由な解釈も可能という事である。

しかし、映画版ではある程度その存在を絞れるヒントが散りばめられている。それは、「望まれずに生まれてしまった子供達、生まれてきたかった子供達、そうした複数の魂の集合体」なのではないかという事を匂わせている。
大昔から、日本では望まれず生まれた幼い命を殺して捨て、その行為は「子返し」と呼ばれてきた。
そんな「アレ」、いや彼らは、言わば人間の持つ「生きたい」という思いそのものなのではないかと思うのだ。そう考えると、その存在は何とも哀しい。

【総評】
前評判から受けた印象とは違い、トンデモ要素の中にも確かな「恐怖」が伺える作品だった。それはまさしく、「人間の持つ怖さ」に他ならない。人間の二面性とは、斯くも恐ろしいものかと痛感させられた。
そして、豪華俳優陣の熱演と、個性豊かで魅力的なキャラクター達が作品を更に盛り上げてくれていた。

琴子が無事なのか、野崎と真琴はこれから知紗とどう生きていくのか、そうした要素を清々しく投げたアッサリ目なラストも、本作ならば許してしまえるから不思議である。

緋里阿 純
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