半世界のレビュー・感想・評価
全133件中、41~60件目を表示
山間に、海鳴りに、身をゆだねるような映画
人は、迷い、出会い、それぞれの思いーわかり合うお互いの世界と、認め合う世界と、それでもわかり合えない、認めがたい世界ーを抱えながら、心の中でもがきながら、孤独と折り合いをつけながら、生きていく。
にも拘わらず、そんな小さな人の想いには揺るがされずに、ただ、山は、海は、空はそこにある。
そんな映画。
中途半端な自分。
それでいて、今見ている世界がすべてだと思ってしまう自分。
でも、私の知らないところで世界は動き、その世界には想像もつかない暮らしと、自分と同じような暮らしがあって…。
そんな世界の総てを見てきたつもりでも、故郷でたんたんと行われてきた世界すら知らない。知らないのだけれど、昔から知っている仲間もいて、でも、その仲間のもつ世界でさえ、知っていると言えるのか…。
否、仲間どころか、生活をともにしている人のことだって、知っているその人の世界と、その人のもつ知らない内面世界があって…。
「我考えるゆえに我あり」それがすべてであり、すべてではない。
いつだって、自分の見ている世界の”総て”は半分の世界。
幼馴染三人が関わり合うことによって、自分がこうであると決めつけている世界とは違う世界が広がっていることが露呈してくる。
長谷川氏が演じる瑛介が、家の中にこもっているさまが見事。これから、”何か”が起こる予感がビシバシと漂ってきて、背筋がぞくぞくしてきた。
けれども、映画全体の雰囲気のかじ取りは、瑛介の設定は残しつつも、迷走する。
瑛介がこれから背負っていかなければいけない重荷。
光彦が直面している、限界集落が抱え込まされたグローバル的でもありうる社会問題や、家族のこと。
紘が直面している、事業に関するグローバル的な社会問題や、家族のこと。
そして若い世代が直面する、いつの時代にもありつつも、今社会の注目を集めている問題と、自立・仲間のこと。
と、イシューを散りばめすぎて、拡散していく。
39歳ともなれば、思春期のように自分のことだけ考えていればいいわけじゃないということを言いたいのか。
「男40(歳)にして惑わず」と言ったのは、遥か彼方昔のこと。
そして…。
たしかに、それぞれの半世界が描かれていて、不協和音を奏でるかと思うと、調和的になり、でもしっくりいかずに、パズルははまらないまま。
紘も、瑛介も、光彦も、悩んでいる風に描かれるが、さわりだけ。問題の提示だけ。
もっと内面の葛藤を深めてほしかった。
炭づくりの炎が何度も映し出されて印象深いが、その炎で葛藤を代弁させているつもりなのだろうか。
そして、そのまま、静かに、観客にその世界観をゆだねて幕を閉じるのかと思うと、終盤、いきなり、泣かせに入る。
世の無常を言いたかったのか。
あっけにとられつつも、池脇さんと、杉田君といじめのボスがいい演技をしてくれて、天気も花を添えてくれて、感動したような気持ちで終わる。
でも、ふと、振り返ると、何だったのかなあと思ってしまう。
監督の想いのたくさん詰まった映画。
こだわって作り出した場面は、たくさんあるのだが(ティーチインの質疑応答にて)。
もう少し、寝かせて、煮詰めてくれたら、監督が私たちに伝えたいことがインパクトを伴って伝わってきて、心に残る映画になったんじゃないか、なんて、偉そうにも思ってしまう。
どこか、監督の迷いの森を一緒に彷徨っているような、そんな感覚に陥る。
そんな地味で、静かな映画。
一度鑑賞すれば十分と思う反面、
ロケ地や炭小屋の雰囲気を味わいたくて、この映画に帰ってきてしまいそうだ。
東京国際映画祭にて鑑賞。
おりしも、六本木ヒルズアリーナで上映されていたのは『ビッグウェンズデー』。こちらも男三人の物語。見事な起承転結でわかり易い映画。
青春と中年の違いかと興味深かった。
色んな解釈ができるかも?
選んで良かった
「俺も頑張るから」
映画のむずかしさ
稲垣吾郎の半分によせて
色々な世界の半分を対比させながら描かれているが、何故主役が稲垣吾郎なのか?と考えてみた。
聞くところによると、この作品は彼の為に監督自ら当て書きされたらしいので。
途中何度か炭を焼きながら瞑想に耽る場面があるが炭同士のあたる美しい音色の効果音と共になんとも神秘的で印象深い場面である。
そんな神秘的な雰囲気はそのまま稲垣吾郎のパブリックイメージにも良く似合う。
ある時の瞑想は木々が伐採された急斜面を必死で登って行き、上の方から下界やそこに広がる美しい大海原などの景色を気持ち良さそうに眺めているが…
=芸能界、アイドルグループとして必死で登りつめ、ふと振り返って見てみると何とも眺めも良く感慨深くもあり、大海原の果て自分の見ている世界のその先には何があるのかと下界(外界)に思いを馳せている様にも見える。
ぼーっと景色を眺めながら、ただ漠然とこのままSMAPとしての日々が続いていくのだろうと思っている感じだ。
またある時の瞑想では深い森、薮の中に迷い込んだ様に佇んでおり、上からの木漏れ日を見上げていたり…
=ある時から解散騒動に巻き込まれて、気付けば周りは抜け出せそうにない深い森、だが見上げれば仄かに光もさしている…真相は依然藪の中だが。
そして虫の息の時の最期の瞑想では同じく深いモノクロームの森の中で佇んでいたかと思うと、急に糸の切れた人形の様に体が崩れ…その瞬間身体が奥深い所から赤々と炭の様に燃え出しモノクロームの世界の中に赤い炎が広がっていく。
死を前にしているにもかかわらず生命力に溢れる場面。
=突然糸を切られた様に終わりを迎えた主人公
=突然何らかの理由で終わってしまったSMAP…だが現実の世界ではこれで終わりではなく彼自身は生きているし何かしら活動はしていくのである。
むしろ伐採された木の様にここで一旦木としての成長は止まったとしても燃やされて炭に生まれ変わる事によってまた別の世界=半世界が広がり、思いもよらない世界が訪れるかもしれないという…
これは彼へ監督からの希望に満ちた期待が込められてると感じる。
現世界の稲垣吾郎も既に炭の様に静かだが赤々と燃え出しているのではないか。
上記の様に映画の中では主人公の鉱と現実の稲垣吾郎を覚醒と瞑想として行ったり来たりしているがこれも半分ずつで半世界というタイトルに掛かっているのだろうか。
映画を観た人の感想で上がっている様に稲垣吾郎だけが独特の浮遊感を保ちながら存在していて、町の人として溶け込んでいる様で何処か浮いていると私も思う。
それは当たり前だ。
登場人物の鉱は浮いていないのだが、半分の稲垣吾郎が浮いているのである。
それは彼がヘタとかいう次元ではなくて、登場人物の中で彼だけが町の人としての鉱と現実のスター稲垣吾郎の両方を無意識のうちに演じているからに他ならない。
想像以上に素晴らしい作品
かっこ悪い毎日をがんばりましょう
正三角形の点ABC、
それぞれ辺AB = BC = AC。
三角の角度と内角の和は常に不変であった。
たえ難い汗、こらえ切れない涙が出る時は励まし合って、
いつも質量保存の法則は保っていた。
あたりまえのように、永遠に続くと思っていた定理もいつのまにか、
気付かないうちに崩れていた。
現実に押し流されて、負けてもいい、投げ出してもいい、
逃げ出せばいい、実は定理は永遠に不変なんだと信じ抜く事、
それが一番大事。
でも
みんなで唄う時は、負けない事、逃げ出さない事・・・それが大事。
ひとりで唄う時は、負けてもいい、逃げ出してもいい・・・どこかにだれかがいるって信じ抜くこと、それが一番大事。
かっこいいゴールなんてさあっというまにおしまい。
空は青い僕らはみんな生きている。
かっこ悪い毎日をがんばりましょう。
稲垣吾郎のファンです
長谷川博己さん、稲垣吾郎さんの演技が絶妙
池脇千鶴がすっかりいい歳の母親役がハマるようになっていたことに感動...
愛情が溢れてこぼれ落ちた
全133件中、41~60件目を表示