「山間に、海鳴りに、身をゆだねるような映画」半世界 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
山間に、海鳴りに、身をゆだねるような映画
人は、迷い、出会い、それぞれの思いーわかり合うお互いの世界と、認め合う世界と、それでもわかり合えない、認めがたい世界ーを抱えながら、心の中でもがきながら、孤独と折り合いをつけながら、生きていく。
にも拘わらず、そんな小さな人の想いには揺るがされずに、ただ、山は、海は、空はそこにある。
そんな映画。
中途半端な自分。
それでいて、今見ている世界がすべてだと思ってしまう自分。
でも、私の知らないところで世界は動き、その世界には想像もつかない暮らしと、自分と同じような暮らしがあって…。
そんな世界の総てを見てきたつもりでも、故郷でたんたんと行われてきた世界すら知らない。知らないのだけれど、昔から知っている仲間もいて、でも、その仲間のもつ世界でさえ、知っていると言えるのか…。
否、仲間どころか、生活をともにしている人のことだって、知っているその人の世界と、その人のもつ知らない内面世界があって…。
「我考えるゆえに我あり」それがすべてであり、すべてではない。
いつだって、自分の見ている世界の”総て”は半分の世界。
幼馴染三人が関わり合うことによって、自分がこうであると決めつけている世界とは違う世界が広がっていることが露呈してくる。
長谷川氏が演じる瑛介が、家の中にこもっているさまが見事。これから、”何か”が起こる予感がビシバシと漂ってきて、背筋がぞくぞくしてきた。
けれども、映画全体の雰囲気のかじ取りは、瑛介の設定は残しつつも、迷走する。
瑛介がこれから背負っていかなければいけない重荷。
光彦が直面している、限界集落が抱え込まされたグローバル的でもありうる社会問題や、家族のこと。
紘が直面している、事業に関するグローバル的な社会問題や、家族のこと。
そして若い世代が直面する、いつの時代にもありつつも、今社会の注目を集めている問題と、自立・仲間のこと。
と、イシューを散りばめすぎて、拡散していく。
39歳ともなれば、思春期のように自分のことだけ考えていればいいわけじゃないということを言いたいのか。
「男40(歳)にして惑わず」と言ったのは、遥か彼方昔のこと。
そして…。
たしかに、それぞれの半世界が描かれていて、不協和音を奏でるかと思うと、調和的になり、でもしっくりいかずに、パズルははまらないまま。
紘も、瑛介も、光彦も、悩んでいる風に描かれるが、さわりだけ。問題の提示だけ。
もっと内面の葛藤を深めてほしかった。
炭づくりの炎が何度も映し出されて印象深いが、その炎で葛藤を代弁させているつもりなのだろうか。
そして、そのまま、静かに、観客にその世界観をゆだねて幕を閉じるのかと思うと、終盤、いきなり、泣かせに入る。
世の無常を言いたかったのか。
あっけにとられつつも、池脇さんと、杉田君といじめのボスがいい演技をしてくれて、天気も花を添えてくれて、感動したような気持ちで終わる。
でも、ふと、振り返ると、何だったのかなあと思ってしまう。
監督の想いのたくさん詰まった映画。
こだわって作り出した場面は、たくさんあるのだが(ティーチインの質疑応答にて)。
もう少し、寝かせて、煮詰めてくれたら、監督が私たちに伝えたいことがインパクトを伴って伝わってきて、心に残る映画になったんじゃないか、なんて、偉そうにも思ってしまう。
どこか、監督の迷いの森を一緒に彷徨っているような、そんな感覚に陥る。
そんな地味で、静かな映画。
一度鑑賞すれば十分と思う反面、
ロケ地や炭小屋の雰囲気を味わいたくて、この映画に帰ってきてしまいそうだ。
東京国際映画祭にて鑑賞。
おりしも、六本木ヒルズアリーナで上映されていたのは『ビッグウェンズデー』。こちらも男三人の物語。見事な起承転結でわかり易い映画。
青春と中年の違いかと興味深かった。