劇場公開日 2019年2月15日

「山間に、海鳴りに、身をゆだねるような映画」半世界 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0 山間に、海鳴りに、身をゆだねるような映画

2019年4月27日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

単純

難しい

癒される

こちらがわとあちらがわ
鑑賞後に予告を見ると、胸の奥が苦しくなる。

人は、迷い、出会い、それぞれの思いーわかり合うお互いの世界と、認め合う世界と、それでもわかり合えない、認めがたい世界ーを抱えながら、心の中でもがきながら、孤独と折り合いをつけながら、生きていく。
 にも拘わらず、そんな小さな人の想いには揺るがされずに、ただ、山は、海は、空はそこにある。
 そんな映画。

中途半端な自分。
 それでいて、今見ている世界がすべてだと思ってしまう自分。
 でも、私の知らないところで世界は動き、その世界には想像もつかない暮らしと、自分と同じような暮らしがあって…。
 そんな世界の総てを見てきたつもりでも、故郷でたんたんと行われてきた世界すら知らない。知らないのだけれど、昔から知っている仲間もいて、でも、その仲間のもつ世界でさえ、知っていると言えるのか…。
 否、仲間どころか、生活をともにしている人のことだって、知っているその人の世界と、その人のもつ知らない内面世界があって…。
 「我考えるゆえに我あり」それがすべてであり、すべてではない。

 いつだって、自分の見ている世界の”総て”は半分の世界。
 幼馴染三人が関わり合うことによって、自分がこうであると決めつけている世界とは違う世界が広がっていることが露呈してくる。

「熱愛中の恋人であっても男と女の間には、深い溝が存在する」とよく言われる。
同じ時間と空間を共有した幼馴染であっても、
同じ時間と空間を共有している同じ学校に通う者であっても、
親子であっても…。
あちらがわと、こちらがわ。
越えられない溝もある。
意を決して行動した結果、意外に簡単に越えられた壁もある。

”死”と対峙してきたもの。
毎日の営みを、粛々と行っているもの。
大きな世界で戦ってきたもの、小さな世界で戦っているもの。
どちらの方が大変でとか、価値があるとか、優劣をつけられるわけはないのに、己の中にある苦しさが優劣をつけたくなる。「俺だってなぁ」

自分が見てきたもの、見ているとおもっているもの。
相手が見てきたもの、見ているとおもっているもの。
様々な世界が、それぞれの中にあり、交錯する。
外の世界にも、心の中の世界にも。
”知っている”と思っている世界、目をそらしている世界。知らない世界。
周りは知っているのに、自分はわかっていない自分(ジョハリの窓)。

長谷川氏が演じる瑛介が、家の中にこもっているさまが見事。これから、”何か”が起こる予感がビシバシと漂ってきて、背筋がぞくぞくしてきた。

けれども、映画全体の雰囲気のかじ取りは、瑛介の設定は残しつつも、迷走する。
 瑛介がこれから背負っていかなければいけない重荷。
 光彦が直面している、限界集落が抱え込まされたグローバル的でもありうる社会問題や、家族のこと。
 紘が直面している、事業に関するグローバル的な社会問題や、家族のこと。
 そして若い世代が直面する、いつの時代にもありつつも、今社会の注目を集めている問題と、自立・仲間のこと。
 と、イシューを散りばめすぎて、拡散していく。

39歳ともなれば、思春期のように自分のことだけ考えていればいいわけじゃないということを言いたいのか。
「男40(歳)にして惑わず」と言ったのは、遥か彼方昔のこと。
そして…。

「人生、思い描いたようになっていますか?」
翻弄される運命。その中での選択。意思を持ってした選択。選択したつもりなくした選択。

たしかに、それぞれの半世界が描かれていて、不協和音を奏でるかと思うと、調和的になり、でもしっくりいかずに、パズルははまらないまま。

たんたんとした地味な映画。
地味な映画にしては、エピソードのふり幅は大きい。
エピソードはとっちらかっているのに、予定調和に見える不思議さ。
作りこまれた設定、画。

紘も、瑛介も、光彦も、悩んでいる風に描かれるが、さわりだけ。問題の提示だけ。
 もっと内面の葛藤を深めてほしかった。
 炭づくりの炎が何度も映し出されて印象深いが、その炎で葛藤を代弁させているつもりなのだろうか。

中年3人の群像劇に、中学生のエピソードが並走する(明を演じた役者が好演している)。
 『大鹿村騒動記』のような名優がびしっと決めてくれるような演技はないが、”中年”になりたての中途半端さはよく出ている。

そして、そのまま、静かに、観客にその世界観をゆだねて幕を閉じるのかと思うと、終盤、いきなり、泣かせに入る。
 世の無常を言いたかったのか。
 あっけにとられつつも、池脇さんと、杉田君といじめのボスがいい演技をしてくれて、天気も花を添えてくれて、感動したような気持ちで終わる。

でも、ふと、振り返ると、何だったのかなあと思ってしまう。
 監督の想いのたくさん詰まった映画。
 こだわって作り出した場面は、たくさんあるのだが(ティーチインの質疑応答にて)。
 もう少し、寝かせて、煮詰めてくれたら、監督が私たちに伝えたいことがインパクトを伴って伝わってきて、心に残る映画になったんじゃないか、なんて、偉そうにも思ってしまう。
 どこか、監督の迷いの森を一緒に彷徨っているような、そんな感覚に陥る。
 そんな地味で、静かな映画。

一度鑑賞すれば十分と思う反面、
ロケ地や炭小屋の雰囲気を味わいたくて、この映画に帰ってきてしまいそうだ。

東京国際映画祭にて鑑賞。
 おりしも、六本木ヒルズアリーナで上映されていたのは『ビッグウェンズデー』。こちらも男三人の物語。見事な起承転結でわかり易い映画。
 青春と中年の違いかと興味深かった。

 失礼ながら、多分、稲垣氏が主演じゃなかったら、観客賞受賞どころか、映画祭への出品もされたのだろうかと思うような映画。

 舞台挨拶や、鑑賞後のQ&Aでの監督の言葉を伺って、わかったようなわからないような。
 その説明と映画がマッチしているような、マッチしていないような。
 つかみどころのない不思議な感覚。
 描きたいことにはなんとなく共感するのだけれど、ストレートには伝わってこない(私の感性が鈍いだけか?)。
 監督が「好きになってくれる人と、そうでない人が分かれる」とおっしゃるのも納得。
 この映画の世界観にはまる人もいるが、「たいくつ」と思う人もいるだろう。 (東京国際映画祭コンペティション部門のメンドーサ審査委員長のコメントに同感)
 いっそのこと、映画の題名や監督のコメントを切り離して、予告で想像した物語で鑑賞した方が腑に落ちる。

たんたんと繰り広げられる日常。
その中に突然入りこむ”死”ー瑛介と紘。
そして、また続く日常。
この世界の空間にひと時でも身を置いて、人生を考えてみるのも必要かもしれない。

(2025.7.21補記)

とみいじょん
きりんさんのコメント
2025年7月21日

ぼそぼそとつぶやくような、とみいじょんさんの素敵なレビュー。読ませていただきました。
まるで炭焼き窯の前での独り言のようでもありますが、
この映画にはそういう言葉を引き出す力があった気がします。

僕としては、あまり期待していなかっただけに、余計に心に響くものがありましたね。

きりん
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