生きてるだけで、愛。のレビュー・感想・評価
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良くも悪くも本谷有希子の世界
前半キツい、なんでこんなのを見続けにゃいかんのだ、と思ったけども、ハンガーのメモみて一瞬いい顔をするところあたりからだんだん引き込まれていった。結果、自分は本谷有希子の世界がほんとに嫌いなんだとわかったほどに、キャラクターとセリフなんかが既視感ではあるけども、これはその世界をかなりいい感じに映画化できた作品なんだと思った。
〔上手〕よりも〔まとも〕がいい。
共感
過去の私を見ているようだった
とても良かった。
予告を見て気になっていて一人映画。ずっと見に来たいと思っていてこれて良かったです。
今まで見た映画の中で一二を争うくらい良かったです。引き込まれました。
主人公の何をやってもうまくいかない感じであったり、人と近づきたいのにどうしていいかわからず自分でぶっ壊してしまうところだったりが自分と重なり、映画館で号泣してしまいました。
自分でももうなんで怒ってるのか分からない。でもそうやって何かを確認したいんだろうなぁ。
自分も落ち込んでいるときだったので痛いほどわかり、この映画を見て救われました。言葉にしづらい感覚を映像として見せられた気がします。この映画を分からない人とは分かり合えないなと思いました。好みは分かれるのかもなぁ。
とてもよかったです。
女性は精神疾患なのでしょうが、それを放置したまま 改善しようともせ...
強く、痛みのように。
曇り、雨のち晴れ、そして
生きてるだけで、ほんと疲れる。
ほんとにそんな風に思ってた時もあったな。
だから、週末が早く来ないか。週末になったら、自分は姿を消すことができるのだから。ところが土曜日になると、朝起きられない。起きる力が出ない。起きようという意識はあるのだが、まだ、時間はある。まだ午前中じゃないか、とかごまかしていた。そんな週末が続いた。
だけど、ヤスコはハッピーなんじゃないか?
だって、わけがわからなくなると、「壊す」「怒鳴る」「走り出す」ことができるのだから。自分の場合、深く沈んでいた。
力が出ない。慣性の法則はなんとかクリアしていたけど。
ただ人の目はとても気になった。「あいつ、なんてダメなやつなんだ」と思われているだろうと」いう意識が働いていた。
なんとも苦しかった。誰とも話したくない。話してもろくな話にはならないよ、あなたにとって無駄な時間になっちゃうよと。
それが、ある日、突然、晴れの日がきた。
人と話している、軽いジョークを交えてる。
そんな自分に気がつく。なんとも穏やかな気分。
視線を空に向ける。すると風が頬をなでた。いい気持ちだった。
なぜ、そうなったかはわからない。
でも晴れの日は来るのだ。
曇りや雨が続いたのだが、晴れの日もやって来るのだ。
自分が動いたのではないけれど、地球は回っているから、自分を含め、なにかが動いたと言えるのでは、と思う。
また、雨や曇りがくるだろう。少しこわい気がする。そんな時、自分がどうなるかはわからない。それでも、また晴れる日が来るってことだけはわかった気がする。
ヤスコはそれを一瞬だと言った。一瞬でも分かち合えればいいと言った。
その一瞬が長く続くことを祈っている。
深い曇りや激しい雨があるから、晴れの日はより美しいのだと思う。
期待値は超えず
そんな距離感ありえない、そう頭は冷えているのに、ぐぐぐって引き込ま...
まわる人生のステージ
下田逸郎の「踊り子」という歌に、
♪まわる人生のステージで踊るあなたの手ふるえてきれいね♪
という一節がある。この映画を観て、その歌を思い出した。大ヒットした村下孝蔵の「踊り子」と同じタイトルだったから、忘れないでいる。
本作品はなかなか理解しがたい作品だが、下田逸郎の歌詞をヒントにするとスッと納得できる気がする。主人公の寧子は、ドストエフスキーの「地下室の手記」の主人公さながら、自意識が高すぎて人と相容れない。中島敦の「山月記」の主人公も同じように自意識が高かった。本作品は、そういう主人公が社会と折り合いをつけようとする姿を衒いなく描く。「まわる人生のステージで踊る」のである。そして一緒に住む菅田将暉の津奈木は「あなたの手ふるえてきれいね」と思うのだ。
寧子を演じた趣里はいい演技をしたと思う。その台詞は非常に文学的で、それゆえに非日常的で極限的な表現になる。一般生活を営む感覚では理解できないだろう。そのために一般社会との付き合いが非常に困難になる。その辺りを理解することが本作品を読み解く鍵になる。
同じように自意識が高くて他人と衝突してばかりいた詩人の中原中也は「憔悴」という詩の中で次のように書いている。
さてどうすれば利するだらうか、とか
どうすれば哂(わら)はれないですむだらうか、とかと
要するに人を相手の思惑に
明けくれすぐす、世の人々よ、
僕はあなたがたの心も尤もと感じ
一生懸命郷に従つてもみたのだが
今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに
寧子には一般社会の人々が考えるような幸せは訪れないだろうし、それを幸せと感じることもないだろう。しかし利益や外聞ばかりを気にして生きている人たちの幸せが本当の幸せと言えるのか。引っ張ったゴムのように無理をして社会に合わせようとした寧子は、そのうちにまた自分に帰っていく。それしか彼女の生き方はないのだ。それを否定しないところにこの映画の素晴らしさがある。
目が離せない。
・・・・したらと思わす
鬱
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