生きてるだけで、愛。のレビュー・感想・評価
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良くも悪くも本谷有希子の世界
前半キツい、なんでこんなのを見続けにゃいかんのだ、と思ったけども、ハンガーのメモみて一瞬いい顔をするところあたりからだんだん引き込まれていった。結果、自分は本谷有希子の世界がほんとに嫌いなんだとわかったほどに、キャラクターとセリフなんかが既視感ではあるけども、これはその世界をかなりいい感じに映画化できた作品なんだと思った。
〔上手〕よりも〔まとも〕がいい。
上手に生きていて仕事もできて美人の元カノよりも、
まともに生きようと必死でもんどりうって朝も起きれない主人公に寄り添う男。
〔上手〕よりも〔まとも〕がいい。
バブル期や高度成長期の上手が一番の価値観よりも、まともに生きる方がいいという価値観が共有されつつある現代の方がまともな人にとっては恵まれた時代に生きているとも解釈できる内容。
生きてるだけで、愛。上映中
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共感
主人公の寧子に共感する部分が多々有りました。
他の人と感じ方に差を感じる、云いたいことが理解して貰えないとか。
夢中になって見いってしまい気持ち悪くなってしまった。
趣里さんと菅田将暉くんの演技がとても良くて、見て良かった。
趣里さんは、見るたびに演技が上手になっていきますね。
次回作も期待しています。
過去の私を見ているようだった
まるで10年前の私を見ているようだった。
泣いてわめきちらし、かと思うとケラケラ笑ってたり、奇声あげてジタバタしたり。
夜中に線路の前に何時間も立っていたり。
壊れてた私。
でも、抜け出そうと、必死だった。
壊れた私のそばに旦那がいたように
そばにいる津奈木は奇跡だ。
あの全てを包みこむ優しさは
この世に生きてていい意味を教えてくれる。
わかりあえたのなんてほんの一瞬だろうけど、
私達はその一瞬一瞬の積み重ねで生きている
とても良かった。
予告を見て気になっていて一人映画。ずっと見に来たいと思っていてこれて良かったです。
今まで見た映画の中で一二を争うくらい良かったです。引き込まれました。
主人公の何をやってもうまくいかない感じであったり、人と近づきたいのにどうしていいかわからず自分でぶっ壊してしまうところだったりが自分と重なり、映画館で号泣してしまいました。
自分でももうなんで怒ってるのか分からない。でもそうやって何かを確認したいんだろうなぁ。
自分も落ち込んでいるときだったので痛いほどわかり、この映画を見て救われました。言葉にしづらい感覚を映像として見せられた気がします。この映画を分からない人とは分かり合えないなと思いました。好みは分かれるのかもなぁ。
とてもよかったです。
女性は精神疾患なのでしょうが、それを放置したまま 改善しようともせ...
女性は精神疾患なのでしょうが、それを放置したまま 改善しようともせず 甘えていると思ってしまう。彼女を擁護する意見が多く、作品評価も良いが、私はただ甘えているとしか思えない。彼女を囲む周りの人たちの優しさには暖かいなあと思いますが
強く、痛みのように。
生きていくには必ず周りのひとと付き合わなければならないし、それには一般的で順応できる水準が必要なのか?
達せずに溺れもがくような彼女、自ら堕ちる彼。純粋に強く生きてる。痛みそのもののように。
その体の中の血を感じるほど熱い。
曇り、雨のち晴れ、そして
生きてるだけで、ほんと疲れる。
ほんとにそんな風に思ってた時もあったな。
だから、週末が早く来ないか。週末になったら、自分は姿を消すことができるのだから。ところが土曜日になると、朝起きられない。起きる力が出ない。起きようという意識はあるのだが、まだ、時間はある。まだ午前中じゃないか、とかごまかしていた。そんな週末が続いた。
だけど、ヤスコはハッピーなんじゃないか?
だって、わけがわからなくなると、「壊す」「怒鳴る」「走り出す」ことができるのだから。自分の場合、深く沈んでいた。
力が出ない。慣性の法則はなんとかクリアしていたけど。
ただ人の目はとても気になった。「あいつ、なんてダメなやつなんだ」と思われているだろうと」いう意識が働いていた。
なんとも苦しかった。誰とも話したくない。話してもろくな話にはならないよ、あなたにとって無駄な時間になっちゃうよと。
それが、ある日、突然、晴れの日がきた。
人と話している、軽いジョークを交えてる。
そんな自分に気がつく。なんとも穏やかな気分。
視線を空に向ける。すると風が頬をなでた。いい気持ちだった。
なぜ、そうなったかはわからない。
でも晴れの日は来るのだ。
曇りや雨が続いたのだが、晴れの日もやって来るのだ。
自分が動いたのではないけれど、地球は回っているから、自分を含め、なにかが動いたと言えるのでは、と思う。
また、雨や曇りがくるだろう。少しこわい気がする。そんな時、自分がどうなるかはわからない。それでも、また晴れる日が来るってことだけはわかった気がする。
ヤスコはそれを一瞬だと言った。一瞬でも分かち合えればいいと言った。
その一瞬が長く続くことを祈っている。
深い曇りや激しい雨があるから、晴れの日はより美しいのだと思う。
期待値は超えず
私は私と別れられない。
彼もまた彼と別れられない。
それは誰もが感じる劣等感なのだろうか…
関根光才ならではの映像美
フィルムならではの質感も相まって、役者陣の芝居を盛り上げていたが、、、
なんだろう、イマイチ刺さらなかったなぁ
良い言い方をすれば、一瞬の輝きを掬い取りたくなる映画
悪い言い方をすれば、ただのメンヘラのめんどくさい慰め合いの映画
ただ、抑えきれない衝動を綺麗なものがまた観たかったと静観していたツナキが一歩寄り添う瞬間はたしかに愛があったし、彼らが生きてる時間なんだろうなと。
見れて良かったシーンではあった。
そんな距離感ありえない、そう頭は冷えているのに、ぐぐぐって引き込ま...
そんな距離感ありえない、そう頭は冷えているのに、ぐぐぐって引き込まれる瞬間があった。
ペースを乱される事は本当に嫌だと思って見ているのに、知らない間に泣いていたのは、もしかしたら紙一重だからかもしれない。
まわる人生のステージ
下田逸郎の「踊り子」という歌に、
♪まわる人生のステージで踊るあなたの手ふるえてきれいね♪
という一節がある。この映画を観て、その歌を思い出した。大ヒットした村下孝蔵の「踊り子」と同じタイトルだったから、忘れないでいる。
本作品はなかなか理解しがたい作品だが、下田逸郎の歌詞をヒントにするとスッと納得できる気がする。主人公の寧子は、ドストエフスキーの「地下室の手記」の主人公さながら、自意識が高すぎて人と相容れない。中島敦の「山月記」の主人公も同じように自意識が高かった。本作品は、そういう主人公が社会と折り合いをつけようとする姿を衒いなく描く。「まわる人生のステージで踊る」のである。そして一緒に住む菅田将暉の津奈木は「あなたの手ふるえてきれいね」と思うのだ。
寧子を演じた趣里はいい演技をしたと思う。その台詞は非常に文学的で、それゆえに非日常的で極限的な表現になる。一般生活を営む感覚では理解できないだろう。そのために一般社会との付き合いが非常に困難になる。その辺りを理解することが本作品を読み解く鍵になる。
同じように自意識が高くて他人と衝突してばかりいた詩人の中原中也は「憔悴」という詩の中で次のように書いている。
さてどうすれば利するだらうか、とか
どうすれば哂(わら)はれないですむだらうか、とかと
要するに人を相手の思惑に
明けくれすぐす、世の人々よ、
僕はあなたがたの心も尤もと感じ
一生懸命郷に従つてもみたのだが
今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに
寧子には一般社会の人々が考えるような幸せは訪れないだろうし、それを幸せと感じることもないだろう。しかし利益や外聞ばかりを気にして生きている人たちの幸せが本当の幸せと言えるのか。引っ張ったゴムのように無理をして社会に合わせようとした寧子は、そのうちにまた自分に帰っていく。それしか彼女の生き方はないのだ。それを否定しないところにこの映画の素晴らしさがある。
目が離せない。
今年の初め、<勝手にふるえてろ>で非常に印象的な
演技をした趣里の初主演映画である。彼女の演技を
見たいので、早速見て来た。
もともと、特徴的な容貌からエキセントリックな役柄に配される感があるが、この映画もしかり。精神的に非常に不安定な役どころであった。
躁鬱の人があんなに走れるのかどうかは分からないが、<私はわたしから離れられない>と言う台詞にある通り、病気により自分を持て余している様の在り方は、
非常に切なく、見ていて気の毒になった。
これは趣里の映画であった。
相手役や、元カノ役はもう一捻り欲しかった。
今度は趣里の、普通の役どころを見てみたいものだ。
・・・・したらと思わす
少し期待した作品
まさかの・・・・
主人公に全く共感できず、カエルさんにも魅力を感じず
何かの展開を期待して眠るに眠れずでしたが裏切られました
菅田将暉は良い味でしたがそれだけの作品
今のところ今年もっとも・・・な一つです
鬱
津奈木はいいな。あたしと別れられて。あたしはあたしと別れられない。何故自分は生きてるだけで辛いんだろう。ヤスコはそう云って泣いてた。
心の病って苦しんだろうな。
もちろん身体の病気も苦しいけれど
なかなか人に理解してもらえない大変さも重なってしまうのだろう。
途中で観るのやめたくなっちゃう闇。
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