「1/5000秒のための109分の前奏曲」生きてるだけで、愛。 ありきたりな女さんの映画レビュー(感想・評価)
1/5000秒のための109分の前奏曲
予告編を観た瞬間、この映画は絶対にスクリーンで観たいと思った。
映像の質感、宵闇に揺れる赤と青、気だるく溶け合う音楽、主演の二人の佇まい…
身体にじんわりと残る印象が強く、公開を心待ちにしていた。
結論を申し上げますと、思ったよりヘビーだったけれどもだからこそ、素晴らしい余韻を残す作品でした。
まず主演のおふたり。
まつげが長くて、まるで眠り姫のような寝顔の趣里さん。舞台や映像で沢山お見かけしてますが、今回本当にバチッとハマる役だったのではないかと。
真っ暗な部屋で妖艶な笑みを浮かべて踊るラストシーンや、夜の街の中を疾走する生命力に漲った一瞬の美しさ、彼女でなければ表せなかったと思う。
また、菅田将暉さんはもう売れっ子中の売れっ子だけど、会社の屋上で佇む姿、そこからカメラをふっと見つめるその瞬間がまさに「映画的」すぎて、もうこの人はスクリーンの中で生きるために生まれてきたような人だと思う。
そして、音楽の世武裕子さん。元々シンガーとして好きだけど、映画音楽家としても素晴らしい。今回はジャズ要素が強い印象だったけれど、スクリーンから音が滲み出し、映画館をひたひたと浸食して満たすよう。
さて、劇中の内容に関しては、兎にも角にも寧子の姿はかなり見ていてしんどい。
ただ、それだけリアリティを持ってちゃんと彼女の生き様を描いていて、私も所々思い当たる節があり、自分と重ねてとても心がキュッとなりながら見守っていた。
「生きているだけで疲れる」
「自分自身とは別れたくても一生別れられない」
という考え方は、私もずっと抱えてきて、いつも押し潰されそうになるから、彼女がギリギリのとこで踏ん張って生きてる感じは私そのものだし、
「同じようにエネルギー使って疲れて欲しい」っていう望みもすごく贅沢ではあるけれど、実際それくらいの人じゃないと寧子とは一緒に居られないんだろうなと想像した。
また、ウォシュレットの件。詳細は違えど、あれすごいわかると思った。
これは譲れないんだけど、とか、あっこれこの人とは絶対分かり合えないんだ、とか、圧倒的で絶望的な断絶って日常の中のほんとに些細な事柄や細やかな瞬間に見つけたりしませんか、私はすごく怖かった。
それから、うんとかごめんとか、ぼんやりした応答を繰り返す津奈木も、自分の理想とは違う仕事・社会の中で精神をすり減らし、寧子に対しておざなりな態度しか取れなくなっていくのもわかる。
彼は感情を抑え込み、一人で爆弾抱えるタイプなので一見寧子とは反対に見えるけれど、実は自分自身の感情に振り回されたり、現実と理想との距離感や自分自身の不甲斐なさに絶望したりしながら、かなりギリギリで生きてるし、結構2人は似た者同士なのではないかと。
ラストシーンで、なぜ三年も一緒に居られたのか?と寧子に聞かれた津奈木は、最初に会った時のことを話し出し、「意味がわからないけど美しいもの」をまた見られるのではないかと思った、というようなことを話す。
頭から血を流して疾走する女のスカートの青さや、落下するパソコンとガラスの破片。
何かが壊れゆく一瞬や危うさを孕んだ存在は、何故こんなにも刹那的で人を惹きつけるのだろう。
時に人は、理由や理屈もなく、どうしようもなく何かに駆り立てられたり、感情が溢れ出したりする。
その疎ましさも厄介さも、その素晴らしさも儚さも、きっとこの二人は嫌でも解ってしまうんだろう。そういう意味でやっぱり似てる。
エンドロールで流れる世武裕子さんの「1/5000」が本当に大好きで、先日発売されたアルバムを聴きこんでいる。
ただ、このタイトルの意味がわからなくて映画を観た後に検索して、この点に関しては劇中で全く触れられていないのだけが残念。
原作では、葛飾北斎の富嶽三十六景は、1/5000秒の瞬間を切り取ったという話に由来しているのだが、むしろ何故削ったのかがよくわからない。
それでも、最後に「お前のこと、本当はちゃんとわかりたかったよ」という津奈木の台詞で結ばれるのが本当に救いだと思う。
我々は一生かけても自分自身のことさえもわかりきることはできないけれど、それでも誰かをわかりたいと願う気持ちや、その果てに1/5000秒の邂逅があるかもしれない、という圧倒的な希望だけで、それが暗く長い人生を照らし出し、それだけで生きていけるかもしれない、と思わずにはいられないのだ。
まるで、仄かに浮かんでは混ざり合い、また闇に消えていく赤と青のネオンのように。