荒野の誓いのレビュー・感想・評価
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よくぞ劇場公開してくれた、と感謝!
2017年の作品。
事情や経緯は知りませんが、とにかく劇場公開してくれてありがとう、と心から思える映画でした。
この映画の舞台は1892年のアメリカ。
時代背景をイメージするために、鑑賞後に下記の時系列を確認。
・南北戦争 1861〜1865年 武器や物流が発達、銃の命中精度も飛躍的に向上、アメリカが統一国家になり、奴隷制度も廃止された。だから大統領令にそれなりの法的拘束力があり(西部劇ではあるが、力が全ての無法地帯というわけではなかった)、黒人の護送官も存在するし、ロザリーの拳銃も当たるのですね。
・最初の大陸横断鉄道の開通 1869年
・第一次世界大戦 1914〜1918年
国力の増大に伴う社会の成熟や技術的発展などが劇的で、たぶん時代の変わり目にあることが、登場人物たちにもそれなりの影響を与え、変化を受け入れることのできる人とそうでない人とがかなりハッキリと分かれ、対立が先鋭化することもあったのでしょう。
・インディアン戦争のうち、コマンチ族やシャイアン族のいるミシシッピー川の西での戦争 1823〜1890年
1892年という時代、まだまだ戦争の傷跡が生々しい、ということですね。
映画は冒頭から度肝を抜かれます。上記の知識などなくても、あの時代、〝そういうことが普通〟であったということの緊張感が一気に伝わり、映画の世界に没入できます。
人を運ぶことが任務で始まった旅なのに、いつのまにか、人の死を見届け埋葬することが、〝仕事〟になり、その過程で生まれる様々な感情をお互いにぶつけ合い、分かち合っていく。
怒り、悲しみ、慟哭、喪失、悼み、共感、信頼、友情……。
言葉にすると、なんだか陳腐で軽くなってしまう。
少しでも多くの人に、この映画を受け止めて、感じて欲しい。心からそう思います。
虐殺は虐殺を生む..........キザかも?
映画の冒頭、いきなりインディアンに家族全員を殺されてしまうシーンから始まる。残されたのは、ロザムンド・パイク演じるロザリー・クエイド。抱きかかえていた乳飲み子も銃弾を受け短い一生を終えている。
話は、1892年という事は、マサチューセッツ州で起こった怪事件であり未解決事件でもあるリジー・ボーデン事件と同じ年。ジョン・ブロッカー大尉が司令官よりシャイアン族の酋長イエロー・ホークをニューメキシコ州からモンタナ州までの護送の命を受けるが、始め彼は固辞をしていたにもかかわらず、司令官の脅しともとれる発言に渋々ながら同意してしまう。その距離なんと1600キロ。下関から青森までの道のり、つまり本州縦断と同じ!!
道程においてブロッカー大尉は偶然にも乳飲み子を抱きかかえたまま放心状態のロザリー夫人を発見する。彼女が我に返ると半分、感情失禁というよりは、錯乱状態になり.........!
No! You will not touch this baby.
I will bury my family. それをただ見守るだけの軍人
You believe in the Lord, Joseph?
Yes, I do, Mrs. Quaid.
But......................He's been blind to what's
going on out here for a long time.
4つの墓の中には小さな小さなお墓も1つある。普段なら涙腺のユルユルな者にとっては、涙が欠かせない場面となるが、興ざめしてしまう。1890年に起きた"ビッグ・フット一行に対する虐殺(インディアン側)"とも"ウーンデッド・ニーの戦い(騎兵隊側)"とも呼ばれる虐殺が頭をよぎる。山砲と呼ばれる軽量の火砲やスプリングフィールド銃などを使用して、とにかく動くものは何でも打つ、味方だって打つ、赤ちゃんでもお構いなし、走って逃げる子供も3キロも追いかけてまで殺す。400名死亡。生き残った者数名。
また1830年に施行された法律"Indian Removal Act"ネイティブ・アメリカンから好きな時に土地を没収することができ、言う事をを聞かなければ全員死刑。1民族を全滅させることのできる法律が、実際に適用されるのが施工後の8年後の1838年。通称:"Trail of Tears" チェロキー族インディアンが住んでいたところから追い出され、冬の寒い1000キロに及ぶ道のりを歩かされ、最初12000~15000人いた彼らの実に4000~8000人の方たちが途中で亡くなっている。食料もなく一説には死体も食べたのではないか?という事が言われている。なぜ数字があいまいかって? それは狡猾でずる賢いイギリス人の人口統計や記録を一切残さないことをしているためと考えられる。その悪行は、Sci-Fi小説の父、H.G.ウエルズが何度も映画化されている小説「宇宙戦争」の序文に残忍で冷徹なイギリス人がオーストラリアのタスマニア人にした非道なスポーツを楽しむように行ったマンハンティングのことについて書いてある。しかもオーストラリアでアボロジニ人が市民権を得たのが1967年。アメリカのネイティブ・アメリカンが市民権を得たのが1924年。投票権は戦後の1948年。彼らは人口統計を一切記録していない。
終盤に差し掛かり、酋長イエロー・ホークの埋葬も終わり、そうこうしているとロッキー山脈を背にして4人の男たちが現れる。
Name's Cyrus Lounde. These are my boys.
This here's my land and I want you the hell off it.
I seen you traipsing through my fields with that sorry "Red".
And I don't like it one bit.
-Mr. Lounde. This land here is his rightful burial place.
Where we come from Natives ain't got no rights.
-President's orders.
There ain't writing on no paper, president or not,
can tell me what I can and can't do on my property.
この映画の監督、西部劇を撮った事がないのではないかと思わせるシーンが散見する。建物のペンキが塗りたて感丸出しで、最後のロザリー夫人とブロッカー大尉のこの映画最大の見せ場と言ってよい場面で駅の木造の床が真っ白白でだれの足跡も汚れすらも付いていないなんてありえないし、終盤の銃撃シーンにおいては広大な土地に数名しかいないにもかかわらず、どうやって地主のラウンドは気が付いたのか? 何も説明もなく話が進みすぎている。不親切な映画作りが見られる。この監督のファンの方々、決して怒らないように。それなら書くなってか?
リトル・ベアー役のザビエル・フォースチーフさんすみませんでした。最後の最後まであなたのことを女の子と思っていました。ブロッカー大尉からの贈り物で気が付かなければならなかったのに........?
一般の視聴者からも批評家からも支持をされている本作。
イリノイ州シカゴの週刊誌:Chicago Reader
「この旅の道程は撮影監督の高柳雅暢によって美しく撮影されているが、ベールのたぐいまれなる才能が、しばしば見られるブッスとした表情しかできないところやダサいセリフを暗唱するために緊張しているせいか無駄になっている。」
ミズーリ州セントルイスの唯一の日刊紙:St. Louis Post-Dispatch
見出し:'Hostiles' aspires to be a classic Western より
「古典的西部劇、特にジョン・フォード監督の映画に影響されているところが垣間見られ、この映画、”荒野の誓い”は、西部劇というジャンルに加えられても決しておかしくはないものである。」
主演のブロッカー大尉を演じたクリスチャン・ベール。個人的に彼が英国人とは知らなかった。
待ちくたびれました。
昨年秋に北米で見てから日本語字幕版の公開をひたすら待っていましたが、もう公開されないものとあきらめてBDを購入してしまいました。英語には堪能でないため、理解不足のシーンがありましたがようやく日本公開されることのようでうれしいです。最後の最後のワンシーンがなかった方が自分的には良かったのにと感じていたので、字幕版を見て再確認したいです。
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