「掛け値なしに「小さな家族の大きな歴史」」焼肉ドラゴン talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
掛け値なしに「小さな家族の大きな歴史」
<映画のことば>
わしらは、この先ずっと日本で暮らしていく。
そやから、日本の教育が一番や。
<映画のことば>
「留年なんかしたら、もっといじめられる。」
「この日本でわしらは闘こうていかなならん。いじめくらいでへこたれて、どうする。」
龍吉か隻手(せきしゅ)なのは、戦争の故にということのようです。戦時中は徴用工として、戦役に従事していたのでしょうか。
おそらく、もともとネイティブではない日本で生きていくためには、日本という国家に忠誠を示す必要があったからでしょう。
龍吉にとっても、この国での家族の生活の安定のため、苦渋の決断だったのだろうと、評論子は推察します。
そういう龍吉の決心は、上掲の映画のことばに色濃く滲み出ているというべきでしょう。
まったくをもって、胸が張り裂けるような痛みを禁じ得ません。
かてて加えて、世は高度成長期の景気に華やいでいるときに、人種的な差別もあり、すっかり、その趨勢(すうせい)から取り残されてしまい、家族が不幸を襲っても、ただじっと耐えながら「片手にカネ、片手に涙の在日物語」という哲夫の台詞のように、ひたすら社会の末端で生きることを余儀なくされる日々。
本作でも美花の彼氏・長谷川が妻子もちであったり、彼の生業が高度成長期を支えたいわゆるモーレツ社員の憩の場として享楽的な産業だったり、進学校といわれる学校の学校の教育に時生か馴染むことができなかったりといったということのほか、大量輸送時代の花形でもあり、作中に何度も描写される航空機の轟音は、家族が高度成長という世間の波に翻弄される様(さま)を表現して余りがあったように、評論子には思われました。
(経済の活発化やレジャー=旅行需要の増大による旅客の大量輸送時代という「正」「陽」ないしは「花形」という部分の恩恵には、あまり(ほとんど?まったく?)与ることはないのに、その騒音という「負」の部分の影響だけは大きく受けている)
「小さな家族の大きな歴史」とは、本作の予告編での表現でしたけれども。
その形容には少しの誇張もなく、観終わって、充分な佳作だったとも思います。
(追記)
龍吉の店は国有地を不法占拠しているみたいでもあるようです。
日本に居つくためには、仕方がなかったのでしょうか。
それとも、戦役にまで従事して忠誠を示したのだから(国有地に住み着くくらいは)、日本という国家から恩典を受けても責められる道理はないと、龍吉は考えていたのでしょうか。
いずれにしても、本作の半ば頃に、哲夫に対して吐き捨てるように言った「終戦後すぐに醤油屋の佐藤さんからこの土地を買ったんや。確かに買ったんや。」という龍吉の説明は、とりも直さす「言い訳」そのものなのでしょうけれども「真っ当に自分が使っていい土地なのだ」という彼の思いが込められていたことには、疑いがありません。
そして、それが「言い訳」に過ぎないことは龍吉本人も重々承知の上のようで、そのときの苦しそうな龍吉の面持ちを、評論子は忘れられそうにありません。
(追記)
本作では、真木よう子の演技が光っていたと、評論子は思いました。
幼馴染みの哲夫に対する思慕と、哲夫をめぐる妹・梨花との確執をひっそりと心の奥底に秘めながらも、終始にわたって抑制の利いた彼女の演技が、外面とは裏腹に反対に哲夫に対する思慕を浮き彫りにさせながら、両親を助けて一家を取り仕切る長女の役柄にピッタリだったように思われます。
本作は、主演という役者が存在せず、両親を始め、家族役の全員が、皆で合わせて「主役」だったような一本でしたけれども。
その全員の演技を取りまとめる「主役」が彼女であったと言っても、過言ではないと思います。
(追記)
「造反有理(ぞうはんゆうり)」という台詞は「造反にこそ理(ことわり)有り」という中国語、つまり「謀反側や反乱者こそ正義が持っていること」の謂(いい)であり、梨花との婚姻届を市役所に出しに行ったおりに、市の職員と口論になったことの、いわば哲夫の「腹いせ」として本作に登場する台詞でしたけれども。
しかし、ある意味では、作品の冒頭で哲夫が叫んでいたこのフレーズこそが、高度成長期の日本に住まっても、いろいろな意味で「日陰者」であることを強いられていた龍吉一家にとって、本作を通底する彼・彼女らのポリシーがあったのかも知れないと、評論子は思います。
(追記)
本作では、そのエッセンスとして、時生のナレーションが効いていたとも思います。
時生のナレーションで始まり、それと対を成すような時生のナレーションで締めくくられる構成も秀逸だったと思います。
(追記)
考えてみれば、高度経済成長の掛け声の下、日本中が踏ん張っている最中(さなか)、いわば「清濁併せ呑む」ような猥雑な時代背景を、本作は余すところなく描いていたとも思います。
その意味では、「昭和の猥雑さと混沌に溢れる」というレビュアーbloodtrailさんの指摘には、まったく同感です。
適切なレビューでそのことを評論子にも再認識させてくださったbloodtrailさんに、末尾ながハンドルネームを記して、お礼に代えたいと思います。