「教育という一大ビジネスの可能性と闇」バッド・ジーニアス 危険な天才たち jeromisunさんの映画レビュー(感想・評価)
教育という一大ビジネスの可能性と闇
予告編でカンニングサスペンスというのは見聞きしていた。
オープニングすぐ、主人公リンが合せ鏡に写る姿が映され、尋問を受けるシーンが描かれて物語が始まる。尋問らしく、その室内は暗く、重苦しい雰囲気が漂っている。
この尋問は、カンニングがバレたから?と不安に駆られるが、尋問される登場人物たちは皆一様に強気な姿勢だ。
尋問の真意は分からぬまま、リンたちの学生生活が映し出され、消しゴム、指使い、スマホを巧みに扱いつつ、スリリングなカンニングシーンがとてもハラハラさせられる。
リンの秀才さはわかっていつつも、やはり行為のリスクの高さは明白で、用意周到なリンたちの完璧さと閉ざされた静寂な試験室で巻き起こる熱量の高い(実際額に汗している)カンニングスペクタクルに息を飲んだ。
そして、その合間合間に、例の暗く恐ろしい尋問シーンが挟まれるのだ。
1人の友人間で始まり、クラスのほぼ全員がリンをカンニングしているという一種のカオスと化した空間は異様に映った。
学歴社会の中で、同じ土俵に立っているが故に成り立つカンニングビジネスを始めた。"教育"は経済学上では便宜上、投資ではなく、消費の部類に入るらしい。つまり、カンニングも勉強を教えることでお金を得ることも、目的が"試験に受かること"のみであれば、大雑把に見れば一緒と言えてしまうのかもしれない。
リンと同級生で正義感が強い秀才バンクは、リンの回答をカンニングする友人を告発し、リンの海外留学の資格を剥奪してしまった。そんな彼自身も、海外留学の試験前日に襲われ、試験を受けられずどん底に陥る。
そして、リンからの誘いでカンニングで教える側としてリンと組むことになるが、バレて捕まってしまう。
その後、リンと再開した彼は随分と人が変わってしまって、リンを失望させる。
ここで、オープニングとは対照的な清廉潔白の象徴のように白一色の部屋で、リンが大学の希望学部を語っている。
カンニングに懲りたリンがバンクに見たのは、カンニングを始めたころの自分だったのかもしれない。
全篇を通して、スリリングにあふれ(シャー芯がなくなることですらこんなにハラハラするなんて)、またリンとバンク、友人たちの絆や裏切り、ゲーム理論的要素も組み込まれ、行為としては大きいものではないが、世界を股にかけた世紀のカンニングスペクタクルが、新鮮で斬新でとても楽しく仕上がっていた。