「ヘマな家族より他人の方が。」万引き家族 movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
ヘマな家族より他人の方が。
淡々と、血の繋がらない家族が万引きで生計を立て、古い一軒家で共同生活をしていく様子が描かれる。
おばあちゃんは樹木希林。夫が違う家庭に行ってしまった後亡くなり、遺族年金を貰っている。
その娘に安藤さくら演じる信代。本名ユウコらしい。クリーニングの工場で働くが賃金支払いが難しくクビにされる。
おばあちゃんが信代をどこかの時点で連れてきて育てたところから話は始まっているのかな。
信代の前の夫を正当防衛で殺し連れ出してきた信代の内縁の夫のリリーフランキー演じるオサム。本名はショウタらしいが誰も呼んでない。日雇い工事現場で働いていたがおそらく労災狙いでわざと、怪我をして、結局労災も降りず当分働けなくなる。
信代とおさむが昔パチンコ屋の駐車場の車から拾ってきた男の子がショウタと名付けられ、学校には行かれずに育てられている。
そして、おばあちゃんの元夫が新しく築いた家庭での孫にあたる、アキ。元々裕福な暮らしで育てて貰っていたように見えるが、血の繋がりがない、樹木希林演じるおばあちゃんと生活することを選んだようで、実の妹の名前さやかを源氏名にして、女子高生の格好をしていかがわしい店でバイトする18歳くらい。自虐行為の過去もあるようで、おそらく実家では愛を感じられなかったのかな。
そこに、オサムとショウタがチームプレーで万引きした帰り道、真冬の夜に外に出されている女の子ゆりを見つけ、連れて帰ってきて1人増えた生活が始まる。ゆり(本名じゅり)も全身傷ややけどがあり、虐待されていたよう。元の家に戻すのも酷で、りんと名付け直されて育てられる。
全員他人同士、そして愛のない養育環境で育ち、いなくなっても誰にも探されない者同士。
でも、家の中は誰かが誰かを心配し思いやる、愛に溢れていて。勉強は教えず盗みばかり教えていても、ろくに掃除されていない散らかった雑然とした家の中でも、ほっとする空気に満ち溢れている。そして父になるのリリーフランキーが更に何段階か生活水準を落とした感じだが、父親ではなくても中身は父親そのもの。
一方、側から見れば、異常でしかなく。こどもを学校にも行かせず万引きさせたり、元夫の息子宅に月命日を理由にたびたび出向いてお金を貰ったり、育ての親が亡くなっても届けを出すわけにもいかず庭に埋めて年金は貰い続けたり。お金のために一緒に暮らしていると思われても仕方がないし、実際半分はそうなのだろう。
ここが異常だからと出たところで行き場のない者達がかばいあって暮らして本人達が何を感じていたかの実態よりも、窃盗や死体遺棄や誘拐など、何があったかの単語にすると逆に虚しくなる不思議。どうにもならない心の飢えや貧困もある世界を理解してか、何度万引きされても捕まえず見逃していたと思われる、街の煙草と駄菓子を売るヤマトヤが忌中で閉まっている描写が、完全な普通の社会からの排他を感じさせる。
それでも、学習意欲の高いショウタは自宅で教科書を読んだり、オサムとの窃盗に疑問を持つ思春期の年頃になっていて。
窃盗に加わろうとしたりんが捕まらないようにするため、ショウタが機転をきかしておとりとなりわざと捕まるように万引きして、全てが社会の目に触れるが、そのおかげで施設に入り学校で勉強できるようになっても、心は父親がわりだったオサムを求めてる。でも、オサムもショウタが可愛いからこそ、ショウタが万引きをしくじり怪我をした入院先に、すぐに引き取りに行かずに一旦逃げてから迎えに行こうとして捕まったことを、見捨てて逃げた事にする。信代もオサムも、ショウタは入院先ならご飯もまともなもの食べられるし、一家で逃げてから迎えに行こうと話していたにも関わらず。
おさむと一緒におばあちゃんを埋めたのに、夫を庇い1人で埋めましたと言い罪を被る信代。
信代やおさむが困らないよう、おばあちゃんのことを話さないりん。施設行きが決まってからも、りんの今後を心配するショウタ。再びDV父親のいる元の家で寂しい思いをさせられる、りん。
でも、りんを連れてきたのも育てることにしたのも、当初は反対していた信代のせいにし、埋めたのも信代1人がやったことにしたオサム。
子供ができない身体のことや、自らの過去と重ね合わせて、りんに母性をたっぷり注ぐ信代が、りんといることを目撃された弱みを握られクリーニング店をクビになったり、懲役5年という損なくじを1人で引く。
本当は、オサムにもショウタにもアキにもりんにも、愛情溢れた女性なのに。
児童相談員は学校に行けば家庭にはない出会いがあると真っ当な事を言うが、家庭で勉強できない奴が学校に行くと適当な嘘を信じて育ったショウタには、学校より家庭での出会いの方がよほど親密で賢くもなるホームだろう。
うっすらぼけてきながらも、アキやりんを可愛がっていたおばあちゃんも、1人で寂しく死ぬより、みんなのいる家でアキのいる布団で老衰で他界し、幸せだったことと思う。
型どおりが幸せとは限らないし、じゃあどうすれば法的に真っ当な暮らしで愛を感じられたのかと言われれば、答えがないからこうなった、という展開で、
「子供は親を選べないが、たとえ他人でも自分で選んだ人と暮らす方が絆は強いんじゃない?」
「子供には母親が必要って大人が決めたことでしょ?産んだからみんな母親になるの?」
という信代の言葉が、法社会とは別の、真実を問いかけてくる作品。結婚も元々は他人同士。
そして、産みたくて産んだ訳じゃない、と子供が聞こえる場で言い放つ両親に育てられていたりんだが、そう言われてこう育つか、と信代が感嘆する通り、優しい子。
こどもは親がどうでも、優しさを沢山持って産まれてくる。それが尽きないよう、変わらないよう、育てるのが社会や大人の責務のはずだが、大人も気持ちにゆとりを持てない社会の仕組みのせいなのか、できていないから
、この作品のような構図がうまれてしまうもどかしさ。
是枝監督の、事実として客観的に言われると伝わり漏れてしまう、本当の物語の描き方に毎作とても引き込まれる。
安藤さくらの優しい笑みがあるお陰で作中の家庭が成り立っていたと言っても過言ではない。産後すぐの体型でもかえって母性に溢れた艶がありとても魅力的だったし、子供がいるからこそ出てくる演技もあったと思う。
全ての問いかけは信代の台詞によるし、とてもとても重要な役を自然に演じきっていて、すごい女優さん。
ショウタ役の子役の子も無駄な物がない聡明な顔立ちと無垢で真を見つめるような瞳が作品にぴったりかつ、こんな子が育つ家庭なら100%悪くはないのではないかとすら感じさせる、正当性を存在が演出していた。
でも、信代の言う、「わかったでしょ?私たちじゃダメなんだよ」が全てなのだろう。
ハッピーエンドではないけれど、素晴らしいチームによる作品。