「捨てた絆で紡いだ絆」万引き家族 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
捨てた絆で紡いだ絆
かれこれ4か月前に鑑賞し、今更のレビューになってしまったけれどどうかひとつ。
単なる“感動作”とは決して呼べない、深くて重い映画だった。
レビュー内容もかなり長め重めなので、読みたくない人は読み飛ばしてください。
様々な要素が絡む映画なのでどこから書いたものかと途方に暮れたが――
まずは映画レビューとしてシンプルに、各キャラクターについて綴ろうと思う。
…
安藤サクラ演じる〝お母さん”・信代。
どれだけ優しくても、最後まで〝お母さん”と呼んでもらえなかった彼女。
「何なんだろうね」と自問するように何度も呟き続ける場面は胸が苦しかった。
本当の親以上に親身になってくれる人がいても、
心のどこかで血の絆を求めてしまうのは本能なのだろうか。
愛してくれない親でも、顔すら知らない親でも、初めの初めは自分を
そのお腹の中でしっかり包んで守ってくれていたはずで、その頃の
温かさと安らぎをどうしても人は忘れられないのかもしれない。
決して〝お母さん”にはなれないと悟った彼女が祥太に向けた、
明るいけれどどこか他人行儀な笑顔が悲しかった。
リリー・フランキー演じる〝お父さん”・治。
彼は一家の長と呼ぶにはずいぶんと情けないし、
そもそも子どもに万引きを教える時点でアウトだし、
自分可愛さに子どもを見捨てて逃げ出そうとしたりもする。
それでも憎めないのは、ふつうなら躊躇してしまうような時でも、
赤の他人に救いの手を差し伸べることができる人だからである。
誰よりも優しいけど、その優しさの責任をとれない弱い人。
城桧吏くん演じる祥太と、佐々木みゆちゃん演じるリン。
2人の自然な演技が素晴らしい。(是枝監督作品の子役の演技には毎度舌を巻く)
特に、妹ができたのをきっかけに自分たちの“稼業”に疑問を抱き始める祥太。
自分のせいで駄菓子屋が潰れてしまったのではと怯える場面をはじめ、
彼の迷いや戸惑いがしっかり表情から伝わってきた。
松岡茉優演じる亜紀。
彼女と〝4番さん”との関係が寓話的過ぎると感じてしまったのが
自分の中での本作における一番の不満点ではあるのだが、
家族の中でも大人びて見えた亜紀が、幼児帰りしたような声で冷たくなった祖母を
揺らす場面は未だに忘れ難い。泣き叫ぶよりもずっと彼女の悲しみが伝わってきた。
ああいった仕事をしていた彼女にとって、祖母の隣は、
無邪気な子どもに戻れる大切な場所だったんだと思う。
祖母を演じた樹木希林。
いつもおどけているように見えたり、嘘を並べて小銭を稼いだりするけれど、
「あたしはあんたを選んだんだよぉ」と、時々冗談のように本音のようなことを呟く。
海辺で“家族”を眺める彼女の、あの満ち足りたような表情――。
…
主人公たちはみな、家族や世間から“捨てられた”、
あるいはそう感じて生きてきた人々だった。
人間誰しも親は選べないし、育つ環境も、才能も、性格も選べない。
そうして世の中との折り合いがつかず爪弾きにされたとしても、
人はどうにか生きようとする。時にはモラルをかなぐり捨ててでも。
無論、万引きで店を潰されたり、置引きで大事な金を失ったりして人生を
狂わされる人もいるわけなので、そういった犯罪は断じて肯定できない。
だが肯定できないことと、それが現実に存在することは別だ。
捨てられたものでも生きていかねばならない。
信代が吐き捨てるように語った言葉。
「拾ったんです。捨てた人ってのは他にいるんじゃないですか?」
…
彼女たちがリンや祥太や亜紀を“拾った”のは何故だったのだろう。
映画の刑事が言う通り、お金の為というのも理由だったと思う。
だけど、それが一番の理由では無かったとも思う。
それはきっと、ただただ単純に、
ひとりぼっちでいるその子が可哀想に思えたから。
そして一緒なら、自分もひとりぼっちでいなくて済むから。
捨てられたものを拾い集めて、拙い手で繋ぎ合わせてできたのは、
不格好で脆いし、所詮は偽物だけれども、
ずっと夢見ていた、温かい家族。
…
映画を観たほんの数日後だったと記憶しているが、
親から虐待を受けて亡くなった5歳の少女のニュースを聞いた。
本作の最後のシーンが脳裏に蘇ったのは言うまでもない。
どんなにむごい仕打ちを受けようと、幼い子にとって親は親でしかない。
助けも逃げ道もなく、乞う必要も無い許しを乞い続けた彼女を思うと涙が出る。
政府の偉い人たちが言うには、景気は上昇傾向なんだそうだが、どうなんだろうか。
物質的にも、精神的にも、この国はどんどん貧しい方向に向かって行っている気がする。
貧しいから心が荒むのか、心が荒むから貧しいのか。鶏が先か卵が先かは分からないが、
ただ分かるのは、怒ったり苛立ったりするのは物凄く疲れる。他人も、自分も。
みんなで怒っているよりは、みんなで笑っているほうが良い。それなら、
せめてもう少しだけ、自分以外の人に優しくできる自分になれないものか。
夢見た家族のようにとまではいかなくても、せめてもう少しだけ。
<2018.06.02鑑賞>
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余談:
樹木希林が亡くなった。
本作はこれまでの是枝監督作品以上にたくさんの方が
鑑賞・レビューされていたし、考察も随分為されていたと思うので、
もう別に自分はレビューを書かなくてもいいかな、と思っていた。
けれど、彼女の訃報を聞いて気が変わった。きちんと記録を残さねばと。
どの作品でも、年老いた小さなあなたが映像の中に佇むだけで、
どうして映画に生命力が漲るのだろうと、いつも不思議に思っていた。
『海よりもまだ深く』で、階段の上から手を振り微笑むあなたを覚えている。
『わが母の記』で、暗闇から真っ直ぐこちらを見つめるあなたを覚えている。
たとえ亡くなっても俳優は映画の中で生き続ける、だなんて
気休めを口にしてみても、おどけたような、達観したような、
あの飄々とした言葉の数々があなたの口からもう紡がれない
というのは、とてもとても寂しいです。
長い間お疲れ様でした。ありがとう。ゆっくりお休みください。
お久しぶりです。
これまで様々なカタチの家族を描いてきた是枝監督ですが、本作は特に考えさせられるものがありましたね。
家族のカタチ、家族の絆とは…。
樹木希林さんの訃報は未だにショックです。
もうあの名演の数々が見れないとは…。自分的には、『歩いても 歩いても』『わが母の記』での名演が忘れられません。
内田裕也氏は「見事な女性、素晴らしい女性」と最期の言葉を贈りましたが、我々にとっては「見事な女優、素晴らしい女優」でした。
本当に日本映画界の大切な存在を失ってしまいましたが、数々の出演作、今月公開の『日日是好日』や来年公開予定の遺作でいつまでも残り続けていきますね。