「「虐待家族」「幸福家族」そして「万引き家族」」万引き家族 マユキさんの映画レビュー(感想・評価)
「虐待家族」「幸福家族」そして「万引き家族」
過去の是枝作品に共通するモチーフの全面展開を見た思いだ。『ワンダフルライフ』では、死者が生者に見えてくる。『DISTANCE』では、エリートがヘタレに見えてくる。『空気人形』では、人形が人間に見えてくる。そして『誰も知らない』では、子どもが大人に見えてくる。
是枝作品では、ないものがあるかのように、嘘が真実に、虚構が現実に見えてくる。今作では、犯罪で家族の共通前提を意識的に支える「変形家族」が、私たちの「理想的な家族像」を大きく揺さぶる。「家族もどき」が「真の家族」に見えてくるのだ。
その比較として持ち出されるのが、虐待を受ける少女、ゆりの家族と、家を出た亜紀の家族だ。ゆりが行方不明になっても届出をしない「虐待家族」と、亜紀がいないことをひた隠す、一見ちゃんとして見える「幸福家族」。しかし実のところ、この「虐待家族」と「幸福家族」は同質だ。エゴや世間体や見栄のために、子どもをないがしろにする家族なのだ。「万引き家族」も「虐待家族」も、児童虐待(child abuse:子どもの濫用)をしていることに変わりはない。だが、「虐待家族」が親のエゴのために子どもをコントロールしようとするのに対して、「万引き家族」はまさに家族を営むために、子どもを含めた成員がみな互いの濫用を許している。しかしそれも長続きはしない。「正しい社会」が許さない。
ラストはバラバラになった「万引き家族」が、もう失ってしまったかけがえのないものを、万華鏡でも覗くかのように見るシーンの連鎖で終わる。信代は刑務所の面会室で祥太を見る。祥太はバスの窓から治を見る。亜紀はかつて家族が生活していたボロ家の縁側の戸を開けて室内を見る。初枝はその家の床下の土の中から、家族みんなを見るはずだ。そしてゆりはベランダから外を見る。自分を「真の家族」に迎え入れてくれた人々を思い出しながら。
〉万華鏡を覗くかのように見るシーンの連鎖・・
なるほどねー。
シナリオの構築がしっかりしている作品はたいしたもんですね。
それに気づいてレビューしてくださったマユキさんもすごいわ。