「美人で強いヒーロー、ただそれだけ」ワンダーウーマン 1984 ぽったさんの映画レビュー(感想・評価)
美人で強いヒーロー、ただそれだけ
予告編が面白そうだったし前作の評価が高かったので期待したが、せっかくのコンテンツなのにもうちょっと何とかならなかったのかと残念。
冒頭スケールの大きいSASUKEのような運動会がくりひろげられる。思いつきをつなげたような障害物競走と流鏑馬(やぶさめ)で、驚きがないし、仲間内のゲームなので緊張感もない。子供時代のダイアナがズルをしたというエピソードなのだが、これが何かの伏線になっているかというとそうでもない。
水晶のような石に触って願いを言うとなんでも一つだけ願いが叶うが、引き換えに失うものがある。安易な設定だが、そのバカバカしさを大真面目で強引に展開していくと不思議な力強さがあるというのはアベンジャーズで証明済み。ただ、触って願いを叶えるというルールが途中で曖昧になっていく。最後はテレビの向こうで目を見てつぶやくだけで願いが叶う。
悪者がテレビで全世界放送するときに、ダイアナが真実の縄で放送を横取りする。縄を悪者の足にこっそり結びつけるのだ。「有線」である。80年代の話だからね。この時代ではまだ有線である。そういう「批評性」を無理やり読み取ってもいい。
悪者は最後に自分の息子を救うために願いを取り消す。この息子ってのがたいして可愛らしくないショボくれたガキなんだよな。最後、パパが間違ってた、息子よ!と抱き合う場面が感動的な音楽で盛り上げられる。見てる方はシラケる。
ダイアナは最後は戦闘ではなく話で解決しようとする。見せ場が足りない。
真実の縄は悟空の如意棒みたいになくてはならない便利アイテムになっていて、それを振りまわして空をとんでしまう。同じDCのスーパーマンを意識したポーズで空を飛ぶ。
ダイアナは聖闘士星矢みたいな先祖の鎧を着るのだが、どれほど役立っているかわからない。敵の女も平凡な女がダイアナみたいになりたいと願っただけで強くなってしまうのだからアホらしい。
ダイアナの彼氏は記憶が別人に乗り移って復活するのだが、ダイアナは躊躇せず肉体関係を持つ。精神が個人の実体であるということか。ここも受け入れ難い。
公開から二週目で上映回数がかなり減ったのだがうなづける。