「ガガよりすごいクーパー、そして依存症」アリー スター誕生 しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
ガガよりすごいクーパー、そして依存症
アリー(レディ・ガガ)はウェイトレスとして働きながら、夜はクラブで歌っている。
国民的シンガーのジャック(ブラッドリー・クーパー)はライヴがはねた後、飲み屋を探していて偶然、アリーが歌う店に入る。
ここでアリーが歌うのは「ラ・ヴィ・アン・ローズ(薔薇色の人生)」。
このシーン、「シャロウ」のPVにもあったから、ガガがクラブで何か歌うシーンがあることは知っていた。
それが「ラ・ヴィ・アン・ローズ」とは!
日本では越路吹雪などのヴァージョンで知られるスタンダード・ナンバー。試合初球にいきなり、ど真ん中のストレートを投げられた気分だ。
圧巻の歌唱力にいきなり涙腺が緩む。
いや、待てよ。
演じているのがレディ・ガガなんだから、そりゃそーだよ。
彼女はスタンダード・ナンバーだって歌える。既に2014年に、彼女はトニー・ベネット(アメリカの超大者シンガー、「霧のサンフランシスコ」などのヒットで知られる)と、ジャズのスタンダード・ナンバーをカバーしたデュエットアルバム「チーク・トゥ・チーク」(傑作です)をヒットさせているではないか。
本作は「スター誕生」の4回目のリメイクだ。ストーリーのフォーマットはこれまでと大きく変わらない。無名の女性が男によって見出される。やがて女性は才能を開花させ、男はダメになっていく、というもの。
このハリウッドの古典とも言える作品に、レディ・ガガがキャスティングされたことに意外だという声もあったが、彼女は「レディ・ガガ」である。これくらい演ることは容易に想像できた。
(まだガガをデビュー直後のようなイメージを持っている人は、認識を改めるべきである)
Tony Bennett, Lady Gaga “Anything Goes”
https://youtu.be/EIoyTlfUPPU
かく言う自分も、ガガにばかり気を取られ、相手役のことを意識していなかったのは不覚だ。
このガガの相手役は、映画の役として、なんとガガよりキャリアのあるミュージシャンを演じなければならないのだ。
ガガよりブラッドリー・クーパーの心配をすべきだったのである。
ところが、である。
クーパーはガガの相手役として、まったく見劣りのしない出色の出来で、心配は無用だったのである。
ええっ?あのクーパーって、音楽もやってたの?と思ってしまうほどの、驚愕レベルのパフォーマンスを見せるのだ。
しかも、サントラのクレジットを見ると劇中の重要曲の作曲までしているではないか!
これはもう、グループ魂が紅白出たとかいうレベルを超えている。
クーパーは、「世界にひとつのプレイブック」「アメリカン・スナイパー」などでの演技が評価されたのだが、これが2013年前後のこと。以降、映画から遠ざかっていたように思えるが、実は本作の制作に集中するため、この4年間、ほかの仕事を断っていたという。そして、ミュージシャン修行も、この間、おこなったのだそうだ。
クーパーは本作では監督、脚本のほか、プロデュースも兼ねている。だから、彼は自身の音楽面におけるパフォーマンスについて、手応えを感じていたはずである。恐るべしブラッドリー・クーパー。
映画は素晴らしい出来だ。
世評では専らガガの評価が目立つようだが、ガガの向こうを張ったクーパーも相当スゴい。しかも、前述の通り、音楽的にも本作に貢献している。
つまり、役者が演じるこの映画のストーリーそのままに、本作はレディ・ガガとブラッドリー・クーパーという優れた2人の“ミュージシャン”のコラボレーションの成果なのである。
この映画は後世、“女優”レディ・ガガの誕生以上に、“ミュージシャン”ブラッドリー・クーパーのデビュー作として記憶に刻まれるかもしれない。
脚本も練られている。
アリー、ジャック双方の家族のこと、いわゆる「セルアウト(売れることを目指すこと)」の問題、そして恋愛など複数のテーマを破綻なくまとめている。ミュージシャンが売れるまでの、舞台裏を見る楽しさもある。アリー、ジャック、双方の楽曲も素晴らしく、まったく飽きることはない。
最後に、本作の重要な要素の1つである依存症について触れたい。
なぜジャックは自殺をしたのか。
アリーはグラミーの新人賞を獲得(ちなみにレディ・ガガはグラミーの新人賞は獲っていない。どういう気持ちで演じたのかと思うと面白い)。この頃、すでにジャックは深刻なアルコール依存症に陥っていた。アリーとともに表彰式のステージに上がったジャックは泥酔しており、なんと失禁してしまう。
これを契機に彼は依存症の克服のための施設に入院する。
退院したジャック。アリーは喜ぶ。ところが、アリーのマネージャーは彼に、「お前はアリーの足手まといだ。グラミーの件を火消しするのに、どれだけ大変だったか」と責める。
表面的には、この一件が引金を引いたように見えるが、どうか。
依存症は恐ろしい病気だ。そして、多くの場合、親や家族との関係が背後にある。ジャックと父、そして兄との確執のことは、前半、本作で触れられていた。ジャックの兄は公私両面でジャックを支えていたが、アリーを得たジャックが兄を切ったのは象徴的だ。ジャックにとっての家族が兄からアリーに代わった、ということである。
依存症で難しいのは、家族が症状を加速させることがある、ということである。いわゆる共依存に陥ってしまうのだ。
施設に入ったジャックは、こうした依存のメカニズムについても学んだはずである。
ここからは推測だ。アリーのマネージャーに責められたジャックはどうしたか。ジャックは酒に手を伸ばしたのではないか。または、飲みたいと思ってしまったのではないか(問題の2人の会話の前に酒が話題に出ていることに注意)。
アリーはジャックを深く愛している。グラミーのときも、アリーはジャックをかばっていた。
死の直前、アリーはライヴに出掛ける前、ジャックに対し、「ステージで一緒に『シャロウ』を歌おう」と誘っていた。
ジャックにとっては、こうしたことがまた、いたたまれなかったはずだ。
そして、ジャックがアルコールに手を伸ばしたとしても、アリーは変わらず自分を愛するだろう。そう悟った瞬間、彼は自分の存在を消してしまうことしか選べなかったのではないだろうか。
アリーはミュージシャンとしては成功する。しかし、それは大切な人を喪うということと引き換えだった。
このように、単純なサクセスストーリーではないことが、本作に複雑な味わいを与えている。
また、依存症による死と、その背景も破綻なく描きこまれていて物語の奥行きも十分。
音楽ももちろん素晴らしく、映画館の音響設備で楽しむべきクオリティ。
傑作である。