人魚の眠る家のレビュー・感想・評価
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見応え満点の映画
前によく予告していたな〜となんとなく鑑賞へ。
もう6年前なことにびっくり!
ミステリーが多い気がしていた東野作品。
あまりあらすじを読まないで鑑賞。あれあれ、という間に緊急事態!
おばあちゃん役のごめんなさいという演技が辛い。
星野の同僚がエレベーターで言った言葉、あまりにも真理で、逆によくこれを映画に入れたなと思いました。
星野とまおちゃんのカップルの話は、映画の題材と比べたらいるのかな?と思ってしまった🤔
登場人物誰しもまっすぐで、誰1人間違えてはいないと思う。そしてこんなにも映画に入り込んでしまったのは、キャストの方々の演技が素晴らしすぎるから。
篠原涼子さんは最後狂気に走る母親になってしまいますが、それでもその美しさに目がいってしまいましたし、その美しさがより怖さを引き立てていました。
最初みずほの身体が電気で動いた時、あんなにみんな嬉しそうにしていたのに、人形を受け取る所、笑った顔になるところの怖さ、何かおかしいと感じさせてしまう映画の撮り方がとてもすごいと思いました。
生人が大変だっただろうなあと、、。
どうか健やかに育ちますように。
最後のハートの木に出会うシーン、とても綺麗に丁寧に描かれていると思いました。
どなたかのレビューで、冒頭の「人形の眠る家」の文字が「人の眠る家」に見える時があると書いてあり、もう一回見てみたいと思いました。
あまりにも重く、正解がない題材をこんなにまとまって映画になっているのはすごい。東野さんすごい!
1人で映画館で観るのであったらビビってしまうくらい、途中怖かったけど、、🥹
観てよかったです。
死体を弄ぶ気持ち悪い映画
死体を弄ぶ気持ち悪い映画だった。明らかに死んでるとしか思えない瑞穂(稲垣来泉)に、着せ替えしたり、ペットみたいに散歩させたり気味悪い。
薫子(篠原涼子)が瑞穂を延命させようと奮闘する姿は狂気を感じる。特に薫子が瑞穂を無理やり笑わせるシーンはゾっとした。
終盤の薫子が瑞穂を殺そうとするシーンでは衝撃を受けた。最初は死体だと思ってたのに、このシーンを観て「あ、薫子が瑞穂を殺そうとしてる」と思った。つまり、この時の俺は「瑞穂は生きてる」と思ってしまったのだ。なぜだろう、今まで死体にしか見えなかった瑞穂が包丁を突きつけられた途端に、生きてると思えてくる。
結局死んでるんだか生きてるんだか、自分の中で死とは何か答えが見つからないまま終わってしまった。正直薫子にはずっと感情移入できず...しかし身内で脳死人間を目の当たりにしたら、薫子の気持ちも分かるのかもしれない。
脳が死んだら死?心臓が止まったら死?を考えさせられた。
自分がもし脳死したら速攻殺して欲しい。そして誰かの臓器になりたい。介護で家族に迷惑かけたくないし、見せ物になりたくないから。迷惑かけるくらいだったら誰かの心臓で生きたい。
悪くはなかったけど…。
やっぱり、事故の原因が引っかかってしまった。
親なら絶対に水着を着て子供がおもちゃの指輪をしていることを注意して外させると思う。そこを点検しない祖母の最大のミスがあり得ない。
事故になるとは思わないまでも、プールは子供にとって危険な場所という認識が無いはずがない。
水の中では指輪は必ず外す。遊んでいる間に落とすことは確実なのだから、そこで、無くしたと大騒ぎになることは間違いがないし、余計な物を身に着けていないかチェックをしなかった自分の母親を一生許せないと思う。
母親の執念
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西島と篠原の娘がプールで溺れて脳死。
しかし夫婦は臓器移植を選ばず、篠原が自宅介護することとなった。
会社経営の西島は金持ちで、横隔膜手術を受けさせ呼吸器が不要になる。
さらに電気的に娘の筋肉を動かして代謝を上げる研究を、部下の坂口に任せる。
根っからの技術者の坂口はそれに没頭、かなりの効果を上げる。
PCの操作で娘の手を自由に動かし、笑顔も作ることが出来るようになってた。
西島の中では娘はもう死んでたが、生きてると信じる妻のためだった。
しかしさすがに異常だと感じ始める。周囲の人達もそうだった。
篠原の妹親子は、篠原の前だけで篠原の娘が生きてる演技をしてただけ。
母は少しは篠原を理解していたが、やはり異常性は感じ始めてた。
やがて篠原は娘を車いすで外に連れ出し、周囲の人に娘として扱わせ始める。
さらに息子の入学式にまで連れて行き、息子はそれで同級生から気味悪がられる。
だから息子の誕生日には誰も来ないが、篠原は無理に連れて来させようとする。
息子はイヤだと泣き叫び、さすがに西島が篠原に厳しく本音を言う。
娘は死んだのだと。すると篠原は逆上し警察を呼び、娘に包丁を突き付ける。
死んでるのなら刺し殺しても罪にならないよね、どっち?と。
そんなこんなを経て篠原も一種の洗脳状態からは脱する。
それでも娘の介護は続けてたが、ある日の夢で娘がそれまでの礼を言いに来る。
それで満足し、人を助けたがってた娘に代わり、臓器移植の決断をする。
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人は思い込むと周りが見えなくなり、延々エスカレートし続けることがある。
全くわがままな性格でなく人を尊重できる篠原も、その罠に陥ったという話。
大切な娘やから、気持ちは分かるけどね。でも西島のセリフが全てやと思う。
「娘はおれ達の中で生きてればいい、それを周囲に押し付けるな」。
誕生日の息子に対する振舞いもそう、警察への対応だってそう。
何で娘が生きてると周囲に認めさせる必要があるのか?
全く理解は出来ない。でもエスカレートって大体そういうこと。
何を信じても、どう行動しても、他人を巻き込まないうちはいい。
でも、そんな自分を正しいと認めて欲しいって欲求は必ずあるんよな。
正しいかどうかは自分で判断すれば良い。
世間とか多数派とか偉い誰かに正しいって言ってもらう必要はない。
脳死とかそういう難しい話以前に、それが最も大切なことだと改めて思った。
脳死は人間の死か、衝撃の愛のカタチを描く!
東野圭吾の同名ベストセラー小説の映画化ですが、とにかく深いそして重いテーマでした。脳死は死なのか、愛する我が子が脳死判定されたら家族はその人を"死"と受け止めれるでしょうか…。なんとも難しいテーマです。
しかし、脳死したらいきなり臓器提供の意思を聞かれるんですね。そこには、家族の思いはまるで関係なく。脳死したまま延命をするか、臓器提供して生きれる命を救うのか、いきなり判断なんてできやしないのに。
娘の瑞穂が脳死と判断された、薫子と和昌が選んだのは、禁断の延命でした。科学の力で人形…いやロボットのように動かされ体だけ成長していく瑞穂は生きているといえるのでしょうか。
娘は生きているそしていつか目を覚ますと思い続ける薫子、笑顔まで作らされて生き続ける愛する娘の臓器提供を考え本当の死と認めようとする和昌、研究により脳死した人間の体を動かし父の代わりに成長を見守り第二の父といわれる星野。死んでいるか生きているかで翻弄される周りの人たち。いったい誰が正解で誰が間違っているのか。その答えがないから、悲しみ苦しんでしまう。そうなんです、誰も間違ってはいないのですから。
ただ、母は娘の生にこだわり続けた。娘が操り人形となっても希望を持ち続けた。「この娘が死んだというなら、心臓を刺したら殺人なのか!?」と迫る母は、狂気と覚悟が見えました。娘を刺そうとする母と、すでに死を認めている周りの人たちの場が逆転した瞬間なのです。強烈に鑑賞者の気持ちも逆転させるほど、感情をえぐる瞬間だったのではないでしょうか?
みんな辛かった、母も父は当然です。弟が脳死の姉のことで学校で辛い思いをしないために姉が死んだと判断したことも辛かった。自分のせいで瑞穂が事故にあったとずっと罪の意識で過ごしてきた祖母も辛かった。薫子の妹晴美は支えながらも姉の変貌していく姿を見て辛かった。そして…瑞穂の従妹若葉は自分のせいで事故に遭ったと言えずに抱え込んできた歳月は何と辛かったでしょうか。
母が娘を殺そうとした瞬間、みんな心の中で耐えきれない思いがすべて爆発した、すごいシーンでした。心が締め付けられ、涙が止まりませんでした。
この映画は俳優陣全員が見事に演じた作品だったと思います。拍手を送りたいほど感情を揺さぶられました。
母は、娘の死を受け入れました。父は、心臓が止まる瞬間が死と最後に言いました。
医者は言いました、「では娘さんはまだこの世界のどこかで生きていますね」と…
色々考えさせられました
「我が子が脳死になったら」という視点で見ると、篠原涼子の母役は違和感はあまり感じなかった。テクノロジーで娘の表情さえも操作してしまうというホラー仕立てで、母親の狂気を気味悪く演出しているが、体がまだ温かく、呼吸をしていて、爪や髪が伸びる、眠っているだけのように見える我が子を、どうして死んだと諦められるだろうか?事故で亡くなったり、事件に巻き込まれて亡くなったりして既に弔いを済ませていても、それでも何年も辛いまま、苦しみを抱え続ける程に執着があるのが私はむしろ人間らしく、それが人間という生き物だと思う。まして、何をもって死とするのか非常に難しい脳死である。脳死の娘を自宅で介護しながら、毎日一緒に外出したり、下の子の入学式に連れて行ったり、季節の行事やお祝いを親しい人たちと自宅で楽しむ際娘を同席させる事も変だとは感じなかった。人目にふれることをタブー視するのは何故か。何かおかしいだろうか?隠さなきゃいけないのか?人それぞれ生き方や価値観は異なる。それを否定することは誰にも出来ないし、実際お世話をする身近な家族にしか分からない変化や気付きは、私は否定できないと考えている。
ただ、仮に、この娘が50年もこのままだったとしたら、娘本人が果たしてそれを望むだろうか?というのは疑問である。親はどんどん年老いて行き、延命のための経済的負担や労力は、映画を見ても容易に想像がつく。脳死になった時、「本人が」どうしたいかというのは、生前に話し合っておくか、ドナー登録以外に確認のしようがない。そういう意味で、臓器移植の意思表示を生前にしておくことの重要性をひしひしと感じさせられる作品だった。
乱暴な言い方かもしれないが、脳死になることは、この作品に限って言えばある意味天命である。もし、脳死は不幸であると言うならば、それは今生きている人たちの健やかな生活、人生を、苦しみや悲しみで支配し続けることをもって初めて不幸と呼ぶのではなかろうか。色々な家族の形があること、色々な生活スタイルや考え方があるということ、虐めたり異端視するのは当事者を更に追い詰め深く傷つけることを、この作品を通して考えさせられたし、また、一緒にプールに行った少女や、プールに付き添いした祖母の抱える罪悪感や苦しみを十分にケアする必要性も強く感じた。
希望は時に残酷で、この母親やテクノロジーの研究者(坂口健太郎)は結果的に行き過ぎてしまったが、希望をどこに見出すかを葛藤する登場人物たちの姿は、いじらしくもあった。母親の狂気を唯一止められたのは、生き残った少女の「ごめんなさい」というあまりにも悲痛な叫びだったのが印象的。子役たちが大変素晴らしかった。
また、反対にドナーを必要とする家族の側の作品を観てみたいと思った。そうしたら、この作品の印象がまた変わるかもしれない。
全体的に映画というよりはテレビドラマっぽい作り。ストーリーに男女の要素を入れているが、人間辛くてもお腹空いたり排泄したりするリアルがあるので、いいんじゃないかと。元々、夫が浮気して別居予定だった夫婦から始まっている話である。最後は娘が夢枕に立って母親にお礼言ったりして、綺麗にまとめた感あり。全体的に良作だったと思う。
母の気持ち
そうか、お母さん賢い!と思いました。
死者を殺す事はできないのに、
目の前の娘を包丁で刺し殺したら殺人?
矛盾しているなと思いました。
包丁で可愛い子が刺されるのは見たくないと
思っていたのでほっとしました。
お父さん、よく止めました。
しかし、実際の所、どうなのでしょう?
殺人になるのでしょうか?
親なら、すっぱり諦めにくい筈なので難しい。
ただ、プールには親が半ズボン穿いて
近くで目を凝らして水中を見ていないと
駄目と思っています。
よく出来た映画なのは間違いないが隠れた偽善的意図を勘ぐると手放しで称賛は出来ない
ネタバレ
演出、映像、演技など申し分ない印象で、特に篠原涼子の気がふれかかっている母親役はお見事でした。
※ただし元AKBの子はちょっと違和感があった。
しかし、結論としてのあの落ちは脳死からの臓器移植を積極的に推進しようとする巨大組織の意図が隠されているようで、何とも言えないグロテスクなおぞましさを感じないわけにはいかなかった。
まぁそれはあくまで主観的な問題に過ぎないかもしれないが、秘教的密教的な「霊魂論」の観点から脳死→臓器移植に関して興味深い報告をつい最近知ったのでかいつまんで記したい。
端的に言うと脳死はしても心臓が動いている場合、「意識を伴った霊魂」は肉体と結びついている状態であり、その状態で各種臓器を手術で取り除いたなら、霊魂は「おい、私はまだ生きているんだぞ! 内臓を取らないでくれーっ!!」と悲痛な叫びをあげるらしい。(さすがに「肉体的痛み」までは感じないらしいが・・・)
←「肉体的痛みも伴う」に訂正
※生前に臓器移植の意志を示していた人間であっても、実際に臓器を抜き取られる際にはうろたえるものらしい。
勿論そんなオカルトチックな話は「非科学的」とバカにする向きもあるだろうが、ある種の超常体験を少しだけでも経験した人間であれば一笑に付すなどとてもできないものだ。
よって、映画に関してこれは嘘だと感じたのが、脳死・心臓鼓動状態の少女が母親に夢で最後のお別れをした場面。
この場面は映画のエンディング演出としては最高に感動的場面となるのだろうが、先の霊魂論の在り方から個人的には拒否反応が生じてしまった。
※心臓の鼓動が停止後に死者の霊魂が身内などにイリュージョン的に表れるという心霊体験は良く見聞きするところ。
というわけで映画的にはよく出来ていてもあくまで心情的には拒否反応が強すぎたということですね。
マイナス三ツ星
それに、脳死心臓移植はまだ日本では認められていないと認識していたので、それもしこりのような大きな違和感として残された。
投稿後にいろいろ調べてみますよ。
追記:そうか日本でも脳死心臓移植が可能となっていたんだね。
2203-1
答えてください。娘を殺したのは、私でしょうか。
感想
愛する我が子の悲劇に直面し、究極の選択を迫られた夫婦ーそれは愛か欲望か?
衝撃と感涙の東野圭吾ミステリーを映画化!
心臓死か脳死、何をもって死とするのか…。
夫婦、両方の気持ちわかるんですけどね、わが子のいない私としたら母親はちょっと狂気に思えました。でも愛する我が子のためですもんね、技術の力によって動いたり、笑ったり、最初は嬉しいかもしれませんけど…。難しいですね。
子役を含め篠原涼子も西島秀俊も素晴らしい演技でした。
姪っ子は最初から何か隠してるなと思いました。
ラストは納得の決断ですかね。
※生か死か善か悪か愛か欲かー
お別れの期間を、決められるからこそ生じる葛藤
様々な視点から、何を「生きている」とするのか、考えさせる作品。
プールで沈んでしまった従姉妹の指輪を拾おうとして潜り、脳死になってしまった、小学校受験を控えた瑞穂。
夫が浮気し、それでも子供の環境をベストにしたいと小学校受験を考えるのだから、元々、母である薫子は希望を捨てずベストを尽くして頑張りすぎる傾向があることがわかる。
一方、バランスを取るように、物分かりの良い夫。
「あなたは泥にまみれない」
そう言われるとおり、浮気した事よりも、そのあと「それでも家族の元にいたいんだ」となりふり構わず言えなかった夫に、薫子は離婚を決意した経緯がある。
娘の瑞穂が脳死状態になった時から、瑞穂の弟の生人の生活は、瑞穂の介護中心になっていただろうし、どれだけ技術を駆使して瑞穂の身体をいつ生き返っても良いように保っておいても、脳が戻ることはない。
そこを重々わかっていても、一縷の望みがあるのかもしれないと薫子は願いを込めながら、毎日瑞穂の身体を保つ介護を続けていく。
技術で身体を維持できることで、家族が万が一の希望を持てると知る夫の和昌。
夫が社長として継いでいる会社で、反射神経に信号を与え身体を動かす技術研究をしている星野は、脳死状態の瑞穂に動きを与えると、死とされている肉体でも身体は健康を保てたり、家族に希望を与えられるという技術の喜びを実感し、使命感とやりがいを感じていく。
でも、瑞穂のお顔が、脳からの司令で笑う事はもうない。瑞穂の心が動くことは、もうない。
その現実を、客観的に関わる者ほど受け入れられるが、脳死かどうかすら臓器判定すると決めない限りわからない家族にとっては、身体が刺激に応えられるうちは命があると捉えるだろう。
脳死状態の娘の身体を在宅介護で維持する生活を、異様や不気味と思うよその目も、身体あるうちは家族の一員として暮らそうとする気持ちも、どちらもよくわかる。
でも、実際に、脳死状態の瑞穂の生命反応を止めようとすれば、皆がやめろという。
瑞穂の存在は、生き続けているから。
もしも在宅せず病院に置いていたら、病院のベッドで事前に心停止するまで眠り続けていたのかもしれない。
それを自宅で眠る事にした場合、できることがあるうちは、できるだけしたいのが親だろう。
でも自然に任せないそれは、人間がして良い領域なのか?
心臓移植を待つ父親が、国内ドナー提供が現れず海外での移植に向け募金活動を行う矢先、限界を迎えた子供の命が亡くなる。
瑞穂の心臓を差し出すべきか?
一瞬でもよぎる父親和昌に、移植待ちの父親は「脳死でもその子はご家族の中では生きている」と話す。
生きていた命のその存在は、皆の心の中でどこまでも生き続けると確信が持てるまでは。
皆がその命の肉体とのお別れを受け入れる覚悟ができるまでは。
誰にも脳死を死と思えなくて仕方ないと思う。
何年も在宅介護を続けて、夢で娘がお別れに来たその日、薫子は瑞穂とのお別れを受け入れ、その日を命日とした。
瑞穂が脳死状態になってから、弟の生人が小学校入学しお誕生日を迎えるまで時は進んでいるので、おそらく2年半程度経過しているのでは。
その間、お世話を続けた母薫子の気持ちの葛藤、体力と精神の消耗は凄まじいだろう。
なぜそんなに頑張れたかって、目の前に我が子の命があるからにすぎない。
大病中の子供の看病と、親としてすることは違わない意識なのだと思う。
目の前の妹親子の若葉ちゃんがどんどん成長し、身体とともに思考も大人びてきて発言もお姉さんになっていく過程と、瑞穂の容体との対比をさせられるのが、見ていてとても酷だった。
でも、若葉ちゃんは心も成長してきて。
全く悪気のなかった瑞穂の事故なのだが、一因を持ってしまった時、どんなに罪悪感に苦しんできただろう。
そこで、正直に話し、大きくなったら瑞穂の介護を手伝うと言い出せた勇気。
脳死状態の瑞穂を見続けるうち、周りも様々な想いを抱き変化していく。
弟の生人も、外の人間が脳死状態の姉を見る目にもろに晒されて、家では祖母も母も瑞穂につきっきり。
寂しい気持ちを思うと、辛くてたまらなくなる。
皮肉な事に、目の前のその人に本当にいて欲しいと思う気持ちは、薫子の中では、和昌に対してよりも、健常な生人に対してよりも、瑞穂に対しての方が大きかったのでは?
でも、瑞穂に関してそれぞれが気持ちを打ち明ける事ができて、話し合えた時、薫子と妹も、祖母と薫子も、薫子と和昌も、家族になれた気がした。
受験や離婚や娘の脳死状態を通してもなお、家族に当事者としてぶつかることをしなかった和昌が、何をもって死とするかの実感があったのは、心臓が止まった時だった。
ところが、心停止したあとの瑞穂の心臓は移植され、物理的にも別の子の中で生きている。
脳が死に、心停止してもなお、瑞穂は生き続ける。
瑞穂との記憶や想い出や存在感も一生、生き続ける。
心の中にどんなに生きていても、肉体の死は受け入れ難い。
でも、肉体をどんなに生かして笑顔に操作しても、心からは笑わせられない。
心からの笑いは、脳が生きているから。
生きているうちに、生きている家族や周りと、
心を通わせよう。脳を通わせよう。
お別れが突然の死でないからこそ、
判断が生命に影響してしまうからこそ、決められない。
超重たいテーマだけど、これは見てよかった
子供のいる方や、自分よりも大切な何かがある方全ての人に重くのしかかるテーマを貫き通した一作
正直あっと驚く展開とかではないけど、脳死と死、人が生きているとは何なのか、そういうものをちゃんと直接的に描いていふ映画だった。
日々、漠然とは思ってるかもしれないけど、まさに眼前に突きつけられる疑似体験みたいな映画だ。
多分、自分も同じ境遇になれば、死んでいるとはとても思えないし、生きていると思いたいし思ってると思う。いつか目覚めることを願うのもあるし、目覚めなくても死んでるとは思わないと思う。
人は何も脳だけではない。体の全てがその人だ。自分は多分、脳死を死と受け入れないと思うし、それが間違いだとも思わない。
これがフィクションではなく、リアルである方々も世の中にいるのだと思うけど、そういう人たちへの見方も良くなると良いなと感じた。
辛い
もしも私が大事な娘の瑞穂(稲垣来泉)の脳死を告られた母親の薫子(篠原涼子)の立場ならきっと耐えられないと思います。医者に脳死か心臓死のどちらかを選べると言われたってそんなの簡単に受け入れられるはずないし、臓器提供の話をされても困惑してどうしていいか分からないと思います。
この作品ではまだ未完成な最新技術を駆使してまるで娘がまだ生きているかのように共に過ごしてしまったことにより、母親である薫子に希望を抱かせてしまいました。そして周りの家族をも傷つけてしまいました。
始まりから終わりまで辛いお話ですが、なぜ瑞穂は脳死してしまったのか。その真実を知った時私は涙が止まりませんでした。
急に自分も当事者の気持ちになる
途中までは、主人公の母親から一歩引いたところで取り巻きの近所の住民のように「どうせ死んでるようなものなのに」と無意識に考えていた。だけど、あの包丁のシーンで突然「殺してはダメ」という感情が出てくる。視聴者をその場にいる家族と同じ心境にぐんと一気に引き込むのはすごいと思った。終わり方まで納得感がありました。
大切な人を見送ることの難しさ
子供の事故死から始まる異常な話を、
好感度の高い役者さんたちが演じることで恐怖映画ではなく、
ぎりぎりのラインでヒューマンドラマとして成立していた。
これがもし現実だったら恐ろしい光景なのに、
異常ではないことと当たり前のように処理されて、
淡々と話が進んでいく恐怖。
映画館で見るべきだったなあと思いました。
(今回自宅のモニターで鑑賞)。
小説では松坂慶子さんが演じたおばあちゃんと
西島秀俊さんの演じる夫の人物描写がもっとあったんじゃないかなあ。
中盤で動きがあっても良かったと思う。
辛すぎた
アマプラにて。小説は未読。
東野圭吾とは知っていたから、映像から伏線だなというところは見え見えだったけど、どう着地するのかは全然分からなかった。
プールに行き脳死かもしれない状態になってしまった子供。状況を受け入れられず脳死判定を拒否する親。
これってどれくらい当たり前なんだろう。。そもそもこれが当たり前なのか、受け入れるのが当たり前なのか。
辛すぎて、寝たきりの娘を介護するのも、電気信号で動くことに喜ぶ姿も、見ていて苦しかった。
どうしても、自分だったら、娘がそうなったら、と考えてしまう。
どこから泣いたか分からない。
エンディングの歌が終わるまで泣いていた。
犬が心配して寄ってきてくれた。
脳死かもしれない子供を殺したら、死刑になるのか、ならないのか。
子供がこういう状態になったら夫婦足並み揃えて生きていけるのか。
折を見て小説を読んで、また泣きたいと思った。
刺さる言葉の連続。終始鳥肌。そして久々に涙ポロリ。
究極の葛藤に心えぐられ、泣いちゃいました。気持ちが分かるんです。自分の大切な人が生きていると信じたいのは誰もが理解できる。しかし、脳死の娘を"生きている"かのように見せられた側の戸惑いも容易に想像できる。。。
主人公がナイフを持って娘を刺そうとしたシーンは鳥肌が止まらなかった。自分が娘を刺して、刑に服するなら、喜んで受ける、と。なぜなら、それは「娘が生きていた」ことが認められたことになるから。
その後も突き刺すようなセリフの連続。脚本家天才。「人は二度死なない」「生きてる死体にしておかないから」という主人公。「俺が君に"偽りの希望"を与えてしまった」という夫。さっきまで娘は死んでいると言っていた夫が、必死で娘を守るシーンは、涙で視界がぼやけて何も見えませんでした!涙
娘が主人公に別れを告げたシーン。「幸せだったよ」というセリフに救われるような気持ちになった。
最後に。東野圭吾、天才すぎ。。
泣きました
娘さんとの最期のお別れで号泣しました。
あの目を開けた瞬間に、
あ…最期のお別れなんだなって。
もう逝くんだな…って、、
だけど、映画の世界だから
生きて!奇跡を…なんて一瞬思ってしまいました。
内容や設定は違いますが
私も似たような経験があるので。
大切な人が亡くなった時、夢の中でしたが
最期に会いにきてくれました。最期のお別れです。
一言も言葉はなかったんですが、ぎゅうっと
抱きしめてもらいました。
それと重なって号泣してしまいました。
映画のテーマは大変重たいものでしたが
集中してみれて、あっという間に終わりました。
むずかしい作品
溺れて脳死となってしまった傷ひとつない状態の娘を技術を使って、電気の力で体を動かすことができるようになったけど、結局脳死していて、自発的には呼吸ができておらず、脳死から回復することは無いと言われてることが多いらしいです。
それでもお母さんは目を覚ますと信じて、ずっと眠り続けている娘を家で面倒見て、車椅子で散歩させたり。
けど母親からしたらそれが普通のことで。
けど周りからしたら亡くなっている子をずっと連れて歩いているみたく観られてしまう。
機械を開発した人も、身体は元気になっていく姿を見て自分の開発は成功していると、頑張ってお母さんの手助けをしています。
そこにも父親は、徐々にどんどん違和感をいだいています。
そして自分の娘をドナーに出そうと考えます。
どれが幸せなのか、どれが正解で
どれがダメで、どれが不正解で。
息子ちゃんの気持ちもわかるし、もし自分が同じ立場になった時、どの角度から人を見ることになるんでしょうかね。
自分がどこに当てはまるかもわからないです。
化学的に死んでいると言われている娘に
刃物を突きつけて、死んでいる子に包丁で刺したら
罪に問われますか?と。
これはサイコパス映画ではなく
人間の映画でした。
これを親子愛と呼べるのか
執着と呼ぶのか。
けど最後は、旦那様も奥様を受け入れて
2人で娘さんを連れて散歩へ。
娘からお礼を言われている幻覚をみて
臓器移植をすることにして、命が一つ助けられました。
考える作品です。
脳死について考える
ある夫婦の子どもがプールで溺れ、脳死と診断される。
脳死となったので夫婦は悩んだ結果、臓器提供することにしたのだが、手術当日、娘の手を握っていると、娘が手を握り返してきたことにより、娘はまだ、生きている、治療をすると考えをかえる。
脳死の状態でも体の反射反応で体が動くことがあるそうだ。なので意識があって握り返したわけではない。
この夫婦の夫の方は事故などて半身付随となった患者のための、脳波を使って体を動かすような機械の開発をしている会社につとめていた。
そこで似たように脊髄に刺激を与えて体を動かす機械を開発している青年と出会い、娘を治療してもらうことにした。
すると娘は意識のない中機械を使って足や手を動かすことができるようになった。
回りから見ると異様な光景である。
娘の母薫子は生きていると信じ体を動かし続ける。娘の笑顔も、機械でつくらせる。
娘の父和昌は、生きているとは思えないと、薫子がやっていることは度が過ぎているという。
娘の祖母も娘の介護を薫子と一緒にしているが、薫子には意見は言えなかった。そもそも娘がプールで溺れたのは自分の責任と思っているからだ。
娘の弟は、自分の入学式に眠ったままの姉を連れてきてこられたことで、死人を連れていると噂されいじめられてしまっていた。
誰の気持ちも、分かりつらい。
母の薫子は娘が死んでいるというならここで娘を包丁で刺して殺す、と。死んでいるならいいじゃないと。
途中までは母親の気持ちもわかるので、もしかしたら意識を取り戻すことがあるのかもしれない、と応援したい気持ちもあったが、機械で娘を動かして、外に連れ出したりしているのを見ると怖くなってくる。
人の死とは、を考えさせられる映画でした。でも答えは出ていない。。
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