「人の死の定義とは何か」人魚の眠る家 sdfghjklさんの映画レビュー(感想・評価)
人の死の定義とは何か
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東野圭吾が描く殺人ではない「死」については、毎回好きな傾向がある。
日本において脳が停止した場合、
①心臓移植を決めた場合には脳死を診断して、死亡を認定される
②移植をしない場合にはそのまま生きていると認定される
という2パターンがあり、今回はその②を選んだ家族の物語。
確かに現代の医療をもってすれば、身体を動かすことは出来、その結果身体が成長をするかもしれない。
意識が止まった瞬間(脳が死んだ瞬間)なのか、心臓が止まった瞬間なのか。
それとも最後のシーンにあった、お父さんが「死を認識できたのは心臓が止まった時ですかね」というコメントに対して、「じゃあ、まだ生き続けてますね(心臓移植によって)」というコメント。死を定義するのは、人それぞれなのかもしれない。
確かに自分自身の生は、自身の意識によって成り立つかもしれない。
ただ、それぞれの意識のなかにそれぞれの生があり、生き続けているのかもしれない。だからこそ、他人にとっては死んでいても、彼女はお母さんの中では生き続けていたのかもしれない。そして、それがある種の恐怖に見える瞬間も生まれるのかも。
重いテーマだったけど、暗くなることなく考えさせられる良い作品だった。
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