「現代に生きる若いアメリカ人男性が三人。」15時17分、パリ行き akkie246さんの映画レビュー(感想・評価)
現代に生きる若いアメリカ人男性が三人。
私は、当日朝にこの映画の存在を知り、その一時間後には、劇場の椅子に座っていた。C.イーストウッド監督、そして本人たちの主演ではなかったら観ていなかったと思う、そして観れて良かったと思う。これもひとつの偶然である。
現代に生きる若いアメリカ人男性が三人。アメリカ軍人二名、民間人一名。小学校時代からの親友三人。名もなき若いアメリカ人である彼らが時のフランス政府から表彰されるに至った経緯とは?そして彼らの人となりとは?
そもそも私は本日、花粉症の為、上映開始からハナグズグズであった。前半から、涙目が始まり、ラストは鼻汁と涙でずるずるになった。感動のためなのか、花粉のせいなのかわからない、こんなに長く泣いたのは初めてに近い。ただ、そこまでドラマチックな映画だったのかと問われれば、そうではないような気もする。ローマ観光はたしかにそれほど華やかなエピソードもなく、あえて語り継ぐほどの要素は特にないだろう。淡々としている。
しかしまさに、そこにこの物語の本質がある。ごく普通の西欧観光に訪れたごく普通のありふれた若者たちが、予約していたパリ行きの特急列車の中で、たまたま無差別殺戮が始まろうとする瞬間に歴史的殺戮を行おうとする犯人との至近距離に居合わせた。
迷ってるヒマはない。犯人は、テロリストだ。すでに弾は放たれ、銃弾は肉を破っている。撃たれた乗客の手当てをしなければ彼は死んでしまう。イーストウッドの演出と編集は的確にして鮮やかだ。
ストーリーは単純。彼らが、この列車に乗り合わせた経緯と、彼らの列車内での言動、そして事件後の華やかな表彰式やパレードの模様を、必要な長さで描いている。
ただ、彼らが少年時代だったときの映像は、他人が演じなければいけないので、かなりの部分は演出が含まれていると思う。そして、軍に入るときと入った後の訓練など本人が演じる自分のエピソードにも幾分かのフィクションは含まれるだろう。しかし、そんなリアリズムはどうでもいい。ローマ観光、そしてアムステルダムまでは、誰ひとり名前も顔も知られないただの若者だったわけだ。映画撮影時、彼らは彼らの物語を追体験しているわけだ。我々観客は、彼らがどんな思いでそこにいるかまではわからない。
色々考えてゆくと、実際の表彰式のテレビ映像を使用したいが為のフィクション部分の撮り直しだとしてもものすごい手間がかかかっていることになる。映画史的にもかなりの実験的手法なのではないかと思う。
この映画は、ノンフィクションあるいはドキュメンタリー映画のようであって、やはり、フィクションには違いないのだ。
悪がなされようとしたとき、まさに三人の天使によって悪魔が封じられた話ともとれる。
ただ、観客の中に若干の物足りなさを感じた人がいるならば、私も同じだ。善がなされるとき、悪は我々のがまんの限界まで善を蹂躙していなければならない。悪が強ければ強いほど闘いは面白くなるのだ。そこで私たちはカタルシスを感じる。闘牛士は、強すぎてもだめ、弱すぎてもだめなのだ。
もう一つ私が思うに、脚本的な物足りなさも感じる。犯人側の論理や、犯人の計画や裁判風景などが全くなかったことだ。あえてこの部分を切った理由は、原作が主人公たちのノンフィクションだったからなのだろうけれども、フランスが犯人をどう裁いてゆくのかにもわたしは興味がある。
とにかくイーストウッド製作監督の次回作がひそかな楽しみになった。