「映画を観たあと、哲学出来るか?」響 HIBIKI やまむーさんの映画レビュー(感想・評価)
映画を観たあと、哲学出来るか?
単純に、
女子高生が嫌みな大人を相手に暴れ回るエンタテインメント
として楽しむことも出来ます。
カッコよくて可愛いアイドル映画と思って楽しむことも出来ます。
映画を観終わって、様々な「問いかけ」に気付いて
うーむと考えることも出来ます。
そうやって特に本好きにとっては
その事で酔っぱらうまで誰かと語り合うことも出来ます。
僕が映画を見終わって、感じ、気付いて
酔っぱらってしまった「問い」は
たとえば・・・
「作品の評価と、
それを生み出した作家の人間性は、切り離すべきか?」
「自分とは違う感性を、理解できないからと
切り捨ててもいいのか?」
「自分の隣に、どうやっても越えられそうにない天才がいたとき、
凡人はどうするか?」
「たとえ天才だからといって、全てが許されるわけではない、
というあたりまえの現実をどう思うか?」
「芥川賞と直木賞を同時受賞できるような小説って、
どんな小説なんだろう?」
「どうやったら、鮎喰響みたいになれるか?なりたいか?」
「そもそも、響ってどんな本を読んでいるのだろう?」
「もし響にまったく文才がなくても、
彼女の曲げない生き方を認められるか?」
「自分に、自分の好きな世界で才能がないことが判っても、
努力し続けられるか?」
「バカばっかりの世界で、自分はバカじゃないと言いきれるのか?」
「知りうる事象の一面だけを見て、
他人を批判できるのか、するべきなのか?」
「誰かを守るために振るう暴力は、否定されるべきなのか?」
「自分の感性が、他者と違っていることに気付いたとき、
人はどうするのか?」
「今いる社会のシステムが悪いのか、
自分の感性が異常なのか、迷ったことはないか?」
「伝わらない想いがあるとして、伝えられない相手が悪いのか、
受け止められない自分が悪いのか?
「天才は、世の中に必要なのか?他人と関わるべきなのか?」
「そんな疑問の中で、
自分の感性を信じ切ることが、自分には出来るのか?」
映画から哲学を読み取るのではなく
映画を観て哲学することのできる作品と感じました。