「CMと内容が違いすぎる」未来のミライ 柴犬さんの映画レビュー(感想・評価)
CMと内容が違いすぎる
未来のミライちゃんがほとんど出てこないし、冒険モノでも無いです。そしてストーリーは間延びしていて、盛り上がりに欠ける印象がありました。
また、自分自身に妹がいたため主人公の4歳の男の子に共感してしまい、ただただ辛い気持ちになりました。
4歳の子供が妹の登場で、今まで注がれていた愛情を失い、自信を喪失しています。自分の事を「かわいくない」とまで言わせる両親には問題があるのではないでしゃうか?
親は眠っているくんちゃんに向かって「宝物」と言っていますが、誰一人として起きている状態のくんちゃんに向き合っていない。それをそのまま、相手に伝えることは出来なかったのか?
自分が宝物だと思っていれば、相手がどう受け取ろうと蔑ろにしていいのだろうか。
最初はあんなにミライちゃんを可愛がろうとしていたくんちゃんが、ミライちゃんを拒絶するようになった原因を誰も考えていない。
時間の移動は愛情不足からくる妄想だと言われた方がしっくり来ました。
壁にあたり、かと言って現実世界では誰も何もくんちゃんに向き合わない。親の関知しない妄想の世界でアドバイスを見つけ、それで乗り越える。
にも関わらず「お父さんが応援してくれたから」と勝手な解釈をして、くんちゃんが不満を抱えていることにろくに気が付いていない両親。しまいには「そこそこよくやっている」とまで言ってしまう。
4歳の子供に、なりたくてなった訳では無い「兄」である事を押し付ける周囲の大人にイライラしました。
東京駅の描写では、くんちゃんは「ミライちゃんの兄」というポジションでしかアイデンティティを認めてもらえなかった。兄と認めないと、お前はずっと一人だと脅されてすらいる。
現代の「個人を尊重する」という価値観には即してないのではないかと感じました。
「今までのみんなが居たから今の自分がいる」なんてまとめられても、だから誰も自分の事を見てくれなくても我慢しろ、としか受け取れなかった。こんな理由で納得ができる人がいるんでしょうか?
血縁さえ繋がっていれば、どんな行為でも許されるのでしょうか。
これも現代社会には合わない、古い考え方だなと感じました。
ただひたすら、お前は兄である、妹に全てを譲り、全てを我慢するべきだ、という事を押し付けられた時間でした。
現代の育児、血縁主義に問題提起する、という意味ではいい作品だと思いますが、CMとあまりに内容がかけ離れていると感じました。