「日本の青春映画としては出色の出来栄え」志乃ちゃんは自分の名前が言えない 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
日本の青春映画としては出色の出来栄え
自尊感情が低い人は世の中に多いと思う。どうしてそうなってしまったのかは、たぶん本人にもわからない。自尊感情を持つようにすすめる人はいる。そういう人は、一度きりの自分だけの人生なんだから大切にしないといけない、同じ意味で自分自身も大切にしないといけないという意味のことを言う。
しかし世の中を見渡せば、幼くして殺されたり餓死したりする子供はたくさんいるし、人間以外の生物の多くは、生命そのものを蹂躙されている。自分の人生や自分自身を大切にしなければならない理由はどこにもない。それよりもこんな世の中に自分を生み出した親を恨む。
このあたりまでは、たくさんの人が辿る道である。そこから先は人によって進む道が違ってくる。中には生まれてきたことを恨む気持ちが世の中全体に向かって、誰でもいいから殺したい、自分も死にたいと、自爆的なテロ行為に走る人もいる。しかしそれは本当にごく少数で、たいていの人は、日常生活の中に自分なりの小さな幸せを見つけて、つつましく生きていく。そのために必要なのは、低い自尊感情と現実に存在している自分との折り合いをつけることだ。実存的な問題である。
本作品では、自尊感情の持てない3人が、互いの関係性の中で生きる喜びを見出そうとしていく。まさに青春模様で、覚束ないギターを弾き、テクニックなしの歌を歌う。吃りの人でも歌うときは吃らないのは昔から知られているが、志乃の歌は特にまっすぐな歌い方で、亡くなった加藤和彦を思い出してしまった。彼も心に闇を抱えたまま生きていた人で、遺書には「消えてしまいたい」と書かれていた。同じような思いを持つ志乃に彼の歌を歌わせる演出が心憎い。演じた南沙良は鼻水を垂らしながら泣く熱演で、役によく入り込んでいた。
蒔田彩珠はテレビドラマで見かけた不機嫌な少女から一歩脱して、期待と不安に揺れる思春期の乙女を見事に演じる。この人の落ち着いた演技がなければ志乃の役が成立しなかったと思う。
世の中の価値観に迎合せずに人間の真実に迫ろうとする意欲的な作品で、日本の青春映画としては出色の出来栄えである。