「世界の終わり」志乃ちゃんは自分の名前が言えない kkmxさんの映画レビュー(感想・評価)
世界の終わり
私にとって本作の魅力は『世界の終わり』につきます。
本作の舞台は90年代末期ごろでは、と思います。この作品は時代考証が非常に雑で、90年代の空気はほぼ伝わってきません。女子高生のファッションも髪型も、何もかも90年代の匂いがしません。
しかし、この『世界の終わり』だけは伝わってきました。なぜならば、Thee Michelle Gun Elephant は、90年代末期に勃興した、日本のロック文化の黎明期を象徴するバンドだからです。この偉大なる日本のロックバンドのデビューシングルを選んだおかげで、「本作は98年ごろの物語なのだ」と感じることができました。
ミッシェルの登場までは、日本のロックシーンはかなり洋楽とかけ離れた存在でした。Boowyベースのビートロック〜V系バンドのリスナーはあまり洋楽を聴かなかったし、その逆もしかり。
しかし、ミッシェルの登場によってその壁が破られました。ミッシェルはそれまでのロックバンドが持っていた歌謡曲っぽさを完全に払拭し、洋楽と日本のロックのハイブリッド化に成功したのです。
97年にはフジロックがスタートし、ミッシェルは98年のフジロックに登場。
「俺たちが日本のThee Michelle Gun Elephant だ!」
というチバの有名なMCは、新しい日本のロック文化を体現したものだと思います。翌99年にはハイスタのMaking The Roadがリリースされ、椎名林檎がブレイクします。
この時代、フェス文化が生まれ、洋楽〜邦楽の壁を越えたロックミュージシャンたちが台頭し、日本のロック文化は確実に新しい段階に進んで行きました。この流れはおそらく現在にもつながっていると思います。まさか、こんなに各地でロックフェスが行われる国になるなんて想像もできなかった。現在のロック文化の生成には、確実にミッシェルが大きな影響を与えています。
加代は90年代末期のロック少女です。オアシス、グリーンデイ、ブランキーあたりが並ぶCDラックからは、ロックを覚えたての瑞々しい熱気が伝わります。ボブ・ディランはやや異質ですが、アコギを選んでいることから、彼女の神なのかもしれません。きっと彼女は、フジロックの誕生やミッシェルのオールスタンディングツアーを目の当たりにして、ひとり胸を熱くしていたのでは、と想像します。やがて彼女は椎名林檎の登場に仰天したり、Radiohead を聴き始めたりしてロックの深みを体験したりするんだろうなぁ、と思うとなんか涙が出てしまう。
覚えたてでアルペジオすらできない加代のヘタな生ギターと、装飾が一切ない志乃の唄で奏でられる『世界の終わり』は、彼女たちと同じ時代に生きていた私の胸には深々と突き刺さりました。この曲を聴けただけで、本作を観た甲斐がありました。
個人的には、本作の魅力はしのかよを結成し、橋の上で『世界の終わり』を歌う中盤までで終わっており、それ以降は蛇足でした。物語があまり丁寧に紡がれていないため、後半の展開はぎこちなく、無理にエモくさせられているようで乗れなかったです。