「そのままの自分自身を受け入れるということ。」志乃ちゃんは自分の名前が言えない 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
そのままの自分自身を受け入れるということ。
鑑賞前に原作コミックを買った。二人の揺れ動く心に、胸が軋んで仕方がなかった。志乃ちゃんの戸惑い紅潮する表情や、加代の素っ気ないながらも気遣う表情も、すんなりと伝わってきた。
これを、映画は十分すぎるほどに表現してくれた。舞台を海沿いの町に変えたのも解放的な雰囲気がでてよかった。そして太陽光の照り返しが幾度となく二人を照らすのだが、それは海辺だからこその光だと思うし、そのてらてらと揺れる光が二人の心情とシンクロしていて引き込まれた。
あらためて。「うまく喋れない」吃音症の志乃、「うまく歌えない」音痴の加代、そしてそこに「うまく空気が読めない」おそらく軽いアスペの菊池。うまくいかないから逃げていたり、他人を拒否していたり、過剰におどけてみたり。多感な高校一年生の彼らが、うまくいかない自分に、自分自身が苛立ち、嫌いになり、どうしていいかわからなくなる。やっとこの子とならうまくいけそうだ、自分の殻を破れそうだと思っても、ちょっとしたことでまたつまずいてしまう。結局、思うようにはいかないものだ。「頑張れ」って言われても、それに応えようとすると自分を追い詰めてしまうだけだし。そんなもどかしさを言葉にせず、観ているこちらに伝えてくる演出の見事さ。そして二人の若い女優のすばらしさ。
※ここからはまさにネタバレですので注意。
最後、結局、志乃ちゃんは吃音を克服できていない。でも、それはこれまでと同じように逃げているのではなく、自分自身を受け入れたってことなのだ。どもってしまう自分を恥ずかしがらずに、これが自分なのだと肯定したのだ。直前のシーンで、加代がステージ上で、叫ぶ志乃を見ながらほほ笑むのも、志乃が自分を受け入れたことに気付いて嬉しかったからだと思う。