フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法のレビュー・感想・評価
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「マイマイ新子」みたい。しかし、その背景にある社会は・・・
社会派ドキュメンタリー風の映画です。子役も良いのですが、脚本がよくできていると思いました。子供の視点で日常生活を描きながら、だんだんと厳しい現実が見えてくる展開とかが上手い。
表面上はフロリダの真夏を子供が駆けずり回るだけの映画です(撮り方が上手い)。ぶっちゃけそれだけ。そこにあるのは子供の世界。雰囲気が似てる映画としては「マイマイ新子と千年の魔法」みたいな感じ?しかしその背景にある社会構造は、「マイマイ」とは全然違っている。
この映画の妙にリアルで嫌ぁな感じがするところは、悪者が登場しないところ。まぁドキュメンタリーだから当たり前か笑。現実世界でもそう。こいつさえいなければ!という悪者はいない。だからこの世界は、もはや救いようがないんだよね。
この先の話は、映画からは少々脱線しますが・・・
この手の映画のレビューに「自己責任じゃん」っていう感想を言う人がいるのですが・・・この映画に登場する、モーテル暮らしの母親や父親達に対して自己責任だ!と言って何になるのか?
とはいえ「モーテル暮らし」という条件は、非常に特殊なものなので脇に置いておこう。
そもそも、「自己責任により人は不幸になるのだ!」という論理自体に、僕は反対する。人間はこの論理に従うべきではないと思う。何故か?それは、この論理は、無条件に世界のほとんどの人間を不幸にするから。これはどういうことか。あなたは、現実世界で頻繁に、「自己責任だから仕方ない」って思う場面が多いでしょう(僕は多い)?それは何故か?「自己責任で不幸になった人」を頻繁に目の当たりにしているからだ。つまり、「自己責任により人は不幸になるのだ!」という論理に従った場合、世界のほとんどの人は不幸になってしまう。
みんな勝手に、「ああ・・・これも自己責任だな。」と思い込み、不幸になっていく。これが、先進国における、本当に深刻な「負の連鎖」だと思う。それでもあなたは、この論理に従いますか?
母親とは何か、考えさせられる
こどもの目線で楽しく見られるが、貧困を抜け出せない悲しい話。
こどもと楽しく遊べる良い母でありながら、衝動的で収入が安定しない、仲の良い友達との関係も修復できず壊れてしまう。こどもと楽しく無邪気に遊ぶのは、なかなか現代の母は苦手かもしれない。参考にしたいと思った。
最後のムーニーの I can't say に心揺さぶられ、こども目線での疾走感のあるエンディングに余韻に残る。
芝居がヤバイ!
カラフルさに隠れた負の連鎖
万引き家族と同じテーマ
アメリカの現状を伝えた映画。
主人公の女性に行政の助けはないのが現状なんでしょうね。
彼女をサポートする団体があったら。
アメリカに必要なのは何なのか。
それを問われている。
子供達のもうお別れという最後にしたいことがディズニーランドに行くこと、っていうのが観てて虚しかった。
Somewhere over the rainbow
鑑賞してから何日もこの映画のことを考えている。
Starletに引き続きショーン・ベイカー監督作品を観たのだが、本当にひとつひとつのエピソードと構図が、そうでなくてはならないところで収まって、はなはだ映画らしくないのに、しっかりと映画になっている。
3人で回し舐めするソフトクリームの味は、子ども時代の味覚を惹起させるし、ジャンシーの誕生祝いに見物するディズニーランドの花火の場面は、どうしたわけかノスタルジーを伴って心を打つ。
ウィレム・デフォー演じるモーテルの管理人は、堅物で二言目には「出て行ってもらうぞ!」と凄むのに、ヘイリーとのもめ事で数えるスリーカウントは、阿部四郎のそれだった。ドアから出るの待ってるやん!と笑って、それからなんとも言えない温かな安堵感に包まれる。
そして、ムーニーを演じるブルックリン・キンバリー・プリンス!
驚くような悪態をつき、したたかな女の一面を見せたかと思うと、火事場の見物で母のヘイリーから写メを撮ってもらうときの表情は、罪悪感からとてつもなくこわばっている。ベイカー監督は、彼女にどのような演出をしてあの表情を引き出したのだろう。それとも、彼女のもつ女優としての才能なのだろうか。
モーテルの向こうに虹がかかり、ムーニーとジャンシーが交わす他愛もないおしゃべりに、製作者の伝えたいことが透けて見える。
「妖精は虹の袂に金貨を隠してるんだって。でもそれを誰にも分けてくれないんだ。」
いまや富は一部の人間のもので、貧しい人々がその貧しさから抜け出すことはない。社会の構造そのものが、努力でどうにかなるシステムではなくなった。暮らしていけないわけではないけれど、暮らしていくのがやっとの生活から抜け出せないでいる隠れた貧窮者は、いまやアメリカだけの社会問題ではない。
「大人がいつ泣くか、私はわかるんだ」と冷徹な一面すらもち、常に楽天的でタフな女の子として描かれるムーニーの最後の号泣に、観ているこちらまでなすすべなく途方に暮れてしまった。
これは、すっかり機能不全を起こしてしまっている現代社会に、すっかり手をこまねいて立ち尽くす大人への、SOSなのだ。
それなのに、立ち上がって行動を起こしたのが、同じ環境に置かれたジャンシーだったのでは、大人の面目丸つぶれだろう。
一見ハッピーエンドのような幻想的なエンディングに、手放しで幸福感を表明できないのは、そんな理由からだった。
穏やかに、しかし鋭く現代社会を糾弾するショーン・ベイカーの声に、これからも耳を澄ましていこう。
妖精はふもとに金貨をかくしてる
子供の頃は、
いつも友達の後についていって
あまり知らない土地や風景を
目にした。
何回かしゃべって
いつのまにか、
遊ぶようになって
気がつけば、いつも隣にいたヤツ。
へんな事に、こだわって
腹がいたくなるほど笑った。
画面からは、
あまりにも無邪気な
日常が溢れて
かつての毎日にかさなり
居心地がいいです。
途中までは…
ある出来事から
少しずつ
崩れ始める日常がせつない。
この作品のすごいところは、
娘のムーニーの耳目から
間接的に伝わる状況は
作中の彼女は理解できなくても
大人の我々にはわかるところ。
痛いのは、親の立場で、
無知はしょうがないでは
すまないということを
さらしていく描写が
容赦ないところ。
夢と現実の対比を
・管理人な誠実さと母親の傍若無人さ
・遊園地と貧困住宅
・子供の無邪気な笑顔と現実の貧困
のような対面のものを対に
みせることで
それぞれが強調した印象をもちます。
将来の展望が描かれることなく、
ひどくつらい現実が今後も
見えるのにも関わらず
あんまり憂鬱にならないのが
不思議でした。
母親のヘイリーが
娘のムーニーを
凄く大事に扱う愛情深い姿勢と
終始にわたって
ムーニーの無邪気な
キラキラがあったからかな。
ラストシーンは、
ちょと印象的。
心からのSOSへの応じ方が
💮。
「優しいまなざし」等と上から目線で語りたくない。
やばい映画のひとつ
いい映画
好き嫌いが分かれるかもしれませんが、凄くハマる映画だと思います。最後のオチ?はちょっとファンタジーっぽくなって残念ですが、私は子供の時アメリカに住んでいた経験があり、めちゃくちゃリアリティがあって最後まで目が話せませんでした。日本でもありうる話ですが、日本では教会の配給ないし人に助けを求めたりする文化がない分、日本の方が暗い貧困になりがちだと思います。泣ける話ではないけど、色々な考えが心をめぐり深いです。貧困は教育や世代連鎖などの問題があり、ある程度は自己責任の部分もあるけれど、子供には産まれてくる環境を選べない。子育てしてる女性のほうが共感できる部分多いのではないかと思いました。
50点
ディズニーの近くにある安いモーテルの
貧困層の方の話らしい!
比較、リアル、子供からの目線
ディズニー行かずとも子供は楽しめている
ただ母親がクズでフラッシュバックw
下の階の人に床ドンでフラッシュバックw
子供の泣いたところで昔思い出して号泣w
子供に罪はないしアホな親とおったらアホ
なると思う、、、最後意味わからんかったけど
最後に真夏の魔法のひと時をって事かな?
事故フラグっぽかったけど…
あ、前半普通すぎて苦痛
夢のすぐ裏にある現実
フロリダのディズニーランドのすぐ近くで繰り広げられる課題を抱えた親子の物語です。
監督がキャスティングに力を入れただけあって「これは演技なの?」と何度も思いました。
特に印象に残ったのは売春相手の男を家に招くためにヘイリーがムーニーを浴室にとどめておく所です。そこまでしてでも生活費を稼がなくてはならないと余裕がなくなるヘイリーと、言葉にはできないけど不安を抱えるムーニーの視線にはとても訴えるものがありました。
貧困が彼女をそうさせる
映画の予告編を観る限りで
はシングルマザーが健気に一生懸命生きていて
それを助ける管理人の話だと思っていた
観損ねていたのでレンタルして観ることにした
私の思っていたストーリーとは全く違っていた
母親は健気どころか 詐欺まがいや売春をして暮らしている
注意されてもどこ吹く風
いったいこの女 何?と共感は得られなかったが
その裏には貧困というものがあり 仕事が欲しくても
働けずやむを得ず そういうことをしなくてはならないと言う
彼女の姿があったのだ
金持ちとはいえないけれど
ご飯も食べられ明日の暮らしを心配しないで済む私には
この作品を観る鑑賞能力がかけていた
もう1度見直すつもり
しかし あの女の子演技が凄い
ラストはほんとうに泣けた
ボビーが優しい
夢の国にも現実にも同じ虹は架かるけれど…
街中のどこを切り取ってもフォトジェニックなフロリダの街は、こども達の視線からは、終わりのない探検を続けられる「夢の国」のようにワクワクに満ちている。
それでも彼ら彼女らもきちんと「おとな」に成りかけていて、現実の厳しさやおとな達の困難を全部ではなくとも、肌で感じ取っている。
「大人が泣き出しそうな時がわかる」って、ムーニーに言わせてしまう世の中は残酷だと思ったし、最後になって泣き出してしまうムーニーに私たちはなす術もないことを実感する。
母親であるヘイリーは若くして厳しい現実にぶち当たるけれど、それをムーニーにはわからないように自分ができることを全うしようとしてるんだよね…少々言動が下品で激しいところは気になるけれど、後半になると少しずつ八方塞がりになっていく様が本当に現実的で、見ているこちらもしんどさがある…
お金を稼ぐためにはモラルも何も言ってられなくて、楽しそうに水着で自撮り〜とかホテルのご飯で好きなものを食べさせたりとか、その辺りの彼女の決意が滲んだ一瞬の表情がとても悲しかった。
それでも、管理人のボビーが現実や秩序に板挟みになりながらも、モーテルのおとなやこどもに向けるまなざしの優しさとあたたかみに救われるし、ヘイリーがモーテルの洗濯のお姉さんと抱き合うシーンでは泣きそうになってしまった。
ムーニーが最後に助けを求めたのは「新入り」だったジャンシーで、あのラストには賛否両論起きそうだけど、
フィクションが現実に太刀打つには、映画が現実社会にできることは、という観点で考えると多少なりとも意味が見出せるような気がする。
私の好きな漫画家である今日マチ子さんが前に「厳しすぎる現実に立ち向かうには、甘やかな想像力が必要なのではないか」というような旨を話されていたことを思い出した。
物語はドキュメンタリー調に淡々と進んでいくにもかかわらず、静かに現代アメリカの貧困をリアリティをもって見せていく。ムーニーたちは本当にフロリダで生きて生活を営んでいると感じるくらいに。まさに見せていく「だけ」なのだ。映画が唐突に終わるように、その後どうするのかは私たち一人一人に委ねられている…鮮やかな色調と明るいフロリダの空とは裏腹に、突きつけて来るものはとても重い。
I can’t say
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