フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法のレビュー・感想・評価
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色々なコントラストがうまく表現されている皮肉映画
インスタやディズニーのようなカラフルで美しい映像、笑い合う母親と娘、嫌味なおじさんに子供同士のちょっとした冒険。
一見ポップで明るい内容だけど、少し触れば壊れてしまいそうな何とも言えない緊張感がずっと流れていた。役者が表現する優しさと厳しさの裏表、夢と現実の裏表が凄くうまく表現されている。
徐々に終わりに近づく生活の中で、母親はそれを分かりつつも娘のためにできることをしようとしていたと思う。それでもどうしようもなく訪れたラスト、カメラに向かって叫んだシーンは監督から世の中に対する悪態だろう。
おふざけや汚い言葉で自分を守っていた娘が親友に別れを言おうとするも、突き付けられた現実に初めて泣いてしまう姿を見て、思わず私も号泣してしまった。
最後のディズニーの城は、ディズニー映画のオープニングを最大限に皮肉っていると思う。映画が終わり、視聴者の夢のような世界が始まるのだ。
良い映画でした。
タンジェリンの監督×子供
あんなにもリアルな世界を生々しくも可笑しく描いたタンジェリンの監督が、子供を使って映画を撮るとこんなにファンタジックに見せかけることが出来るのか。
ただしそれは見せかけに過ぎなくて、嫌な影がちょいちょい姿を見せて…。大人には判るけど子供には理解できないその境界線が非常にうまく作られているなと思った。
ムーニーが一人お風呂に入るシーンとかね。子供が映っているシーンであんな嫌な見せ方するってすごいよね。
問題はラストシーン。オチを求めてしまっていた自分にとって、あれはどうなんだろうと思ってしまった。ただね…鑑賞後かんがえれば考えるほどあれでよかった気もするのね。あれって結局ムーニーの将来すら観客に考えさせていると思う。ムーニーは大人になったとき、きっとこの夏のことを思い出す。本当にたくさんの嫌なこともあったけど、それを塗り替えるくらいのマジックがあそこにはあったのかもね。見れなかった世界を見るってのは、人生経験上たいせつなことだしね。
この監督の凄さはさ、あまりにも"映画風じゃなく"描いているところだと思う。意識的なのかは不明だけど、起承転結とか、伏線とかわざとらしいストーリーとかが無くて、どっかの町の小さなニュースをずっと繋いでいる感じに見えるのね。でもそれが、大事な視点というか、ちゃんと現実ってことを観客に教えてくれてるんだよね。
うーん…。やっぱり当事者はそんな呑気でもないと思うんだよねえー。ん...
うーん…。やっぱり当事者はそんな呑気でもないと思うんだよねえー。んじゃどーすりゃいいのさって感じよね。
ランドリーのおばちゃんの言葉が沁みたなあ。そう考えるしかないよなあ。
ちと辛い
冒頭からちびっ子たちの下品なイタズラ。
その子が帰る家にはグータラな母のみ。
その母は友人のお店から食料を恵んでもらい、
家賃のお金はその場凌ぎの犯罪紛い。
これはひょっとして、こんな感じがずっと続くのか?と心配していたら、ホントにその通りだった。
常々「社会的弱者」への焦点を、偽善者ぶって声高に唱える自分ではあるが、今作での「社会的弱者」は生活困窮者。しかもいつも責任転嫁して反省しない学習能力ゼロな母親。正直言って自業自得、感情移入はゼロであった。
しかしその子どもには罪は無い。
(でも空家の件はマズイよな・・・)
それはボビーにも他のみんなにも分かってるし、観客も知っている。
ムーニーの視点で描かれる今作は、そんな罪の無い?子どもの何気ない日常であるが、それを見せられるにつけ、自分の親としてのスタンスの整合性を確認してしまう。
最低な母親ならば、子は反面教師で真っ当に生きていくのかもしれないが、ここでの母親は子にとっては最高な母親なのである。だから社会で直面する現実にも、子は反省する事を拒否してしまう。考える事を放棄してしまう。これは少なからず間違っている。
はたして、自分もムーニーの母親の様になってしまってはいないだろうか?
自分は子に、考える事を放棄させてはいないだろうか?
好きな映画ばかり勧めて、そればかり観てれば良いと押し付けてはいないだろうか?
モーテルで暮らす貧困層の現実含めて、反省を掻き立てられる辛い作品でした。
見た目はカラフル、内容はヘビー
主役の親子はとにかくお行儀が悪いけど、この娘にとっては最高のママ。
お行儀悪すぎて逆に新鮮で見入ってしまいました。
演技が本当に本当にみんなお上手。
映画背景を知って胸を打たれました。
【アメリカの貧困家庭の母と娘が逞しく生きる姿にスポットライトを当てた良作。】
- 定住する場所がなく、ネットカフェなどを渡り歩く人々が日本にいるのは知っているが、今作品を観ると、アメリカでも同様らしい。-
◆感想
・安モーテルを居場所にする、全身にタトゥーを入れたヘイリー(ブリア・ヴィネイトという服飾デザイナー。彼女の胸のタトゥーはインパクト大)と明るく元気なムーニーというふっくらとした可愛い女の子。この母娘の人間力が素晴らしい。
・安モーテルの管理人演じるウィレム・デフォーがムーニーやその友達の安全をさりげなく気遣う姿も又、良い。
・世界的に有名な「夢の国」に隣接する安モーテル付近で遊ぶ子供たちの明るい姿と並行して、アメリカの「見えない貧困層」の生活スタイルも描き出した、ショーン・ベイカー監督の慧眼に感心する。
<フロリダの明るい陽光の中のラストシーンは忘れ難い作品である。>
<2018年7月7日 劇場にて鑑賞>
彼女達が頭から離れない。
子どもから大人になるにつれ、絶対的に正しいと思っていた親は、決して正しいばかりではなかったと気がつく瞬間がある。本作の母親も一般的な常識から見ると正しくない。好き勝手に遊び回る娘の躾もできているように思う。だが物語が進むにつれ、この親子を愛おしく感じてくる。それは、この母親は正しくはなくても限りなく娘を愛しており、娘もそれを分かっているからだ。この親子愛は、正しさ、善悪を超えた揺るぎないものだと確信させられる。これこそが正しい、守られるものではないかと突きつけてくる。それだけに映画が終わった後、彼女達の幸せを願わずにはいられない。しかしこの作品は、ただ願うだけでいいのかと問いを投げかけてくる。彼女達が頭から離れない。
意外と家賃は高い!月1000ドルと言ってた。
最初はこの悪ガキどもが~!と、感じていたが、徐々にその一つ一つのいたずらが自分の幼少期を思い出してしまった。あ、そんないたずらもしたっけな・・・と。そして、子どもは友達を作ることにかけては天才。ムーニーが唾をかけたことがきっかけで仲良くなったジャンシーという女の子がいい例だ。利害関係もないし、無邪気に遊びまくる光景を見るにつれ、『禁じられた遊び』の現代版じゃないかと感じるほどでした。
抜け出せない貧乏暮らし。しかし、仕事がそう簡単には見つからない。家賃を集金して、「仕事が見つかったんだな」と安心するボビー(ウィレム・デフォー)の親心もひしひしと伝わってくる。このボビーの一番カッコよかったのは変質者撃退シーン。子どもたちへの愛が感じられた。
結局金に困ってしまい売春してしまうムーニーの母親ヘイリー。親友にも「これはあんたの刺青だろ」と咎められ、殴り倒してしまうのだ。そして児童福祉局がやってきて、母娘は一時引き離されることに・・・。親友のジャンシーと共にディズニーワールドに逃げ込むムーニー。ドキュメンタリータッチなため音楽もあまり無かったのに、このラストシーンでは心地よい管弦楽の音楽が流れる。
うん、現実
これぞ現実だなぁって思いました。
主人公のヘイリーは決して娘のことを
可愛がってないわけじゃないし、姉妹って感じで
むしろ楽しく甘やかして自由にさせている。
娘はイタズラ盛りだけど未だ子供だ。
そんな二人暮らしは経済的に楽じゃない。
いや、何がって子供を産んで育てるって
本当に大変なことだと思うから。
働きながら子育てって、しかもシングルマザー。
難しいことたくさんあると思う。
まぁ父親がいたら居たで、それも大変だろうけど
とにかく世界のシングルマザーは必至だよね。
この映画のいいところは子供の目線と
大人の世界と現代社会を描きながら
舞台がフロリダってところでしょう。
最後は夢の国に逃げ込む子供たち、そして
エンドロールも音楽じゃないところも良かった。
あの友達のAのやったことは咎められないと思うし
マネージャーのBは凄く人情味溢れていた。
この映画、また見たいかは分からないけど
やっぱり観て良かったと思いました。
「マイマイ新子」みたい。しかし、その背景にある社会は・・・
社会派ドキュメンタリー風の映画です。子役も良いのですが、脚本がよくできていると思いました。子供の視点で日常生活を描きながら、だんだんと厳しい現実が見えてくる展開とかが上手い。
表面上はフロリダの真夏を子供が駆けずり回るだけの映画です(撮り方が上手い)。ぶっちゃけそれだけ。そこにあるのは子供の世界。雰囲気が似てる映画としては「マイマイ新子と千年の魔法」みたいな感じ?しかしその背景にある社会構造は、「マイマイ」とは全然違っている。
この映画の妙にリアルで嫌ぁな感じがするところは、悪者が登場しないところ。まぁドキュメンタリーだから当たり前か笑。現実世界でもそう。こいつさえいなければ!という悪者はいない。だからこの世界は、もはや救いようがないんだよね。
この先の話は、映画からは少々脱線しますが・・・
この手の映画のレビューに「自己責任じゃん」っていう感想を言う人がいるのですが・・・この映画に登場する、モーテル暮らしの母親や父親達に対して自己責任だ!と言って何になるのか?
とはいえ「モーテル暮らし」という条件は、非常に特殊なものなので脇に置いておこう。
そもそも、「自己責任により人は不幸になるのだ!」という論理自体に、僕は反対する。人間はこの論理に従うべきではないと思う。何故か?それは、この論理は、無条件に世界のほとんどの人間を不幸にするから。これはどういうことか。あなたは、現実世界で頻繁に、「自己責任だから仕方ない」って思う場面が多いでしょう(僕は多い)?それは何故か?「自己責任で不幸になった人」を頻繁に目の当たりにしているからだ。つまり、「自己責任により人は不幸になるのだ!」という論理に従った場合、世界のほとんどの人は不幸になってしまう。
みんな勝手に、「ああ・・・これも自己責任だな。」と思い込み、不幸になっていく。これが、先進国における、本当に深刻な「負の連鎖」だと思う。それでもあなたは、この論理に従いますか?
母親とは何か、考えさせられる
こどもの目線で楽しく見られるが、貧困を抜け出せない悲しい話。
こどもと楽しく遊べる良い母でありながら、衝動的で収入が安定しない、仲の良い友達との関係も修復できず壊れてしまう。こどもと楽しく無邪気に遊ぶのは、なかなか現代の母は苦手かもしれない。参考にしたいと思った。
最後のムーニーの I can't say に心揺さぶられ、こども目線での疾走感のあるエンディングに余韻に残る。
芝居がヤバイ!
素行が超絶に悪いDQN母、その純粋無垢な娘とお友達…、みな無名なのに芝居がナチュラルで上手い!
そんな中での"顔面凶器"ウイレム・ディフォーの良い人っぷりが最高!!
ラストの唐突なファンタジーには違和感が全く無いワケではないので、惜しくも満点ならず!
カラフルさに隠れた負の連鎖
可愛い子ども達が、ものすごく口が悪く全く教育されていない姿にびっくりしますが、母親がもっと下品なので納得。親がクスリ漬けで汚い場所で放置されているという訳ではなく、親子で楽しそうに暮らしているし、建物がとてもカラフルなので、悲惨さが感じられいんです。でもやはりこの負の連鎖を断ち切る為にはやはり政府のお世話になった方が良いですね。ファンタジーなラストも悪くない。子役の演技力が素晴らしい。ウィレムデフォーのキャラが良かったな。
万引き家族と同じテーマ
アメリカの現状を伝えた映画。
主人公の女性に行政の助けはないのが現状なんでしょうね。
彼女をサポートする団体があったら。
アメリカに必要なのは何なのか。
それを問われている。
子供達のもうお別れという最後にしたいことがディズニーランドに行くこと、っていうのが観てて虚しかった。
Somewhere over the rainbow
鑑賞してから何日もこの映画のことを考えている。
Starletに引き続きショーン・ベイカー監督作品を観たのだが、本当にひとつひとつのエピソードと構図が、そうでなくてはならないところで収まって、はなはだ映画らしくないのに、しっかりと映画になっている。
3人で回し舐めするソフトクリームの味は、子ども時代の味覚を惹起させるし、ジャンシーの誕生祝いに見物するディズニーランドの花火の場面は、どうしたわけかノスタルジーを伴って心を打つ。
ウィレム・デフォー演じるモーテルの管理人は、堅物で二言目には「出て行ってもらうぞ!」と凄むのに、ヘイリーとのもめ事で数えるスリーカウントは、阿部四郎のそれだった。ドアから出るの待ってるやん!と笑って、それからなんとも言えない温かな安堵感に包まれる。
そして、ムーニーを演じるブルックリン・キンバリー・プリンス!
驚くような悪態をつき、したたかな女の一面を見せたかと思うと、火事場の見物で母のヘイリーから写メを撮ってもらうときの表情は、罪悪感からとてつもなくこわばっている。ベイカー監督は、彼女にどのような演出をしてあの表情を引き出したのだろう。それとも、彼女のもつ女優としての才能なのだろうか。
モーテルの向こうに虹がかかり、ムーニーとジャンシーが交わす他愛もないおしゃべりに、製作者の伝えたいことが透けて見える。
「妖精は虹の袂に金貨を隠してるんだって。でもそれを誰にも分けてくれないんだ。」
いまや富は一部の人間のもので、貧しい人々がその貧しさから抜け出すことはない。社会の構造そのものが、努力でどうにかなるシステムではなくなった。暮らしていけないわけではないけれど、暮らしていくのがやっとの生活から抜け出せないでいる隠れた貧窮者は、いまやアメリカだけの社会問題ではない。
「大人がいつ泣くか、私はわかるんだ」と冷徹な一面すらもち、常に楽天的でタフな女の子として描かれるムーニーの最後の号泣に、観ているこちらまでなすすべなく途方に暮れてしまった。
これは、すっかり機能不全を起こしてしまっている現代社会に、すっかり手をこまねいて立ち尽くす大人への、SOSなのだ。
それなのに、立ち上がって行動を起こしたのが、同じ環境に置かれたジャンシーだったのでは、大人の面目丸つぶれだろう。
一見ハッピーエンドのような幻想的なエンディングに、手放しで幸福感を表明できないのは、そんな理由からだった。
穏やかに、しかし鋭く現代社会を糾弾するショーン・ベイカーの声に、これからも耳を澄ましていこう。
妖精はふもとに金貨をかくしてる
子供の頃は、
いつも友達の後についていって
あまり知らない土地や風景を
目にした。
何回かしゃべって
いつのまにか、
遊ぶようになって
気がつけば、いつも隣にいたヤツ。
へんな事に、こだわって
腹がいたくなるほど笑った。
画面からは、
あまりにも無邪気な
日常が溢れて
かつての毎日にかさなり
居心地がいいです。
途中までは…
ある出来事から
少しずつ
崩れ始める日常がせつない。
この作品のすごいところは、
娘のムーニーの耳目から
間接的に伝わる状況は
作中の彼女は理解できなくても
大人の我々にはわかるところ。
痛いのは、親の立場で、
無知はしょうがないでは
すまないということを
さらしていく描写が
容赦ないところ。
夢と現実の対比を
・管理人な誠実さと母親の傍若無人さ
・遊園地と貧困住宅
・子供の無邪気な笑顔と現実の貧困
のような対面のものを対に
みせることで
それぞれが強調した印象をもちます。
将来の展望が描かれることなく、
ひどくつらい現実が今後も
見えるのにも関わらず
あんまり憂鬱にならないのが
不思議でした。
母親のヘイリーが
娘のムーニーを
凄く大事に扱う愛情深い姿勢と
終始にわたって
ムーニーの無邪気な
キラキラがあったからかな。
ラストシーンは、
ちょと印象的。
心からのSOSへの応じ方が
💮。
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