「悲惨な話だし切ない気持ちになるんだけど「ギルーリーる」で笑う」アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル alalaさんの映画レビュー(感想・評価)
悲惨な話だし切ない気持ちになるんだけど「ギルーリーる」で笑う
最初のインタビューで、トーニャの元夫ジェフ・ギルーリーが「俺が動詞になった」「ヒザ小僧を殴打することを"ギルーリーる"と言うんだ」で何か笑ってしまって一旦止めましたw 何で局地的にヒザ小僧を殴打することを表す動詞が必要なんだよww
ちなみにギルーリーる…ギルーリー役は、アベンジャーズシリーズのバッキー・バーンズ(ウィンターソルジャー)を演じて日本でも急激に知名度を上げたセバスチャン・スタン。あのユルい顔だから余計笑ってしまう…何でこの人、こんなユルい顔してるのにDV野郎や異常者の役ばかりやってるんだろう。
主人公のトーニャ役は『スーサイド・スクワッド』でハーレイ・クインを演じ世界的に人気となったマーゴット・ロビー…なんですが…いや、びっくり。『スーサイド~』が2016年の作品なんですが、2017年の本作では、完全に悪い方の「オバサン」になっていて、化粧の差ももちろんでしょうけど、髪の艶もなくバサバサで、顔の皺も深く、動きも緩慢で姿勢も悪く、完全に「オバサン」。シャキッとした格好良いおばさんじゃなくて、心身共に不健康そうで態度も悪く、周りに毒をばらまくタイプの、悪い方の「オバサン」。まじで。アメリカのトーク番組に出てる時のマーゴットも見たことありますが、ハッキリ言って「ダレ???」レベルの容姿の差。す、凄い。
正直、『スーサイド~』の時はまた顔売りゴリ押しかなと思っていたのですが、全力で謝りたい。凄いよ、この俳優根性も、演技力も。
でも、流石に15歳の役にはちと厳しかったかな。まあ、白人の子は15歳くらいで日本人の20歳くらいに見える子も結構いるけど(失礼か)。
セバスチャン・スタンも高校卒業時という設定だから、充当に行ってれば18歳くらい…これもだいぶ厳しかった。だって『キャプテン・アメリカ(2011)』で既に成人演じてた人ですよ。その6年後に18歳の役て…その年齢層の良い俳優いなかったのか…?
あらすじ:
フィギュアスケートのアメリカ女子選手で初めてトリプルアクセルに成功したトーニャ・ハーディングは、親の虐待ともいえる厳しい教育に耐え、フィギュアスケーターとしてオリンピックに出場するまでに成長する。しかしトーニャの当時のライバルであったナンシー・ケリガンが、何者かに膝を負傷させられ全米選手権を欠席。その大会でトーニャが優勝したが、直後に元夫のジェフ・ギルーリーが事件の首謀者として逮捕され、トーニャと共謀したと発言したため、トーニャはフィギュアスケート界から居場所を失ってしまう。
いやね、周りからしたら虐待受けてたとか、ストレスが溜まってたとか、色々あってと言われても「だから何だ」って話なんですけど。でも虐待(暴力だけでなく無視や性的虐待も含む)を受けて育つと、自分の愛し方も他者への愛情の示し方もわからない大人になってしまうと言われていますが、トーニャはまさにそれだったのかなと。完全にDV野郎に捕まるタイプの思考回路。
トーニャも暴力的だし相手も暴力夫。お互い一歩間違ったら死ぬような暴力振るってるのに、当人達は愛し合ってるつもり。ジョニー・デップとアンバー・ハード夫妻もそうだったと証言してるカウンセラーがいたとか何とか、でも本人達はお互い「相手が悪い」で譲らない。お互い本気で「こっちはやられたからやり返しただけ」と思ってるし、でもお互い愛し合ってるとも思ってるから埒が明かない。
ジェフの方はもう、DVだけでなくストーカー気質というヤバめのオマケつき。
母親もとんでもねえ毒親で、子供の人生を管理・支配するのが親の務めとでも思ってそうな、典型的な虐待親。都合が悪くなると「家族なんだから~」とか言ってごまかすタイプ。
フィギュアスケートはトーニャ本人がやりたいと言ったからやらせてたみたいだけど、愛情というよりはただの投資かな。つーか親は授業料出してたら何でも口出して良いのか、子供に圧力かける権利があるのか…しかも親はフィギュアのプロでも何でもなく、ただの一般人。娘の初デートにもついてくる系。
ディズニーアニメ『ラプンツェル』の母親(魔女)が「ラプンツェルにあれだけ良い暮らしをさせてたんだから、愛情はあったはず」とか言う人たまに見かけるんですが…エ???愛情を金で量るのやばくない????
アイドル事務所がアイドルを売れてる間だけ大事にして、売れなくなったら捨てるのも愛情あると思ってるのかな…単に払った金以上のリターンがあるからですよね。それはただの投資。金を産まなくなったらただのゴミ。
一方は情があり、他方は利用してただけ、というパターンが一番嘆かわしいけど、結構多いんだろうな。相手だって多少は情があったはず!!って言い張る人結構いるよね。ただの駒です。
本作では、コーチの方がよっぽどトーニャの(人間としての)将来のことを考えていて、実の母親との温度差も際立っています。
母親は良い選手にすること=リターンを期待してるんですが、コーチは「良い大人になることも大事」といさめます。でも結局、トーニャは母親の支配通りに成長していく。
母親は、トーニャがリンクで他のスケーターと仲良くしようとすれば、「敵と喋るな!」と怒鳴る。自分の思い通りにならないと暴力を振るう。トリプルアクセルの技術ばかりを鼻にかけ、他の成長を怠った。トーニャは子供の頃、リンクでも学校でも友達がいなかった。だから自分の何が悪いのかがわからない。母の言う通り自分の技術は優れているはずで、それが評価されないのはおかしい、というのも母親の言い分。全部が母親の尺度で、大人になっても親の支配から逃れられていない。だからどれもこれもうまくいかないし、親や恋人に殴られた時は「自分が悪いと思っていた」のに、スケートがうまくいかないのは「自分のせいじゃない」とちぐはぐなことを言う。母親の言うことが絶対であり、母親に殴られるのは仕方ないが、母親が認めた技術を認めない審査員やコーチは許せない。
毒親の元で虐待されて育ったにも関わらず、「技術云々ではなく『完璧なアメリカの家族』を期待してるのに、貴方にはそれがない」と審査員に言われ、結局、自分のことを人としてきちんと見てくれていたコーチすらもカッとなってクビにしてしまう。
「産まれた時からずっと『ろくでもない』と言われ続けてきた」って、どんな気分なんだろう。
親が求めるのは技術と見返りだけで一人の人間として見てくれず、審査員はスケートの技術ではなく完璧な家族像を見せろと要求してくる。トーニャの心中は察するに余りある。
この母親が出てくるともう、めちゃくちゃ気分悪いシーン確定なんですが、演技力は馬鹿高い。本気でこのツラを嫌いになりそうな演技力。母親役のアリソン・ジャネイは、第90回アカデミー賞助演女優賞を受賞したそうです。そりゃ取るわ。
マーゴットも、初めての恋愛と思わせるぎこちない振る舞いがうまい。セバスチャンは何かおもろい(何でだよ)。序盤では二人して顔をムニムニしたりもじもじしたりしてるのが和む。完全にバカップル。で、何でこうなった?
小さい頃のトーニャ役は、当時注目の子役だったマッケナ・グレイス。『ギフテッド(2017)』で初めて見てから注目してるんですが、この子、何故か有名どころは「〇〇の幼少期」みたいな役ばかりで、どうしてもチョイ役になってしまうことが多くて…本作でもチョイ役ですが、納得の演技です。
いや、この作品よくこんなに演技派集めたな…かなり有名な事件らしいので、気合い入ってたのかもしれませんね。自分はオリンピック見たことないので、全然知らなかったんですが。
イカしたデブ野郎ショーンも、脇役ながら良い味出してます。もう本物のクソみたいな奴というかクソそのものです。
イヤーな話ばっかり書きましたが、ちょっとギャグというか、(鼻で)笑えるシーンもあったりして、そんなに胃が痛くなるほど重たい話でもないです。コメディチックな演出をあえて取り入れているので、ジャンルとしてはコメディ寄りなのかな。あとはドラマ?ドキュメンタリー?
ラストに当時のトーニャ本人のライブ映像が入っていますが、作中で言ってた「審査員に嫌われてる」ってのはトーニャの被害妄想かと思いきや、意外と的を射てるのかもと思いました。フィギュアの話を聞いてると、よく「妖精のような…」なんて言葉を聞きますが、妖精っぽくはない。ちょっとガサツというか…でも、個人的には好きです。観客受けしそうというのでしょうか、美しさより楽しそうで、子供が無邪気に駆け回っているような動きで、確かにお堅い審査員には受け入れ難かったんだろうなと。どこの国も同じで、「今までの常識通りじゃないと認めない!」という人はどこにでもいますしね。それがお偉いさんだと、潰される才能の数も段違いになっていく。
もっと色んな表現があって良いんじゃないかな。「芸術点」だというならなおさら。
ちなみに、最初に「大いに異論はあるだろうが」とある通り、本作ではトーニャが首謀者ではない、むしろ怪我をさせるなんて聞いてすらいなかったという話ですが、現実では、だいぶ経ってからナンシーに直接会って罪を認め謝罪したそう。ただ、TVでの公開謝罪だったそうなので、本当にやったから謝罪したのか、いつまでも後ろ指をさされ続けるのに耐えられず、やってなくても「和解した」アピールのために謝罪のポーズだけしたのか、今となってはわかりません。
このストーカーDV気質の夫なら、一時的な気分の高まりでトーニャの気を引くためにライバルを蹴落とす命令をしてもおかしくないし、本作の話の通り誇大妄想のショーンが勝手にやらかしたとしてもおかしくないし、もちろんトーニャが命令しててもおかしくはない。
スケートがすべてだった人生からスケートを奪われ、ボクサーへ華麗なる転身…とはいかず、まあ長くは続かなかったようですが、とにもかくにも親に愛されなかった分、「誰かに見ていてほしい」「愛されたい」しか心になかったのかなーと思うと切ない。スケートをやってれば、母親は愛してくれていなくても、見ていてはくれたもんな。
本作の評価は、アメリカでは「トーニャ目線に寄りすぎ」との批判も多かったそうだ。逆に、報道がトーニャ悪人説に寄りすぎてた可能性は?もう世間はトーニャを嫌いになってるから、事実なんかどうでも良いんだろうけども。
鏡の前で、笑顔の練習をしながら泣くトーニャの演技が素晴らしかった。
主演のマーゴットはプロデューサーも兼ねたとのことで、俳優・有名人として生きるマーゴットの世間に対する本音もシンクロしているのかなと思わせる台詞がちょくちょくあり、それも心に刺さる。
普段ぼんやりとした使われ方をする「世間」という言葉を「あんたたち」に変えて、見ている一人ひとりに考えてほしいという気持ちが伝わってくる。「あんたが私を苦しめてる」。
常々思うのは、何か事件が起きた時でも、世間のほとんどの人は事実を知りたいのではなく、自分を興奮させてくれる「ネタ」が欲しいだけだということ。