「超不運な女性」アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル REXさんの映画レビュー(感想・評価)
超不運な女性
ハーディング寄りに描かれているがあくまでフィクションなので鵜呑みにするわけにはいかない。しかし多少の誇張はあるとはいえ、母親の件に関しては事実のようだ。
リレハンメル冬季五輪での靴ひも事件は、子供心に記憶に刻み込まれてる。まさかそのときは、彼女にこんな生い立ちがあったとは思いもしなかった。
それにしてもこの毒親。才能ある子供を自分が産んだことの誇らしさと子供に対しての妬みという相反したものも感じ、絶対に優しくなどしてやるものかという徹底的な攻撃性でトーニャを支配下に置こうとする。
彼女が自己弁護ばかりするようになってしまったのは間違いなくこの母親の影響。
誰からも援護してもらえない人間は、自分で自分を弁護するしかない。自分しか味方がいないのだから。
それに加え、彼女の周りもろくでもない人間しかいない。最初は優しかった夫も暴力を振るうようになり、虚言癖のある夫の友人も襲撃事件を引き起こしてしまう。
そういう人間ばかり引いてしまうのは彼女自身の性格ゆえでもあるが、そのように成長してしまったのは、やっぱり母親のせいだと思わざるをえない。
そして彼女のスケートスタイルが協会に認められなかったという、スポーツ界ではよくある悲劇も彼女の攻撃性に拍車をかける。採点競技によくみられる、いわゆる審査員の好みではないというやつだ。
どれだけジャンプを決めようと技術が優れていようと、選択する衣装や音楽が芸術的ではない(ダサい)と言われてしまうのだ。
アーティスティックスイミングなどでもしばしば起こる問題だが、例えば日本チームが和のスタイルを前面に押し出すと芸術点が低くなる傾向にある。発祥である西洋の伝統にそぐわないというのだろう。
トーニャのいう通り、それは個性を失くせ、と言われていることに等しい。
この映画はそういうスポーツ界の偏見も浮き彫りにしている。
トーニャがナンシー襲撃の首謀者なのかどうかは闇の中だが、彼女のスケートが好きだという強い思いだけは本物で、並大抵のものではない。あのスキャンダルの中、よく五輪の場に立てたと思う。この強靭な意思も母親譲りなのだと思うと、ちょっと複雑な思いもするのだが、子供時代にのびのびと育てられればきちんとメインストリームで成功できた人だと思うと、やはり可哀そうでならない。