君の名前で僕を呼んでのレビュー・感想・評価
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胸毛とアプリコット(特に意味はない)
北イタリアの避暑地、エリオと大学教授の父親が招いたオリヴァーのひと夏の恋。
THE OSHARE映画
風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
綺麗な映像、北イタリアの豊かな自然、美しい音楽、コントラストの効いた衣装、古代彫刻のような美男美女たち、そしてとにかくこの映画の世界観全部が芸術的。
前半は正直それだけって感じ。
後半に観たいシーンが凝縮されていたから、前半そんなにいるかなとも思った。
でも、この世界観だけで観続けられる。
良くも悪くも同性愛がテーマには思えなくて、普通のラブロマンスといった感じでした。
で、結局ラストのお父さんとエンディングのティモシー・シャラメが全部持っていっちゃうんだよなぁ…
前半でラブロマンス風味で苦手意識が湧いたけど、後半はまあまあ。
ヘレニズム文化やWWⅠ、ユダヤ人など歴史要素が絡んでくるのも興味深かった。
とにかく生々しくて切ない映画でした。
この映画に関してはまとめるのが難しいので、
以下は気になった点
(本編内容とは関係なし。長くなるのでスルーしてください)。
↓
・虫がめっちゃ飛んどる。
→生き物(特に虫)好きの自分からしたら羨ましいくらい。
それだけ自然豊かな場所で撮ったんでしょう。
ティモシー・シャラメの肩にもハエが!
・アプリコットの語源論争
→なんだかんだ個人的に1番気になったシーン。
文字の伝達の歴史とかもっと知りたい。
・セッ◯スやオ◯ニーも全く下品じゃない。
→むしろ芸術的なエロスを感じた。
アプリコットでしたら果汁でベッドがベトベト…ダジャレじゃないですよ。
・とにかくティモシー・シャラメの美しさが神秘的すぎる。
→ありゃ、男の自分でも惚れるわ。
カッコいいよりも美人、美男子って感じ。
・3カ国語の使い分け
→北イタリアともあってフランス語とイタリア語、さらには英語まで。
役者さんは元々喋れるのか、練習したのか。
でも、あの切り替えであんな流暢に喋れるのはやはり凄いですね。
あと、イタリア人とアメリカ人の温度差の違いも面白かった笑
・映画映えするイタリアの風景
→ロケーションだけは絶対外さないイタリア映画。
街並みも自然もどこを取っても絵になる。
いつか絶対行きたい!
豊かさ
わたしは同性愛を差別はしていない(はずです)が、基本的に、男どうしが乳繰り合う映画が、好きではありません。これ、公人が言っちゃうと紛糾するんですが、どうなんでしょうか、この世に、そんな人は少なくない、と思っています。
世が世なので、ゲイ映画が、踏み絵というか、鬼門の意味合いになっている──気がしています。わたしも、君の名前で~に酷評で突撃しようとは思いません。ことわっておきますけど、これはいい映画です。
でも、彼らが本気で編むときみたいな、上っ面だけのゲイ映画には、遠慮なく酷評で突撃します。ちなみにわたしは国を揺るがしまくった某議員の発言「LGBTは生産性がない」に対して「そのとおりだがや」と思った罪深いにんげんです。
とはいえ、シンプルなギモンがあります。同性どうしでは子供はつくれない──これって、なに/どこが差別なのですか?
わたしが同性愛者だったら、親に孫の顔が見たいと言われ続けながら、まったくその気がない子のように、まったく反省せずに「それに関しちゃすいませんと思います、てへペロ」と答えます。
マジョリティやなんらかのイデオロギーから目をつけられたくないとか、フォロワー外されたくないとか、コミュニティからの離脱を畏れるとか、誰もがコンプライアンスに副い、築いた関係性が瓦解しないように、生きている──という話です。
もちろんわたしも、そうやって生きていますし、これは逆張り発言でもありませんし、これ以上掘り下げません。そもそも、わたしはそんな玉じゃありません。
ただし、ひとつだけ、もっともクリティカルなポイントに言及しておきますが、わたし/あなたが君の名前で~に与するのは、これがゲイ映画だからではありません。とんでもない。そのつがいが、アーミーハマーとティモシーシャラメだからですよ。
つまり「美しい人間どうしにLGBT問題は存在しない」という単純なハナシです。
雨後の筍のように増殖したマンガ/ラノベ/ドラマのBLものにしても、その大前提においてつくられているのをご存知でしょう。現実のゲイ世界ではおっさんがちょめちょめしているわけですが、あなたは、それを見たいですか?信条は、生理を超えることはできません。
ところでグァダニーノ監督に、びっくりしたのはサスペリアです。君の名前で~の印象から、美しい情景のなかに、みずみずしい人間関係を描く──というような叙情型の作家だと思っていたのです。
それが、あのとんでもないおぞましさ、奇矯で風雅で、どことなくヒッチコッキアンも感じたあの傑作を見て、ほんとに驚きました。ひるがえって、サスペリアを見たことで、君の名前で~の自評を見つめ直した──感があります。
個人的には、その見つめ直しの経緯があって、当初見たときより、いい映画に昇格しました。同時にリテラシーの足りなさを自省しました。
ですが、君の名前で~の公開当初の、嵐のような大絶賛を、わたしは一ミリも信じません。覚えてますか?2018年の日本公開でしたが、著名人やインフルエンサーがこぞってこの映画を絶賛・ツイートしていました。なぜか?そりゃ「踏み絵」だからですよ。君の名前で~を絶賛しておくと、公的株がぐんぐん上がるから──ですよ。
けっきょく君の名前で~は、企図せずして世のLGBTに与する必須アイテムにポジショニングされてしまった映画です。だから、ぶっとびの高得点になっているわけ。
しかし、とうぜん、それ抜きに、いい映画です。
パダニアの別荘地。きらきらの陽光、まぶしい新緑。戸外の食卓、肉厚ガラスの水差し。趣のある屋敷、絵はがきのような街並み。美しい男たち、美しい女たち。思いっきりサドルを高くした自転車。エメラルドグリーンの海。浮かび上がる女神の遺跡。光と水と木々とレンガと真っ白な身体。どこを切り取っても風光明媚。その陰影とコントラストと、いささかもギラつきのない穏やかな人々。ほんとに「豊か」な映画だと思います。
その豊潤な桃源みたいな処で展開するこの映画は、世の中に遍在するプロット「ひと夏の思い出」であって、「ひと夏の思い出」のなかの主人公が、誰でも葛藤するように、エリオもじぶんは男が好きなのか女が好きなのか──性向に初めて直面して戸惑っているだけ、です。つまりLGBTではなく、初恋と失恋の話です。
そして静かなるメンターは父親である教授でした。気づいていた彼はそれが病とみなされていた時代にもかかわらず、エリオを誹りません。かれの「ひと夏」を肯定し、冬がやってきます。「美しい人間どうしにLGBT問題は存在しない」とわたしは言いましたが、映画は知性があれば差別は存在しない──へ昇華している、と感じました。その辺りを解っていなくて高評価している文化人はみんな護身用アイテムにしてるだけです。公人だとLGBTに寄せとかないと怒られますから。
ただ、むろん庶民にとっちゃ、遺伝子やらコンプレックスやら、なんやかやで、ため息をつく映画でもあるわけで。
われわれとかれらの見た目の隔たりのほうが、よっぽど差別なわけで。
言葉に支配されない情景を捉える
フランス語、英語、イタリア語をなんなく操る。
それでも、大事なところは言葉にしない。
想いを書き殴ってみても陳腐にしかならず、
一生友達、と握手してハグしてもその重みはない。
大自然を背にして、ふとした仕草や視線で、
2人だけの世界を作り上げていく様が、
映像作家としてのプライドだと感じた。
ただし、最後の父の台詞は真意。(泣いた)
前段の描写がより対比される。
ホットな題材であるLGBTQだけど、
この作品は必ずしも同性でなくて良かった。
だからこそ、LGBTQへの造詣が深い、愛の形の表し方。
誰が言った言葉に傷付いた、とかネガティブなことも、
感動させるようなテクニックとしての言葉の力も、
言葉は1つの表現方法でしかない。
言葉に支配されていない情景や本質に立ち返って、
映像として捉え直す感覚に気付かされた。
ひと夏のファンタジー
とにかく美しいBL映画
主演二人の並びが眼福至極。ロケ地もストーリーも映像も音楽もイイ。
BBAには刺激が強い場面もちょいちょいあったりするのだが、全くイヤらしく見えないw。彼らに限っては全然OKw。美しいギリシア彫刻二体だからかなw。
主演のシャラメ君の演技力が素晴らしく高い。特にエンディングのシャラメ君の泣き顔。とてつもなくこちらも切なくなって困った。
私のBL映画ランキングでは2020年現在、「アナザーカントリー」と同率一位の作品。
美しき儚い恋愛話
感動した
性別は関係ないかな…
音楽、風景、ストーリー、キャスティング、
全てが美しいハーモーニーを奏で、
まるで絵画を観ているよな気さえしました。
昨今、ヨーロッパ映画で描かれる
内容の作品ですが、観る度に
この世に男と女しかいないのではなく、
恋愛って、人と人の思いが繋がる事では
ないかなと思います。
性別には関係ない、大切な
感情ではないかと思います。
人を思う気持ちは、皆同じだと
教えてもらいます。
最後のお父さんの言葉には、
涙が溢れました。
きっとお父さんは、息子の心を感じとり、
彼と出会わせてくれたのかもしれません。
私の子供達が、大きくなって
同性の恋人ができたならば、
快く迎えたいと思いました。
そんな風に思わせてくれて、
心を豊かにしてもらえる
素晴らしい作品だと思います。
純愛もの
【紺碧の空の下、80年代の北イタリアの避暑地の美しい風景を背景に描かれるボーイズラブ映画】
ステロタイプな物語の、完璧な具現化
ギリシア彫刻のような美少年と美青年の一夏の恋の物語。
エリオ(美少年)は、若干17歳にしてイタリア語もフランス語も英語も堪能なトリリンガル、川遊びに興じながら編曲を愉しむミューズのような少年。オリヴァー(美青年)は、ギリシア考古学を専攻する、太陽のように陽気なアメリカ人の博士課程の院生。
……と、設定を書くだけで、気恥ずかしさに思わず顔がにやけてしまう。誰もがどこかで一度は聞いたことがあるような、ステロタイプな物語だ。でも、多分それでいいのだ。この映画に、物語の斬新さや、あるいは深い感動を求めてはいけない。ミューズのような美少年と太陽のような美青年が北イタリアの美しい景観のなかで奔放に愛を語り合う、そんな手垢にまみれたステロタイプな物語を、誰も見たことがないような完璧なビジュアルで再現した点にこそ、この映画の見所がある。
女たちは物語の踏み台。男も、美と知性がすべて。
知性と温かみはあるが凡庸な中年男性そのもののパパによる唐突なカミングアウトは、美の世界から追放され、永遠にそれを手に入れ損なった男の悲哀を物語る。
御親切に、パパは専門家としての権威を発揮しながら、ギリシア彫刻の美の解説までこなしてくれる。彼自身は決してその世界に参入することはできないが、知を司り、エリオとオリヴァーの欲望を権威付けてくれる、最も重要な脇役だ。
深みのある話だとも、もう一度観たいとも思わないけれど、完璧な様式美の世界だった。
全てが美しい
美しい映像と切ない物語
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