「恋のはじまりから終わりまでの全てが凝縮されていた」君の名前で僕を呼んで 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
恋のはじまりから終わりまでの全てが凝縮されていた
あまりにも素敵な映画だったので、時間が経ってもずっとこの映画のことばかり考えている。ルカ・グァダニーノ監督の切り取る映像はまるで60年代のイタリア映画のような情緒があり、スフィアン・スティーヴンスが歌う主題曲はまるでポール・サイモンのように美しく響きまるで70年代のアメリカのニューシネマのようでもあるし、ティモシー・シャラメとアーミー・ハマーが奏でるロマンスはピアノの連弾をする手と手のように距離を縮めたり離れたりしながら素晴らしいストーリーを紡いだ。もうすでに今年のBEST 1が決まっってしまったかもしれない。
知的で博学で機知に富み、芸術的で感性が豊かで、その上繊細でとても大胆な17歳の少年エリオは、その性質の為に物事を難しくしてしまう癖がある。同時に、オリバーも映画スターのような華やかさに隠れて実はとても臆病だ。そして二人とも、自分を取り繕うのがとても上手。遠まわしに相手の心を読もうとして、遠まわしに自分の心を隠す。遠まわしに相手の気を引こうとして、遠まわしに「自分にはそんな気はない」と匂わせる。恋の情熱をともに燃やしながらも、その情熱をつなぐ一本の糸を、お互いに引いたり緩めたりするばかりで、なかなか思いが通い合わない。
「君といたい」の代わりに「今行くの?」しか言えない。
「君が好きだ」の代わりに「大事なことは何も知らない」しか言えない。
「僕がどんなに幸せかわかるか?」と聞かれても「迷惑はかけない」としか答えられない。
僕の不在に彼が気づけばいいと願いながら、彼の不在に胸を痛める。
彼もきっと今頃、恋人ではないガールフレンドを抱いているだろうと思いながら、自分も腹いせのように恋人ではないガールフレンドを抱いている。
だけどやっぱり彼の気を引きたくて、バッハをリスト風に弾いて見せたり、ユダヤのネックレスをのぞかせたり・・・。
二人とも聡明すぎて、感性が豊か過ぎて、繊細過ぎて、大胆すぎて、なかなか飛び込む事が出来ない。でもそんなぎこちない距離の歩み寄りは、まさしく”恋”だ。そして私はこの映画に恋をしたのだと思う。
原作はもっと直接的で、エリオのオリバーに対する性的に悶々とする気持ちや矛盾した思いなどがあらゆる言葉とあらゆる表現でつづられていたが、映画はより詩的なイメージで、しかし主演のティモシー・シャラメが原作であらゆる言葉を駆使して表現した心のうねりを見事に体現していたなぁと心底感動的な演技だった。ちょっと妖しい顔立ちとまだあどけない肉体も含め、彼はまさしくエリオだった。ラストシーンの彼の表情を見ているだけですべてが言い尽くされるようだった。もちろんアーミー・ハマーの存在感もよかった。
加えて個人的に原作で最も好きだったシーンが映画でも輝いていたのがうれしかった。終盤、エリオに対し父が語りかける長いシーンだ。マイケル・スタールバーグが温もりを込めて包み込むように語られる名台詞の嵐。このシーンによってこの作品をさらに深く大きな愛の物語になったと思う。
君の名前で僕を呼ぶとき、そして僕の名前で君を呼ぶとき、僕が君になり、君が僕になり、僕と君がひとつになる。また君の名前で僕を呼べば、あの夏の日があの日のまま、よみがえるのだろう。