アレッポ 最後の男たちのレビュー・感想・評価
全6件を表示
そんなに故郷は大切?
故郷を守る為に結成された自衛団体に属する男の話。家族の為に隣国に逃げるべきかとの葛藤しながら働くが、最後には…
故郷とは命より大切なのか…家族を守る為にはどう決断すべきかを考えさせられる。
平和ボケした日本人にはみておいて損はない。明日はロシアが日本に同様なことをしてくるかも😅
ウィキの「ホワイト・ヘルメット」の項を参照して下さい
空爆は恐ろしく、剰え子供が被害に遭うのは目を背けたくなる。戦争そのものは憎むべき悪だ。ただ・・・。
ウィキペディアによれば、ホワイト・ヘルメット正式名SCDは、トルコに訓練センターを持っているそうです。そしてそのトルコはシリアの反政府組織に肩入れをしている。
一つ重要なこととして、シリアのアサド政権はシーア派だという事。そして、シリア国民の過半数はスンニ派。なぜシリアではここまで反政府組織と政府との武力衝突が悪化してしまったのでしょう?
スンニ派が反政府組織を支援しているのでしょうか?スンニ派を支援する西側諸国が反政府組織を支援しているのでしょうか?
あの非常に目障りだったISはロシア軍の空爆によって滅ぼされました。何故、ロシア軍はその後も民間人を空爆するのか?
ロシア軍を悪魔と断罪しているレビュアーも居られますが、この映画が本当に攻撃したいのは恐らくはシーア派なのです。劇中、テレビで老人がアサド、ロシア、イランのせいだと空爆を非難していました。イラン?そうイランは世界最大のシーア派国家です。
イランに対しては流石にスンニ派も介入できないでしょうが、シリアでは徹底的に介入出来た。その結果としての悲劇。スンニ派とシーア派との争いに巻き込まれ、祖国を追われ難民となった一般のシリア人達は本当にいい迷惑です。
無根拠に非難は出来ませんが、反シーア派のプロパガンダ映画としての側面を持つ可能性は充分にあり、全てが事実そのままかどうかは留保を置きたいものです。
なぜ、瓦礫の中からは息をしていない幼児達ばかりが見つかるのでしょう?あまりにもショッキングで正視に耐えられません。
先々のことを考えられる身の幸せを感じた。
瓦礫のなかから出てくる夥しい負傷したり死亡した子供たちの遺体、空爆のせいで右後ろ足を引摺りながら懸命に生きようとする猫、死と隣り合わせだからこそ、金魚を水溜に飼い成長を願う男たち。行き場のない毎日は死へのカウントダウンとしか思えない。いつまで続くのか、終わりの見えない絶望にただ息をのむばかりだ。
わけがわからないことだらけだった。
武器を持って戦っている人が一人も映っていない。
なのに政府軍は、停戦時でも空爆を繰り返す。
一体何と戦っているのか?
敵は誰なのか?
一般市民がこれでもかという程に犠牲になります。
叩きのめすとは、正にこのこと。
わからないことだらけでした。
彼らの収入は?
戦争状態なのにお店が開いている。
その果物はどこで収穫したの?
携帯電話を使っているが、充電はどうやって?
子どもは出てくるけど、女性が一向に映されていない。
戦闘機が来るって警報で呼びかけているのに、そこまで慌てず 公園で遊んでいる。
今日、そこで結婚式やる?
『ラジオ・コパニ』や『ラッカは静かに虐殺されている』など、これまで何作品かシリアについての映画を見たことがありますが、今日の映画はIS(イスラム国)とは関係ないんですよね?
不勉強が祟り、何がどうなっているのか全然わからず、ただ無差別に攻撃を受け続ける市民の映像の繰り返しで、虚しさばかりが積み重なりました。
悲しい現実・・・・
シリア内戦中のアレッポの記録ドキュメンタリー、ホワイト・ヘルメットの任務に焦点が当てられて撮られた作品。
当初1時間40分もあるドキュメンタリーだったので、見る前は少し不安でしたが、私的にはアッと言う間に終わりました。
しかし、見れば見る程、シリアの内戦は目を伏せたくなる程の悲劇が繰り返されています。
特に犠牲になる子供の遺体が上がる度に何ともやりきれない・・・・
この悲劇を作っている、アサド政権とロシア軍は悪魔以上の存在です。
本作品、戦争と言う惨劇よりも、そこで色々な補助をしているホワイト・ヘルメットの人達の活躍に焦点においている作品ですので、派手な爆発や戦闘シーンなどはあまりなく、爆撃後のシーンが多いです。
しかし、日本の戦争やドイツの戦争の悲劇を何処の国も、人間も理解していないのですね。
本作品を見て、アサドも悪いと思いますが、ロシアはそれ以上に悪な存在ですね。
この内戦に加担して、アサドに加担している事を恥じるべき、ロシアは今の政権、今の考え方の人間が政治を支配している限り、馬鹿国家で居続けるでしょ・・・・
どこで、どう生きるか、究極の選択
花火が嫌いになりそうだ。
予告にもある、夜の空爆。まるで光のショー。こんなにきれいな情景がたくさんの命を奪う。
戦争とは、どこかのバカな政治家が起こして、一般庶民が巻き込まれるものだと、ぼんやりと思っていた。だから、バカな政治家を批判して、彼らを引きずりおろせば回避できるものだと。
そんな簡単なことじゃない。
反アサド政権の街・アレッポ。
そこに暮らす人々は、空爆の中で、それでも暮らしている。
時に、アサド政権に反対するデモを行いながら。
アレッポに残るか、難民となって避難するかと悩みながら。
難民となって避難すること=自らのアイデンティティを捨てること。命は助かるが、人間としての尊厳を捨てるのか、そこに活路があるのか。自ら一人の命の心配ならば、決断はしやすいが、でも子どもたちのことを考えれば…。
アレッポに残れば、志を同じくする者に囲まれて過ごせる。政治的信条というと堅苦しくなるが、己の信じるものを捨てる必要はない。けれど、命の危険…。
もちろん、難民となっても命の危険がなくなるわけではないが、少なくともここよりは…。
この選択肢に、アサド政権側に着くという発想は映画には出てこない。所属政党をころころ変える日本人にはとうてい理解できないほどの、溝があるのだろう。
国際情勢・政治的には、まったく疎い私。
でも、命をかけても譲れないものが、彼らにはあるのだろう。
それだけは受け取った。
とはいえ、武力で解決するものは何なのか。
平和ボケしているからわからないのか。
空爆される。
ホワイトヘルメットの男たちが駆け付ける。
特に特殊な装備があるわけではない。
ほとんど人力で、空爆され崩れた元建物から、空爆で被害にあった方々を探し出す。
吹っ飛んだ手足。
次から次に繰り出される事故現場の、建物の砕けた破片の”白”に紛れているので、ハリウッド映画のような血みどろの場面じゃないので、なんとか見続けられた。
ほとんど傷がなく生きているようなのにこと切れたご遺体。
血だらけなのに、なんとか助かった命。
ちょっとした場所の差で、助かる命・助からなかった命。
老若男女。赤ん坊も…。
燃え上がる車。爆発。
崩れ落ちる建物。空爆後の探索も命がけ。
そんな中での、子どもとのひと時。結婚式。金魚の泉。ありふれた日常生活。
リアル戦争。
下手な反戦映画を観るよりも、戦争という暴力で奪われるものの虚しさを疑似体験できる。
泣ける?涙なんて出てこないほどの、静かな慟哭。
悲しい?そんな気持ちが薄っぺらいと思えるほどの、感情。
怖い?怖さのすぐそばにある、彼らの暮らし。
様々な感情と、知性が五感を駆け巡る。
何のために生きているのか。この場所で。
どう生きるのか、どこで。
そんな大人たちの苦しみなんて知らぬかのように、
大切な家族の傍にいて幸せそうに笑う子どもたちの瞳と同時に、
空爆を受けた人々の嘆きが、いつまでも尾をひく。
(UNHCR難民映画祭2018にて鑑賞)
全6件を表示