「"喪失"こそがライトスタッフ」ファースト・マン ヒロさんの映画レビュー(感想・評価)
"喪失"こそがライトスタッフ
こんなにテーマと監督が合致している作品も珍しい。
デミアンチャゼル監督の作品はセッション、ラ・ラ・ランドと過去2作拝見している。彼の描きたいテーマは「自分にとってかけがえの無いものを失った喪失感こそが本人を何者かにさせる」である。
過去2作、共に物語中盤で主人公が自分の理想の為に恋人を捨てる。そしてクライマックス、主人公はなりたかった自分になりエンドロールという流れだ。
私は過去2作の主人公達にどうしても乗れなかった。自分勝手に映ってしまい恋人を失った喪失感を見せられても自業自得だろと思った。
しかし、本作は違う。主人公ニール・アームストロングは不治の病で自分の子供を失う。過去2作では何かを失うか、失わないかの選択権が主人公にあったが本作には無い。また、失うものも恋人、言って終えば他人では無く肉親、かけがえの無い子供である。本作の喪失はニールには避ける術がなく深い。
この物語だけで無く月は死の世界の象徴である。この物語は月に行く=死に触れることと捉えて描いている。
この物語には3回死が出てくる。
パイロット仲間のエリオット・シーとエド・ホワイトそして娘・カレンの3人の死だ。
娘・カレンを失った悲しみを埋めるようにニールは仕事に没頭する。しかし彼の仕事は月に行くこと、つまり死に触れることなのだ。
エリオットとエドの二人は死に触れようとして帰ってこれなかった、死に引き込まれてしまったように映る。
エリオットが搭乗した描写の後のジェミニ8号の座席、エドが搭乗した描写の後のアポロ11号のハッチ、どちらも電気椅子と棺桶にしか見えない。
いやパイロットにはこう見えているのだ。
アメリカ宇宙開発史は栄光の歴史だ。だからそれを描く映画も成功の輝きに満ちている。
だが、本当の宇宙開発はそんな綺麗事で済まされない。宇宙開発は死と隣合わせの挑戦、いや死も業務結果の1つなのだと分らせてくれた。
この作品、とにかく観客に内側を見せる。この映画の中で我々がテレビでロケット発射を見るときの、全体像が写って下から炎を吹き出しながら上昇するあの定番の画が無い。NASAの伝記映画なのに!
じゃあ何を見せるか?ロケットが打ちあがる時、その時パイロットは何を見ているのか、パイロットの目線を徹底して見せてくれた。
そこで描写されたのは成す術が限られた中で拘束され宇宙に打ち上げられる、運が良ければ生きて帰ってこられる極限の環境だった。
ニール・アームストロングのウィキペディアにはジェミニ宇宙船の回転を止めて地球に帰還したとか、幼い娘を病気で亡くしたとか文字で書かれているがそれを実際、彼はどう感じたのか。
彼はずっと娘の亡霊を感じていたし、宇宙船の回転が1秒間に一回以上ってああいう回転になるというのを徹底して観客に見せる。
そして!月の世界も観客に見せる。
NASAの伝記映画でここまできちんと月着陸を描いた映画は無い。凄い、本当に凄い。この映画を見れば月を旅行しているようなものだ。
この月の世界でニールは娘、そして死に触れる。彼は肉体は生きて帰ってこれたのだが、なんか魂は月に置いてきたような気がするのだ。
ラスト、奥さんと窓越しに再開する場面が二人の心がもう繋がれない、俗世に居る奥さんと魂は死の世界に行ってしまったニールのように映る。(史実として後に二人は離婚する)
恐らく普通の映画でニール・アームストロングを語ろうとすると冷静すぎて感情に起伏が無くよく分からない人になってしまう。
しかし本作は避けようの無い喪失と徹底したニール目線、そして月(死)の世界を見せることでニールに深く感情移入出来た。
本作でデミアンチャゼル監督は一皮剥けたと思う。喪失の描き方が一段レベルが上がった。
次はアカデミー賞獲れると思う。
人類で初めて月面に到達した男の伝記映画としてこれ以上無い傑作。素晴らしい作品です。