劇場公開日 2018年6月15日

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「「幸福な映画」だっていいじゃない。」ワンダー 君は太陽 ウシダトモユキ(無人島キネマ)さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5「幸福な映画」だっていいじゃない。

2020年3月1日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

良い映画!!

例えば子育てのさなかにいる人にとってはかなり良かったみたいで、お勧めしてくれた友達も「息子に見せたいわ」なんて言っていて。

僕もそういう親目線でウルッと来るところもあったけれども、ウシダ家子供部はもう女子高生と女子中学生。あんまり手がかからなくなって(むしろ放っておいてほしがって)、彼女たちももう、それぞれ自分の人生を歩き始めてる感じだから、「子育てしてる親目線」ではあんまり映画が観れなくなってきたところはある。

「子どもたちが大人になり、親の元を離れたその後の親たち」のイメージの方が身近になってきた。その実例として自分の実家の両親を見てみると、やっぱ「家庭以外の居場所を積極的に作ってこなかったツケ」が回ってきて、夫婦2人きりのゴッテゴテに煮詰まった孤独の中にいる。僕はそれはキツイなと思うから、家庭以外の居場所を必死に求めてるんだと思う。独立開業して、ふだん一人で仕事する毎日だから、孤独に対する恐怖は人一倍だし。だから友達を作ろうとしてはグイグイ距離感を間違えて失敗してみたり、そういう自分にクヨクヨして差し伸べられた手を見過ごしたりしてる。人間関係は老若男女公私問わず難しい。

『ワンダー 君は太陽』は、自分を開いて人と繋がっていく話として僕は観た。

顔に障害を抱えたオギーが、その不幸を受け入れたり、乗り越えたりしていくっていう話ではなくて。

顔に障害?個性だよ、そんなもん。

僕が子供の頃なんて、オギーよりブサイクなヤツいたし、もっとヒドいイジメをされてたヤツもいた。イジメられてるヤツはだいたい不潔なヤツか嘘つきなヤツだったけど。

オギーの不幸は、顔の障害そのものじゃない。顔の障害に対する自意識だよ。
校長先生は「オギーの顔は変えられない。だから周りの見方を変えなければ」ってすげー良いことを言う。でもホントは周りの見方もなかなか変わらないから、自分の意識を変えるのが一番確実で効率的な対策だよね。

でも、オギーはイジケて、自分以外の世界をやっかんでる、まぁまぁ面倒くさいヤツ。良き家族に囲まれて、良き教育を受けて、おまけに“目立つ個性”も授かってる。障害で醜い顔なら、道徳心でそれを乗り越えて来てくれる人はいる。でもフツーにブサイクなヤツはフツーに冷遇されるだけだからね!だからオギーは不幸な境遇の子ではない。なのに不幸ぶってる、面倒くさいヤツなんだ。それがこの映画の良いところだと僕は思う。ただの「泣けよオラ!映画」じゃないってこと。

お姉ちゃんのヴィアは、「家族はオギーの方ばっかり見てる!私だって愛されたいのに」って、実はオギーにやっかんでる。ホントは「出来る子」なのに、自覚せずにイジイジしてる。悪い子じゃないんだよ!とっても良い子なんだよ!でも、とっても良い子が自己評価低い生き方してると、無自覚に人を傷つけることがあるから、このヴィアも実は面倒くさいヤツ。良い子だけどね!

そんなヴィアに無自覚に傷つけられてきたのが、その親友ミランダだと思う。ヴィアのこと、羨ましかったよね。ヴィアに劣等感持たされてるのに、当の本人はシャラーンと「自信なさげな良き友達」をやってる。悔しかったと思うよ。悔しがってる自分にすら自己嫌悪してたんじゃないかな、だってヴィアは良い子だから。サマーキャンプなり新学期なりで距離を置きたかった気持ちもわかる。でも終盤には素直に慣れてよかったね。

わりと全般的にいいヤツだったジャック・ウィル。特徴は貧乏。母子家庭、奨学金、擦り切れたスニーカー、拾ってきたソリ・・・。ジュリアンをぶん殴ったのは、ホントにオギーの名誉を守るためだけだったのかな?弱者だったオギーに惹かれていったのは、ホントにオギーの人間的魅力だけだったのかな?じゃなかったらどうだって話でもないけど。生きづらさは抱えていたよね、オギーに会うまでは。

主人公だけじゃなくて、登場人物の多くが面倒くささとか、生きづらさを抱えてる。でもそれぞれが、自分を開くことで誰かと繋がった。

オギーはヘルメットを脱いで。
ヴィアは一人っ子という嘘を彼氏に謝って。
ミランダは舞台の主役をヴィアに譲って。
ジャック・ウィルはちゃんと素直に謝って。

顔に障害はないけど、性格に障害があったイジメっ子のジュリアン。
あんな親に育てられちゃあ、ああもなるよねと思うよ。とにかく褒められたいんだよね。誰かの承認が欲しいんだ。誰かをイジメて敵にするということは、それだけ味方が欲しかったんだろ?オギーがみんなの人気者になっちゃってからは、お前、イジメるのに必死だったもんな。

でも、最後に校長先生に「ごめんなさい」って言えてよかったね。小学生のうちに自分が性格悪いって事実に向き合えたのは良いことだよ。優しい大人になれるよ、お前なら尚更。次の学校で良い友達作れよ。

そんな感じで、主役から悪役まで、それぞれ面倒くさくて、生きづらい人たちだった。でもそれぞれが、「こうしてくれたら良いな、こう言ってくれたら嬉しいな」というお手本を見せてくれたような、幸福な映画だった。

よくそんな、“幸福な映画”を指して、「現実は違う、そんなに甘くない」と言う人もいる。でも映画館は映画を観に来る場所であって、現実を見学しに来る場所じゃない。現実の世知辛さを教えるんじゃなくて、良きお手本を示すのも映画の意義だと思うし、感動するからいいじゃない。

でも、オーウィンウィルソン演じるパパ。この人はちょっと良い人過ぎてキモい。僕が横に並んでごらんなさいよ、自分がダメ要素の塊に思えて死にたくなるだけだもん。いちばん友達になりたくないタイプ。

・・・なんてこと考えるお前がいちばん面倒くさいって?

僕の個性だよ、そんなもん!!

ウシダトモユキ(無人島キネマ)