ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生 : 映画評論・批評
2018年11月20日更新
2018年11月23日より丸の内ピカデリーほかにてロードショー
ジョニデが魅せる。運命の歯車が回り出す。甘さ控えめ、衝撃の第二章
今度の“ファンタビ”は覚悟が必要だ。まず第一に、黒い魔法使いを演じるジョニー・デップの一挙手一投足がとにかく圧巻。目的のためなら手段を選ばぬその無慈悲な姿ときたら、かつての“パイレーツ”の面影をすっかり忘却させるほどのインパクトなのだ。彼の本気度にきっと多くの観客が「こんなジョニデが観たかった!」と胸高鳴らせるに違いない。
物語はこのヤバすぎる魔法使いの常軌を逸した逃亡劇で幕を開け、すぐさま魔法省は対応に追われることに。当然その余波はこの男、ニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)の身にも及ぶ。彼をなんとか任務につかせようと様々な圧力が加わる中、恩師ダンブルドア(ジュード・ロウ)の言葉と、もう一つの密かな理由がきっかけとなって、彼は一路パリへと向かうことを決めるのだが————。
今回は登場人物が一気に増加。前作で最高の友情を築いた3人もこの運命の地へと引き寄せられ、時にぶつかり、時に笑い合い、そこにニュートの兄テセウスや元恋人のリタなども加わって、運命の歯車は何かが起こりそうな予感を秘めながら時を刻んでいく。
もちろん、若きダンブルドアの登場も一つの醍醐味と言えるだろう。「ハリポタ」シリーズの茶目っ気と慈愛に満ちたイメージからすると、その存在感はどこかミステリアス。それでも所作や立ち振る舞い、わずかな表情の変化など、ジュード・ロウはジョニー・デップとは真逆のカリスマ性を発しながら、この難しい役どころを見事に成立させてみせる。
ダンブルドアだけではない。今回は他にも、旧シリーズで聞き覚えのある人や物がいくつか登場するのを心しておいたほうがいい。きっと見終わった後、誰もがすぐに本や映画を遡ってチェックしたくなるはず。それを踏まえてもう一度本作に舞い戻ることで、伏線が張り巡らされたストーリーの全景を改めて俯瞰できること請け合いである。
そして極め付けなのは、本作がとびきりの娯楽性に満ちながら、どこか現代社会ともリンクしている点だ。過激な主張によって人々がたやすく分断されていく世相を巧みに、分かりやすく織り込んだその筆致。思えばJ・K・ローリングはいつも、人が自由であること、多様であること、社会が寛容であることの重要性を訴えてきた。長年「ハリポタ」と共に併走してきたファンならば、彼女が今作を通じて伝えたかったメッセージを痛いほど理解できるのではないだろうか。
(牛津厚信)