レディ・バードのレビュー・感想・評価
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とてもよかった
CIAの伝説的なエージェントの話かと思ったらしょぼい女子高生の話だった。しょぼいながらも背伸びしていけてる女子と付き合って、デブの親友をないがしろにしたりなど、他人事ではない痛い感じがリアルでつらい。そんな彼女は高3で受験や恋に悩み、ブロムがあって上京する。ブロムにはいけてる友達ではなく太った友達との付き合いを選ぶところに心がほっこりした。
お兄さんは里子か養子であることがさりげなく描かれていて、お父さん共々失業状態であり、生活を支えているのがお母さんただ一人であるなど、人生や生活のままならなさが全編に渡って描かれていた。
レディ・バードが飛び立つまで
青春映画と呼ばれる作品は往々にして甘酸っぱく、ほろ苦く、とても優しい。それは作り手がかつて同じように(あるいは違うとしても)経験した「青春」としか呼びようのない過ぎ去った時間を慈しみ、愛おしみ、そういった過去を振り返るような視点が不可避的に介在するからだろう。
自らレディ・バードと呼ばせる"痛さ"には身に覚えがある人もいるのではないだろうか。
グレタ・ガーウィグが演じた『フランシス・ハ』のイタい女性の青春時代版とでも言おうか。今作のシアーシャ・ローナンはわざと肌荒れをさせたニキビ面で、青春時代特有の揺れ動く繊細な心情を表現している。
脇を固める俳優陣もみんないい。ティモシー・シャラメくんはいま脂が乗っているこその存在感。そこにいるだけで艶があり、だからこそ逆にクソ野郎感が際立つ。ルーカス・ヘッジズくんもあのちょっと見た目サイコな感じだけど純真!って感じで最高だ。親友のビーニー・フェルドスタインは全部最高。
友情、恋愛、挫折、喪失、達成、旅立ちとか青春要素は数あれど、『レディ・バード』は家族、とりわけ母親との関係性が特権的に描かれている(グレタ・ガーウィグの半自伝的作品?)。
大学に受かるの受からないの?助成金出るの出ないの?などなどドタバタするが、サクラメントからニューヨークの大学へと進学する、つまり故郷を出るという「タイムリミット」が設定としてある特別な期間が舞台であり、そのリミットは映画の終わり(物語は必ず終わりを迎える)の予感と重なり我々の胸を打つ。
ニューヨークの大学への進学を母親だけに秘匿していたことから、母と娘に再び不和と葛藤のドラマが生起するが、それは旅立ち当日の慎ましやかで感動的な母親の行動を準備する。母親が紙に何か書き付けては丸めていたカットもその後きちんと判明に至る。このあたりは演出は周到であり、たとえ事実だとしても少し鼻白むが涙腺を刺激されてしまう。
こういう物語が高い評価を得るというのは嬉しい。02年頃を舞台にしているので9.11とリーマンショックの間。本格的な不況前だが、それでも景気が決して良くない状況下なのだろう。トランプ政権誕生に一役買ったといわれるホワイトトラッシュ(白人貧困層)を想起させ、共感を呼ぶ社会的文脈もある。
あれだけ自分のことを「レディバードと呼んで!」と周囲に促していた彼女(クリスティン・“レディ・バード”・マクファーソン)が、ニューヨークへ渡った後に自己紹介する。「私はクリスティン・マクファーソン」。そこではもう"レディ・バード"という名はどこかに飛び立っている。この物語は、彼女が故郷サクラメントから旅立ち、名前から"レディバード"が飛び立つまでを描く。それはまさしく青春時代から大人へのテイクオフでもあるのだ。
失敗しながら自分を構築してく
グレタガーウィグが好きなので迷いなく観ました。フランシス・ハと通ずるものをかんじた。
色々と経験して失敗しながらいろんなことを感じアイデンティティを構築してく時期のあれこれがおもしろくて、ラストはどうでもよかった。泣きはしなかった。
クラクションの音だけででいいっちゃダメっていうお父さんのアドバイスになるほどと頷きながらもそこは妥協しててでていくが、結局ロクなもんじゃなくて、でも無理やり合わせるんじゃなくて、その場から離れるとか、レイディバードちゃんの価値観を妥協しない行動にとても好感もった。それが大人になるとフランシス・ハになるとおもった。
美人でイケてると思ってた女子が、話して見たらとんでもなく失礼で、中身はびっくりするほど平凡でつまらない奴だったり、初体験もショボいだけでなく相手に嘘つかれてたりとか、やってみないとわからない、でもやってみたら、残念な結果だったってこと人生にはいっぱいある、その中で自分が何を選択するか。その時にどれだけ自分に忠実でいられるか。レイディバードはとても自分に忠実。
母親は娘にはあんなにうるさいのに、息子(養子だから?)とそのガールフレンドには寛大。その二人について夫婦で話す時に爆笑するシーンやガールフレンドの子が居候しててしれっと溶け込んでて、レイディバードとタバコ吸いながらお母さんを褒めているシーンなどがそれを象徴してる。そういうことも受け入れてかなきゃいけないのが人生。ちなみにお兄ちゃんすごーいイケメンですよね。アジア系?かとおもったけど、ミゲルだからヒスパニック系なのかな。
などなどどうでもいいことも含めて、ひとつひとつのシーンを楽しみました。
思春期の反抗だけなのだろうか?
親からもらったクリスティンではなく、レディバードを名乗る女子高校生の成長物語。
母親から愛されてないと悩み、サクラメントから出ていきたいと渇望する。周りの友人や彼氏との関係もアメリカの田舎町を舞台にした青春映画でよく観た気もするのに親近感は持てる。
最後はレディバードではなく、クリスティンを名乗り大人になっていくという感動のラストということなのだが、今一つ乗りきれなかった。いや、いい話なんだけど。
カトリック、中絶反対の講演、ミゲルという兄…、その流れはクリスティンが養子だったってことなのかと思ってた。個人的にそう思い込んでしまったが、これというシーンがなかった気がする。見逃したのか、それともただの思い込みなのか。なんかモヤモヤする。
それなりには楽しめたけど、宗教をベースにした文化の違いで、この映画を正しく理解・把握できたのか不安になる。こんなに不安に思う映画も久々だ。
レディバードと自分
最初は1人の女の子の物語だと思ってた。
恋をして友情に悩んでハッピーエンド的なもの。
でも実際はお母さんと娘のストーリー。
何気ない会話がすごく共感する。
お父さんがリストラされて、私立に行った子どもの学費を稼ぐことがどれだけ大変か。好きで働いてるんじゃないのよ!!って。
お父さんが「お母さんに秘密だよ」ってスナックを食べるのも、
お母さんに頼めないことをお父さんに頼むことも、
お母さんと喧嘩しても真ん中に立ってるお父さんも
すごく共感できる。
NYに行ってお母さんといる男の子を見てお母さんの存在の大きさに気づく。
「私の気持ちなんで全然分かってない!」って散々おもったりもするんだけどやっぱりどれだけ母親というのが大事なのかって。
そんなストーリーが自分と重なって、観終わった後に鏡に映った自分が「あれ?クリスティンじゃない」って思ってしまうほど自分とクリスティンを重ねて観ていたことにすごく驚いた。
お母さんと娘はみんなこんななんだって、
お父さんとはこんな関係なんだって、
クリスティンと同世代の人も、過ごしてきた人もみんなが自分と重ねて観ることができると思う。
こんなに自分が映画の中にいるような感覚になった映画は初めてだった。
クリスティンはヒロインじゃない、自分なんだって。
似た者母娘の同族嫌悪
誰もが経験したことがある、思春期のもやもやするようなざわざわするような気持ち。今までにも思春期のもやもやを描いた青春映画ってたくさんある。っていうか青春映画ってよっぽど頭の悪いラブコメ以外は、思春期のもどかしさや心の漣を描いているもののはず。だけど知性派のグレタ・ガーウィグが同じことをするわけがないとは思っていた。まさか、爽やかで瑞々しくてキラキラしただけの青春な筈がない。そして期待通り、グレタ・ガーウィグのユーモアとシニカルさとインテリジェンスがそこかしこに散りばめられて、痛いんだけどウィットに富んだ青春映画が誕生したという感じ。ハイスクールの演劇に参加したり、プロムにドキドキしたり、親に内緒で進路を決めていたり・・・なんて数多の青春映画で見てきたような普遍的な思春期のストーリーラインでありながら、角度を変えてユニークな視点から切り取ると、こんなにオリジナリティを感じる作品になるのだなと思った。爽やかじゃないし瑞々しくもない。むしろ痛いことだらけでダサくって、ズタボロなハイスクール。だけど、痛がって憐れんだりせず、痛みを跳ね飛ばして突き進む個性を持ったレディ・バードがなんとも愛おしく映画の中心に立つ。格好いい。グレタ・ガーウィグの分身として特有のユーモアと知性を纏ったヒロイン”レディ・バード”が実に魅力的で、さらにそれを演じるシアーシャ・ローナンの予想外のコメディ・センスも相まってとても痛快。グレタ・ガーウィグとシアーシャ・ローナンとレディ・バードの3人の出会いはまさしく「痛快」そのものだった!
セリフ回しなんて、まさしくグレタ・ガーウィグのセンスが冴えわたっていて、このリズムとワードのチョイスを見せつけられると、あぁ英語圏で生まれてこの映画を観たかったなと思う。日本語に置き換えちゃうと、セリフの弾みがどうしたって失われてしまうものだから。
そして母親を演じたローリー・メトカーフがまたいい味を出して、「この親にしてこの子あり」というか。レディ・バードがいかにしてレディ・バードになったかが窺い知れるような独特の存在感。似た者同士だからこそ、お互いにどこか嫌悪し合ってしまって(まして同性の親だし)、お互いに心に棘を持つ者だから、近づきすぎるとつい傷つけあってしまうような関係の奥に、母と娘の愛をじんわりと見せるクライマックス。グレタ・ガーウィグがまさかわざとらしく見せつけるようなジメジメした演出をするはずがない。空港の前を車で一周している瞬間に、そして新しい土地で名前を尋ねられた瞬間に、それぞれがお互いへの愛情に気づかされるさりげなさ。いくら嫌悪しあったところで、似た者同士が理解し合えないはずはないのだよ。
最後にレディ・バードは、自分でつけたその名前を捨てて、親がつけた名前をようやく好きだと言った。そのとき、彼女は鳥の翼を落とし、これから地に足をつけて歩き出すのだな、と思った。
青春は、切なく楽しいが
カリフォルニアのサクラメントの田舎に住む女子高生のクリスティナは、自らレディバードと呼びNYへの進学を望んでいるが、故郷付近を望む真逆な性格の母親、リストラ中の父親、就活中の兄貴など前途多難だ!恋に、失礼、初体験と青春の切ない姿をシャシーャローハンが好演!
レディ・バード可愛い
レディ・バード役のシアーシャ・ローナン可愛いのね。少女漫画に出てくるような顔してんの。スタイルも良いしね。
レディ・バードは自分の欲求にむちゃくちゃ素直なの。男の子にも頑張ってアタックするし、キスをしてれば「胸さわっても良いのよ」って迫ってくし。
それでレディ・バード少しアホなのね。オープニングでいきなり車の戸を開けて骨折するし、アホな選挙ポスター作るし、シスターの車にいたずらするし。そして、嘘もついちゃうし。
高校3年生の女の子が、お母さんとぶつかりながら、自分の進路も考えながら、友達関係・恋人関係もこなしながら頑張るっていう普通の話なの。でも、主人公が素直でアホなかわいい性格だから、楽しく観ちゃうね。
ラストは、自分も田舎から都会の大学に進学したときのことを思い出したね。
カリフォルニアはサクラメント在住のクリスティン、自称レディ・バード...
カリフォルニアはサクラメント在住のクリスティン、自称レディ・バードはミッション系高校の3年生。髪をピンクに染めて聖体をポテチみたいにバリバリ食らうバチ当たりな彼女は、何にもない田舎を抜け出してニューヨークの大学に行きたいと母に打ち明けるも「ウチはお金がないからダメ」とバッサリ拒絶されて一念発起。大学進学のために自分の内申書を見栄えよくしようとあの手この手を講じるが、自分に嘘がつけない彼女は何をやってもトラブルを起こしてしまう。
学園コメディの定石からはみ出したツンデレ女子レディ・バードを演じるシアーシャ・ローナンがとにかくキュート。あらゆる反則技で窮地を切り抜けようとするたびに痛い目に遭い高校生活最後の1年間を一気に駆け抜けていく様は爽快。お互いの不可侵領域に土足で踏み込み口汚く罵り合ったかと思えば洋服屋に出かけて可愛い服を見つけてはしゃぐ母娘の心情は男性陣には理解が及びないがゆえにどうにもならない嫉妬を覚えますし、娘を案じて父が娘の部屋をノックした時に放たれる一言に世の父親は軽い絶望感に見舞われるので注意が必要。全編黄ばんだトーンの優しい映像も美しくて愛くるしい作品です。
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