ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書のレビュー・感想・評価
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報道と権力の戦いでは、権力を支援せよ
文書を漏洩したダニエル・エルズバーグは、ヒロイズムに憑かれた人物のように描かれているが、そうした者の「内部告発」なしでは政府の不正が暴けない。
ローラ・ポイトラス監督『シチズンフォー スノーデンの暴露』では、エドワード・スノーデンは、米NSA(国家安全保障局)の不正通信傍受の告発よりも、自分自身に関心が集まることを避けようとする姿を見ることができる。告発が割り引かれて見られることを恐れたのだ。
ジョージ・クルーニー監督『グッドナイト&グッドラック』では、TV番組でマッカーシズム(赤狩り)批判をしたエドワード・マローは、マッカーシーから共産主義シンパの「汚名」を着せられそうになる。
政府の不正を個人が告発すると、それを矮小化したい人々は、告発者の人格や属性に国民の注意を促し、告発の影響を減殺しようと謀る。そして国民も、その動機が私怨なのか義憤なのか、告発者の人となりはどうなのか、興味を抱く。そのような構図を避けるのは難しい。
「ワシントン・ポスト」の編集主幹、ベン・ブラッドリーは「報道の自由を守る唯一の手段は、報道することだ」と言う。そしてその情報判断は、国民のリテラシーにかかっている。世論の後押しが強力なら、株主もスポンサーも「人気」にあやかって新聞社やテレビ番組をサポートできる。
報道vs.権力の戦いで権力を支援する劣化した民度では、言論の自由は死ぬだろう。
失われている報道の自由
今は、すでに米も日も、多くの国が失われている報道の自由。政治家、金持ち連中への忖度、利益誘導、行政指導が中心で、国民が本当に必要な情報が様々な視点から報道されているか?って問うたら「否」だろう。
この映画を文字通りに取ると、ベトナム戦争を停戦に導いた一つの大きな要素となるが、Wikiでペンタゴンペーパーズを読んでみると、本当の「最高機密文書」ではないらしい。当時、ベトナム戦争が泥沼化しており、撤退するための良い口実を策略的に作った可能性もある。
それにしても、国民である我々は、マスコミや専門家が伝える情報に頼らなければ、国の政治や経済、安全保障などについて知ることができない。現代では、マスコミが立法・行政・司法以上に国民を洗脳し、嘘を隠蔽する力を持つ第4の権力と目されるだけに、国民目線であってほしい。しかし、米も日も、現在は政治的な圧力に脆弱で、利益を上げるために大株主や金融、財界に忖度をせざるを得ないであろうから、報道は彼らに都合のよいような情報しか流れてこないと思っておいた方がよい。
監督がスピルバーグと聞いて、ユダヤ系の資本に良いように作っているのだろうと思う。事実に基づいて制作した映画と謳いながら、真実はもっと別なところにある可能性大。
レビューの低い方で、ベトナム戦争は反共のドミノ理論のため行ったというように印象操作しているという指摘があったが、ホ―・チミンに言わせると、民族独立戦争であって、反帝国主義のため中ソの支援が必要だったというのが本当のところだろう。米の帝国主義を隠蔽しているのだ。
現在の国際情勢を見ると、帝国主義や資本主義を進めたことで到来したグローバリズムを進める国が、世界が統一した政策で課題にあたる必要性を説くことで、実質は共産化が進んでいるらしい。共産主義とグローバリズムは双子の兄弟だということだ。動画を見る限り、米国などは酷い惨状だ。メールも電話も盗聴・検閲され、メディアは完全に統制されている。
それに抗うとしたら、ナショナリズム、国の伝統的な価値観、国民の生活や利益、価値観や充足感、従属感を大切にする生き方ということになる。トランプやプーチンが、そちら側ということだ。
この映画自体は、脚色されているだろうが、報道の自由を守るという、ただこの一点において、重要な映画だと思う。
女にだってやれます!
終始面白くて、「スポットライト 世紀のスクープ」みたいだなと感じていたら同じ脚本家だった。この人は才能ありそう。
スピルバーグ監督のドラマチックな演出も良かったね。最近のスピルバーグ監督は初期の頃のようなドラマチックさが戻ってきていて良い。
内容は、報道の自由をかけた戦いの社会派ドラマだと思っていた。一応それで間違いではないけれど、トム・ハンクス演じるベンは野心家の編集長で、とにかくデカい記事を扱いたい。メリル・ストリープ演じるキャサリンは今の自分の立場を脱したい。そんな二人が(タイムズもだが)報道の自由を盾に裁判を戦い、やりたいことをやったという作品。
報道の自由どうのと言っているのは彼らの弁護士であって、ベンもキャサリンもタイムズもそんなことは言ってもいない。
メリル・ストリープのイメージは強い女性、独立した女性、実際にそういった役が多い。
本作では、最初の頃に銀行?との話し合いの場面で、上記のイメージとは全く違うキャラクターであることが露呈し、珍しく弱々しげな役なんだなと、作品のイメージである国家権力と戦う二人ともズレていたので少々ビックリした。
女性の立場が弱かった時代、キャサリンもまた見下されていた。それを跳ね返したい彼女は次第に強くなっていくが、この徐々に変化していき、最後にとても強く決断を下す場面は、さすがメリル・ストリープという貫禄だった。
勝訴のあと裁判所からキャサリンが出てくる場面で、階段の脇にズラリと並んだ女性たちが、大きな決断をして大きな裁判を戦ったキャサリンを、女王様を眺めるように羨望の眼差しで見上げる。とても印象的なシーン。
彼女たちは私もキャサリンのように、と考えたに違いない。
この瞬間に、これは女性たちの戦いの作品なのだなと理解した。
今、最前線で戦う強い独立した女性はキャサリンだ。あれれ?最初に書いたメリル・ストリープのイメージのまんまじゃないか。やっぱりメリルは強くないとね!
緊張感あるサスペンスにの中に「大統領=国、ではない」とか「抵抗に与したかった」とか、反体制的な要素で味付けしているけど、やっぱり一番は「女性の立場の向上」だったと思うね。
それと、ニクソン大統領についてちょっと知識があった方がより楽しめると思う。
実話としての重みは感じるが
記者たちでバラバラになった文書を協力しあって並び直す雰囲気が良かった。
社主が自分なら掲載しないと助言された後に、記事の掲載を決断した理由はよく分からなかったです。
記事を掲載した後に、他の新聞社が追随して一面を飾ったのが、各社の報道に対する真摯な姿勢が感じられてとても良かった。
記事を掲載する最終判断や裁判での勝利などもっと盛り上げた演出でも良かったと思います。実話としての重みは感じましたが、淡々と話が進んで盛り上がりに欠ける印象です。
以上
思惑
ワシントン・ポスト社主キャサリンを演じたメリル・ストリープ、安定の演技力。
ダニエル・エルズバーグ( マシュー・リース )の勇気ある決断と行動、報道に携わる人々の姿に引き込まれた。
国家、報道のあるべき姿を改めて問いかける作品。
ー彼は嘘をつけなかった
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕版)
勇気とは
トム・ハンクスとメリル・ストリープとなれば面白くないわけがない!
ってめっちゃハードルあげても全然大丈夫でした!
とくに、メリル・ストリープ演じるワシントンポストの経営者ケイにとても心揺さぶられました。
この作品を観賞する前に、
女社長か!メリル・ストリープにぴったりや!
さぞかし、【プラダを着た悪魔】バリの!
女だてらに、ワシントンポストを経営するめっちゃくちゃ男勝りの女の人なんだろうな!
とワクワクしながら見てたら、全然そんなことなくて。
父から受け継いだワシントンポスト。
本当は旦那さんが受け継いで経営してたのに、旦那さんが亡くなり、自分が経営することに。
45歳の主婦がいきなり大会社を経営するなんて、自分だったら耐えられない。
身一つで男社会に震えながら挑むケイに本当に勇気をもらいました。
冒頭の株式公開を銀行、投資家にプレゼンに行くシーン。ケイは勇気を出して自分の口でプレゼンすることが出来ず、きっと自分自身にがっかりしたのでしょう。
だからこそ、ラストのあの決断につながったのだと思います。
いつも右腕のフリッツに意見を求めていた、ケイ。
でも、本当に自分自身で決断すべき時。
あの、目に涙を浮かべ、震えながら決断するシーンは何回も巻き戻して見てしまいました。
そして、トムハンクスはやっぱり最高。
彼が画面に映し出されるだけで、作品がすごく光輝きます。
トムハンクスのまとう、優しくて、幸福で、楽しい雰囲気が大好きで、どの作品でも目が離せなくなってしまいます。
今回の役どころも、海賊ベンとはよく言ったもので、なにかデカくて、面白いことやったるでー!
オーラ全開!!!
クスッと笑わせるウィットにとんだセリフや、真剣で最高に楽しそうに、人生をかけて仕事に挑む姿に、こちらまでワクワクしてきます。
ブリッジオブスパイでも、感じたけど
トムハンクスとスピルバーグの映画は本当に楽しい。
見たあと、爽快な気分になれます。
めちゃめちゃ面白かった!
ここ最近観た映画の中で一際素晴らしかった。
映画のストーリーの軸は「ベトナム戦争泥沼化の裏側を暴く新聞社の闘い」と「表現の自由の意義」。これらはスケールの大きな社会的な話題だが、それを主人公のキャサリン(メリル・ストリープ)とベン(トム・ハンクス)の個人的な想いと見事に交差させて観せてくれるため、実に感情移入しやすい。社会レベルの大きな話なのに個人的な出来事のように手に汗握る展開で物語っており、それがこの映画の観やすさにつながっている。
また現代人の人生を考えるとどうしても「仕事」の比重が大きい。
自分の人生や価値観をかけた仕事が一度でもできれば、現代では幸せ者と呼べるかもしれない。ただしそんな話を描くにしてもたった2時間の映像作品で世界中の観客を納得させるのは難しい。一体どうやればそんなことができるのか。それを文句なくやってのけている映画である。
観客の気持ちが置いてきぼりにならないために、この映画の序盤~中盤では70年代のアメリカの新聞社において何が重要で、何に情熱をかけるべきなのかが良く描かれている。例えば『機密文書持出しシーンの人生をかけた緊迫感』や『ワシントンポスト社の株式を公開することでのしかかる安定経営へのプレッシャー』、『新聞における特ダネの重要性(怒号が飛び交うデスクのシーン)』がしっかりと描かれている。これを観て相応の感情を喚起させられていれば自然に物語に引き込まれることが可能だろう。
こういった仕込みによって「圧」が高まり、キャサリンが「決断」をするシーンの重みへとつながっていく。
細部まで豊か、それがいい映画だと思う
そんなストーリーのど真ん中はここでは触れずに周辺的なシーンについて触れてみたい。この映画が面白いな、豊かだなと感じるのは例えばこういうシーンにあると思う。
ワシントンポスト側がついに極秘文書を入手し、みんなでベンの家で解読するシーンだ。そこでのベンの娘の描き方がとてもイイのである。このシーンはとんでもない情報の山に興奮する記者、機密情報漏洩を懸念しまくる顧問弁護士、会社が潰れちゃ元も子もないと迫る経営陣、突然の来客にてんてこ舞いのベンの奥さんと相当騒がしい。
これだけで十分面白いのだが、呼び出された記者たちがベンの家に集まるときに、玄関前でベンの娘がレモネードを売っている点に注目してみたい。70年代のアメリカでは子どもがレモネード屋をやって小遣いを稼ぐのは定番らしいが、父親たちのあわただしさと比べると何とも平和だ。娘はまだ小学生くらいで幼さ・無邪気さが残っている。1カット内で対比することで騒動をよく引き立てている。
彼女はどんどん集まるお客さんに対して、騒々しい雰囲気に負けずかわいらしくレモネードを売り続ける。実はこの要素はスクープを脱稿してベンの家がすっかり静かになった後でも尾を引く。娘が稼いだお小遣いをキッカケにベンと奥さんで「何気なく」会話が始まるのだ。この何気なさ故に印象に残らないかもしれないが、違和感のない(よって説得力のある)絶妙なきっかけになっていると思う。
二人は何気ない会話を続けながら、一緒に芸術家的な奥さんの作品作りの準備をする(ここの動作が息ぴったりで二人の過ごした年月を感じる)。会話の中で奥さんがキャサリンのことを話す。猛烈新聞マンのベンにも家族があり、その中で生活していてその中に仕事がある。そして自分だけの目線ではなく家族、特に妻の目も通してキャサリンを理解していき、決断のシーンに厚みが出る。そんなプロセスが実は丁寧に描かれている。
これは否が応でも観る者の中にある種のリアリティを生じさせるのではないだろうか。
この映画はそういう高品質なシーンの連続なのだろうと思う。もちろん主題の料理の仕方が抜群だが一方で細かいところが実に豊かで面白い。いい映画だ。こういう映画は白けることがないし飽きない。自然に引き込まれる。そして見事なカットの度に頭の片隅で感心する。
もっと映画を「観れる」ようになりたい
最近映像演出の本を興味本位で読んだ。そのおかげで「映画の映像ってこんなに雄弁だったのか!」と気づくことが多い。まだまだまったくの未熟だが今後ももっと映画が「観れる」ようになりたいと思う。セリフがなくても映像の特徴を観ていれば何が起きているのか、何が起こるのかよくわかる。またカットとしてどんな気持ちなのかもわかる。映像演出について知ることで「これまでと違う観方ができるかもしれない」と気づけたことが新鮮だ。
例えば機密文書を持ち出すシーンでは資料室から出た廊下の蛍光灯が切れかかっている。これは明らかに不安を語っている。キャサリンの家での晩餐会にて、ジョークで笑わないマクナマラ長官の横顔どアップ。明らかに笑えない事情がある。やっぱり問題を抱えていた、とか。セリフではなく映像で語る箇所は数えきれない。
映画は観る人任せだ。相当いろんな要素が詰まっている。良質な映画は「醤油」みたいな味わいだと思う。基本の五味はすべて含まれており、糖アルコールの変化でその風味をクラっと豊かに彩る。明確な塩辛さはあるが、風味レベルまでをどう感じるかは受けて次第だ。メインメッセージのしっかりした映画はこういう風味があるように思う。
一方で残念なのは・・・
一方残念なのは、あれだけ戦争を長引かせておいてベトナム人への謝罪の意識は露もないところ。この作品の中で「アメリカは今まで負け知らずで驕っていた」、「政治家は体面を気にして多くの若者を死地に追いやった」という認識がワシントンポストの英雄的行為の意義を掻き立てている。しかしそれだけ「悪いこと」という認識はあるのにベトナム側への謝罪の意は一切ない。これはブルーレイの特典映像(キャスト、スタッフインタビュー)でも一切触れられなかった。
まぁアメリカからしたら当時共産主義を攻撃するのは当然であったということなのだろうか。しかし自国の若者の命を体面のために失ったことを悔やむ一方で、ベトナムの若者の命については全く感想がない点が少し異様に映った。
今の日本人的感情からしたら「そうは言っても命は平等」という考え方が根付いているので、自国の喪失を悲しんだら自動的に「相手にとっても同じことだ」という発想が出てくるものだと思う。少なくとも私はそう感じたので異様に映った。
・・・ただこれは映像作品としての映画の外側の話だと思うので、この映画は変わらず最高だと思います。
最後にメリル・ストリープとトム・ハンクス凄すぎ。これだけ最高の映画で主役やってもすべてを引き連れてますなぁ。。。なんでアメリカってこんな俳優が生まれてくるんだか。
以上。めちゃめちゃ面白かったです。
好きなセリフ:「そんなことしたら建国の父たちが墓から這い出ちまうぞ!」
女社長の成長。
ベトナム戦争に関する詳細を政府の圧力に屈せずに記事にしようとした、ワシントン・ポストの話。
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後継者だった夫が自殺して急に社長になったメリル・ストリープが最初は男だらけの職場で相手にもされないけど、最終的な決断をビシッと決める所がなんともかっこよかった。
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裁判後もメディアの取材に答えて注目されることはないけど、女性達の熱い視線に見送られる姿がすごく印象的。
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最後、ウォーターゲート事件を匂わせて話が終わるんだけど私の知識ではなんでこれに繋がるかピンと来なかったからもっと勉強しようって思った。
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アメリカの近代の政治とか歴史(最近は韓国も)について結構映画で勉強できてるんだけど、日本にはこういう映画が少ない。映画から学べることって沢山あると思うんだよね。自分の国のことをもっと知りたい。
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やっぱりこういう映画が少ない日本はアメリカとか韓国よりひどいんだと思う。アメリカと違って日本では政治的なことをあまり話さない文化だとしても、それを文化の一言でまとめていい話じゃないと思う。
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やっぱり名優二人
動きは派手ではないけど、メリル・ストリープ、トム・ハンクスの二人がいると、よりリアルに伝わってくる。大統領何代にも渡る機密文書を入手し、新聞掲載をするのか、しないのか、国民の知る権利として、権力への牽制としての記者側の観点、法廷侮辱罪に訴えられ、会社を失う=社員も失業という経営者側の観点で描き、緊迫感があった。よくぞ、そんな中で女性オーナーのメリル・ストリープは実際決断したなと。そこに他の新聞も続いたことに感動した。また当時の活版印刷で新聞が作られる工程がわかって嬉しかった。元来、ジャーナリズムとはこういうものなのではないか、姿形だけ、自分たちが権威を振りかざしているような姿勢はジャーナリズムではない。また政治に興味関心もない国民はもっと情けないと感じてしまった。
ワシントンポスト
正義が勝つ!
タイムズとポストが手を組む、
他の新聞社もみんな掲載する。などストーリーの展開が見事。
お兄さんが戦地にいる妹さんの『激励』が胸にきた。
戦争反対!
日本のマスコミもこうなっていただけると新聞購読、雑誌購読するんだけどなぁ。
美術が素晴らしい
思ったより感動等なかった。メリルストリープとトムハンクスの演技は好みでないのかもと思い始めた。美術等にとてもお金かけていると思った。最後のメグの台詞、「The press was to serve the governed not the governors 報道が仕えるべきは国民、統治者ではない」これが言いたい映画だったのですね。この台詞は今の安倍政治にも響く言葉ではないだろうか。政治家がマスコミと一定の距離を置き癒着してはならないね。
集団人力がやるとこうなるのか!
これを観初めて最初に感じたのは『スノーデン』
警備員と他愛のない話をして最後に自分の決心を固めるところとか最初に出てくるのでそう思った。
でもね、トップシークレットを全部コピーするとか、
そりゃあ今よりセキュリティーは甘いのだろうけど、現在の時代にこの根性、しかも集団で持ってるって有るかしら?
そしてメリル・ストリープだから出来るのだろうけど、男性タチの常識を真っ向から否定するって事も本当に出来たの?
『スノーデン』も確かに凄かった!でもでもでも
人力で社会を動かす事は個人の問題ではなく近しい人達を巻き込み裏切り(それを詫びに行くとかどんだけ気遣いしてんの?)
この行為がその後のウォーターゲート事件からのニクソン辞任の序章だった。
偶然そのあとそちらの方の映画も続けてみたので、(蛇足だがこれがまた…)
アメリカの民間人が力を持つって事は支配者にとって脅威なのだ。
最近こういう映画よく見かけるには意味がある事。劇中にあったけど「奴らはしぶとい」まさしくです。
報道の自由ってこういうことなんだなとシビれた
機密文書の件が新聞になる、輪転機で紙に文字が「乗る」シーンにジャーナリズムを感じた。決して「世間を騒がせたい」という目立とう精神や売上主義ではない。
言葉で言い表せないジャーナリズムという精神には、「正義」という言葉が似合うのかもしれない。
記者は「正義の味方」ではなく、「正義」の味方なんだなーと。
報道の自由って、「正義の自由」なのかも。
最後までオシャレ。おもしろかった。
最高に感情が高まる映画
ワシントンポストがこんな決断を為したとは知らなかった。ジェフベゾスが買った理由の1つであって欲しいと思った。
犯罪行為である可能性が高いことを承知での記載の決断の重さ、そこからウォーターゲート事件に繋がりニクソン大統領辞任まで繋がる流れ。報道の自由が守られた貴重な事件がこうやって映画になるのは重要だと感じた。
記載決断のシーンで、記者と経営者の決断の重さの違いが出てくる流れ、最終的に世論や他紙の追随による最高裁の勝訴の流れ。どれもが強く心を動かされ、心が高まる映画だった
洪水処理力
情報の交通整理が上手すぎてたくさん車が走っていることすらわからない車間距離3センチの混み混みの高速道路のような映画だって忘れちゃうけど、これもうものすごい情報量だし置いてけぼりになるに決まってるはずなのにこの面白さな!
過去のものに対するフェチズムとチームプレイの気持ちよさと、何より情報のスピード感でこんな地味な映画がアクションムービーになってしまう凄さ。
国民のための大統領の呪縛との対決で命がけの報道の自由。圧巻の演技
#ペンタゴンペーパーズ #試写会 やはり圧巻の二人の演技で戦争シーンは少なかったけれどワシントンポスト紙が大統領よりだったが戦い法定侮辱罪の投獄から全マスコミが報道の自由で戦い勝つのがかっこいい。レモネードぼったくりだけどねー笑
圧巻の勝利と演技。
#ペンタゴンペーパーズ #試写会 やはり圧巻の二人の演技で戦争シーンは少なかったけれどワシントンポスト紙が大統領よりだったが戦い法定侮辱罪の投獄から全マスコミが報道の自由で戦い勝つのがかっこいい。レモネードぼったくりだけどねー笑
質が収益を高める
映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」
(スティーブン・スピルバーグ監督)から。
題材は「ベトナム戦争」だけど、テーマは「報道の自由」だ。
そして、報道の使命とは何か?を強く考えさせられた。
「権力を見張らなくてはならない、
我々がその任を負わなければ誰がやる?
報道の自由を守るのは報道しかない」と言い切るシーン。
また「趣意書にはこうもある」と前置きして
「新聞の使命はすなわち『優れた取材と記事』と。
「それに」とさらに付け加えるように
「新聞は国民の繁栄と報道の自由のために尽くすべきである」と。
ではどうするか?と考えた時、冒頭シーンにヒントがあった。
「10万の兵力を追加して改善せず、それは悪化と同じだ。
うちの読者はエリート層で教養があり要求も高い。
だから腕のいい記者に投資する。質が収益を高める」
そう、読者の要求に応えられるような記事を書ける記者こそ、
大切にしなければならない、と言っている。
最後に、裁判所の判事が、ダメ押しのように意見を述べた。
「建国の父たちは報道の自由に保護を与えた。
民主主義における基本的役割を果たすためだ。
報道が伝えるべきは、国民だ、統治者ではない」
質の良い記者の記事は誰もが読みたがるから、新聞が売れる。
そういうことなんだろうなぁ。
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