ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書のレビュー・感想・評価
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フェイクニュースを擁護するフェイク映画
個人的な感想だが、スピルバーグの映画には常に何か今1つ物足りないか今1つ余分なものを感じてしまい傑作と思ったことがかつて1度もない。
『シンドラーのリスト』が公開されて映画館で観たが、殺された少女の服だけ赤色に着色したのもやり過ぎに思えたし、シンドラーが涙ながらに、このボタンを売ればもっとユダヤ人を救えた!と訴えたシーンも、あまりにも臭い演出過ぎて、
だったら泣くもっと前に売っとけ!この偽善者が!
と思って映画全体が駄作にしか思えなかった。
ただし『プライベート・ライアン』の冒頭30分の戦闘シーンは圧巻だったと思う。
本作がスピルバーグ作品であることはエンドロールを観てはじめて知った。
上映中、眠気に勝てずに3分の1から半分は寝ていたのだが、反トランプを意識した作りになっていることは容易に想像がついた。
後にスピルバーグ自身も認めていることを知ったからそこは正直だと思う。
しかし、公然と宣言できるところに現在のハリウッドの反トランプに凝り固まった左翼気質が感じられる。
グローバリズムと共産主義は世界を1つにしようとする意味では双子の兄弟みたいなものである。
ロシア革命を起こした共産主義者たちの中心はユダヤ系アメリカ人である。
二次大戦後力をつけたのは共産主義国のソ連であり、もう一方の大国アメリカは東西冷戦終結後にユダヤ系金融資本が中心となってグローバリズムを押し進めた。
両方にユダヤ系がからむことは知っておいた方が良い。
ベトナム戦争では最終的に勝ったのは共産主義の北ベトナムである。
筆者にはベトナム戦争が仕組まれた戦争のようにしか思えない。
国際金融資本にはユダヤ系のロスチャイルドを中心としつつもロックフェラーも含まれるからもちろんユダヤ系だけではないし、最近では世界最大の共産主義国チャイナの資本家も含まれている。
なおロックフェラー家の当主の中には「アメリカの国益よりも人類全体のために貢献できることは誇りだ」と堂々とグローバリスト宣言した者までいる。
スピルバーグもユダヤ系である。
トランプはアメリカ第一主義で極端なグローバリズムに反対しているが、わざわざベトナム戦争を持ち出してまでトランプを批判する映画を制作するのは金融資本勢力の意志に見事にかなっている。
もしかするとスピルバーグは金融資本の御用映画監督に転んだか元々その支援の下で大監督の地位を手に入れたのかもしれない。
本作の騒動の中心であるニューヨークタイムズ(NYT)やワシントンポスト(WP)はトランプからもっとも嫌われる左翼メディアである。
NYTなどは日本を代表する左翼メディアの朝日新聞と提携していて、朝日の反日記事がそのまま英訳されてNYTに掲載され、それをまた朝日の記事やテレ朝の番組で海外からも批判を浴びていると報道するなど完全なマッチポンプの図式ができあがっている。
そのため筆者はNYTやWPの記事の引用というだけでうさん臭いとしか見ていないので、すべてを疑ってかかっている。
本作でも「報道の自由」が声高に叫ばれるが、そもそも左翼メディアの唱える「報道の自由」は「切り貼りして報道する自由」とか「自分たちに不都合なことは報道しない自由」とか、しょせんその程度のものでしょ?
そもそもピューリッツァーが賞を作ったのも新聞の記事が嘘だらけの三文記事ばかりだったことを嘆いたためである。
その当時から別にそれほど進歩していないと思うが、気のせいだろうか?
日本はむしろ明治時代から退化している。
明治維新後政権の中枢を占めたのは足軽や下級武士などの階級であり成金で教養がなく派手好きで腐敗も横行した。
ほとんどの武士は一般人になってしまったため、教養の高さを活かして生きるために新聞業に関わる者が多く出た。
そこで時の政府の不道徳ぶりを批判したのだ。
冤罪を創作する現在の新聞とは格が違う。
火のないところに煙を起こすのは日本だけではなくアメリカもさかんで、NYTとWPが中心となってトランプ攻撃の1つとして「ロシアゲート」を捏造している。
本作でも最後は「ウォーターゲート」に触れることで思わせぶりに画面が暗転しエンドロールが始まる。
いやあ、露骨すぎる!
本作も事実を元にしているだけで、劇的効果を狙って改変した演出は多く存在するはずである。
映画はもともとフィクションではあるが、フェイクニュースも辞さない左翼メディアを擁護する本作を「フェイク映画」と呼称しても大して問題ないだろう。
更なる情報社会に向けて振り返るべき事実
日本では非常にタイムリーなテーマな作品だが、最高機密文書に焦点を当てたのではなく、ワシントン・ポストを始めとするメディアの在り方を描いたものである。メディアは報道の自由を主張し、市民に事実を伝え市民の代弁者である必要がある。そうしてメディアは政権の暴走を抑制する機能を持つのであり、その意味でアメリカ最高裁判所は正常に機能していたと言える。(『デトロイト』とは対照的に。)スピルバーグは来たる更なる情報社会におけるリベラルの重要性を説いた。同時期に『レディ・プレイヤー1』も製作していることを考えると(当作は娯楽作品だと言われているものの)彼自身VR, AR, AIなどが発達した情報社会に多かれ少なかれ期待をしているのかも知れない。それが『ブレード・ランナー』のような世界になってしまうのか否かは私には判りかねるが、AIがポジティヴに人間に寄り添う作品も観てみたいものだ。時代は変わりつつある。
報道、表現の自由と言えば今年度ドキュメンタリー部門でオスカーを獲得した『イカロス』である。非常に緊張感のある危ないドキュメンタリースリラー(!)だった。
とても面白い
今こそ日本とアメリカで最も観るべき映画
事実に基づくものだけに、記者たち当事者の情熱、経営者の迷いや苦悩が二人の名優を通してよく描かれている。
淡々と時が進む中での切迫感、緊張感に手に汗握る展開で、映画としても優れている。
この映画を見て、個人として遣る瀬ない思いに駆られるマスコミ人も多いのではないか…
報道の自由を守るのは報道だ(´Д`)!! by tom
ベトナム戦争の戦時中に起きたワシントンポスト紙が命をかけて守った報道の自由についての話。
冒頭にあったトムハンクスとメリル・ストリープのノーカット1カメラのシーンからベテランの凄まじさと視聴者への安定感、作品のご挨拶のようにも感じてまず感動。
劇中のリズムとテンションは変わらず進められていくのだが、ペンタゴンペーパーズ(最高機密文書)に関わるNYタイムズのスクープ発覚からそれら文書への手掛かりを掴んでいくあたりでストーリーの熱が沸々と上昇していくのを感じて急に面白くなってくる。これはアクションやパニック、戦争映画にないパターンの興奮。
最後の最高裁の判決までしっかり楽しめた。
多少なりとも映画よりの美化された構成にはなっているのかもしれないが、「報道」のあるべき姿や素晴らしさ、必要性を感じさせる作品であったように感じる。こういった国の守り方もあるんだなと、三権分立の必要性はこういったことなんだなと。。。昨今の新聞やテレビを見ているとどこか胡散臭く信じ難い。政府の都合のいい操作をされていることなんていくつもあるのだろう。こういった信念に基づいた仕事をしてほしいものです。
鑑賞記録
2022/10/19
腐敗大統領。
スティーブン・スピルバーグ監督とは、実は相性がよくない。
満足したのは「ジョーズ」「レイダース 失われた聖櫃」くらいで、賞レースを賑わせた「シンドラーのリスト」や「プライベート・ライアン」でさえ、あざとさが見え隠れしている気がして絶賛というわけにはいかなかった。
しかし、本作は違っていた。
短期間で撮りあげたらしい作品は、そのもっているテーマ、映画としてのダイナミズム、俳優陣の盤石の芝居、どれをとっても最高品質である。
また、時代にも合っていた。2017年、2018年、アメリカも日本も、報道の自由を脅かしかねない状況になっている。そこへこの映画である。統治者はぜひこの映画を観てほしい。
「マスコミ」と一括りにしてしまいがちだが、新聞だけは違うと、僕も思いたい。
脚本のひとり ジョシュ・シンガーは「スポットライト 世紀のスクープ」の脚本も担当。うまいはずだ。
ラスト シークエンスが、よくできている。これは「大統領の陰謀」(アラン・J・パクラ監督)も見よ、ということであろう。かえすがえすニ○○ンは腐っていた、と。
最後の判決は感動!
娯楽映画の手法で
スピルバーグの見事なまでの語り口。メリル・ストリープの名演技。期待通りのトム・ハンクスのヒーロー振り。政治的メッセージを発信するだけの映画なのになんとも贅沢な!
鑑賞中は彼らの職人芸に引き込まれる。見事な娯楽映画だ。その手法はね。
しかし発信するメッセージは単純過ぎる。作り手トリオから容易に想像できる内容でシラけてしまった。政治権力に戦いを挑む報道のひとたちと云えば聞こえは良いが本作の主人公はエスタブリッシュメント。この戦いに負けても名声は更に高まるというような台詞が出てくる。命がけの戦いをしているのは文書を持ち出した彼だけだ。
PC、政治的正しさを語るエスタブリッシュメントに辟易した大衆がトランプ大統領を産み出したという。本作は彼らには響かないだろう。30年に亘るアメリカ政府の隠蔽を描いているのにJFKを懐かしみ、ニクソンは極悪人扱い。ラストのウォーターゲートビルの件では思わず失笑。アメリカのある立場のひとたちの正義ってことだろう。
現場の記者の命がけの戦いを描いた「大統領の陰謀」とは比べられない。
震えて、涙した。
アメリカでの動員数も中ヒット(7000万ドル程度)だったし、批判的なコメントも多かったので、期待せずに見たら。
自分の選択は正しかった!
次々出てくる文書と、その掲載を制圧しようとする国。編集主幹役のトム・ハンクスの敏腕ぶりがむちゃくちゃかっこいい。最近「いいおじさん」役が多かったし。メリルは反対に「あら、どうしましょ」と、亡き夫から受けた社主役が、うまいなあ。
報道の自由は、そして国民が知る自由。それが正しく行われるにはどうするべきなのか。自由の尊さを感じて、泣けました。文書が積みあがっていく様には、武者震いの連続。
公開しばらくして、各新聞社が映画の感想を載せているのも納得!
いやー、みてよかった。
今にも通じる苦悩と決断
鼻もちならないアメリカの自画自賛
自分の政治的信条抜きでは批評できないところで、この作品は立派なプロパガンダ映画だと思いますし、あまり国際政治に詳しくない層に一方的な見解を押しつけてしまうという意味で、この映画は「洗脳している」と言うことができると思います。当時の冷戦下での共産圏封じ込め政策や、ドミノ理論を知らない人間に、ベトナム戦争の正確な評価はできないのです(※ジョンソン、ケネディ、ニクソンと、「負の戦争」を継続していったことは、歴代の大統領が無慈悲な戦闘行為をやめられなかったというよりは、国防総省がある程度独立した軍事戦略をもっており、大統領の権威が限定的であることの表れです。国防戦略は、たかだか8年の大統領政権より、長い見積もりで見通しが立てられます。ベトナム戦争当時は、共産圏の封じ込めは必要条件であり、いっぽう、トランプ政権になっても、米国の対中対露の基本的戦略はオバマ時代と変わらなかったのです。突然、米軍が全面的にアジアから撤退したり、親ロに舵を切ることはありませんでした。このことは、トランプが悪玉であるとか、「権力は悪で、メディアがそれを監視する」といった素朴な見解からは、決して見えてきません。)
しかしながら、この作品の日本での評価は、日本的な政治風土上では、明らかに偏向した印象操作につながるでしょう。このような日本風の解釈は、米国におけるベトナム戦争への反省とは別次元のものです。そのような理由で、この映画は娯楽作品としては完全に失敗しており、最低点数をつけたいと思います。
私は、どちらかというと、「反米的」な保守であり、何もベトナム戦争を賛美しようなどとは思いませんが、この作品は時代遅れの反戦サヨクを勢いづける要素に溢れています。とくに、煽り文句にあるように、いまこの時代の日本で公開されることに、ことさら意味があるのならば、私はそれに嫌悪を感じますね。それは、芸術の政治的な利用に他なりません。
まあ、少しは映画の話をすると、『フォレストガンプ』では、どちらかというと保守的なポジションを演じ、ニクソンに面会しウオーターゲート事件の通報役を演じてたトム・ハンクスが、ここにきてクソリベラルの役を自ら演じているところに時代の流れを感じました。
脚本がうまい
脚本がうまいんだよね。メリル・ストリープをいかにも普通のおばちゃんって感じで描写してって「こりゃ決断するとき迷うわ」って感じにしてんの。だから文書を載せるかどうかのときに「どうするの、どうするの?」って観ちゃうんだよね。
でも途中で気付いたんだけど、このワシントン・ポストの社主って、お父さんも旦那さんもジャーナリストなんだよね。骨の髄までジャーナリスト魂みたいなのは染み込んでると思うんだよ。だから文書入手した瞬間に「絶対に公表する」って決めてた気がするな。
「私は断固公表する」って話だと盛り上がりに欠けるから、葛藤状況作って描いたんじゃないかな。
ワシントン・ポストが文書公表する動機というか、文書入手の動機って「ニューヨーク・タイムズにやられた!」って話で、別に国をどうこうしようと思ったわけじゃないんだよね。だから「国のことを思って」ってのは弱くなってんの。
「こいつは国のことを思ってやったな」ってのは文書持ち出した人だね。ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストより偉い。次は最初に公開したニューヨーク・タイムズだよね。
そんな事情がありながら、映画化するときに一番印象的になるところを抜いてきたんだろうな。スピルバーグうまいと思ったよ。
メリルストリープとトムハンクスの演技の幅に感動する
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