日日是好日のレビュー・感想・評価
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日本人の醍醐味
ほとんど樹木希林さんと黒木華さんが茶室で対面してる場面ですが、季節の移り変わりを和菓子と掛け軸の変化で表して四季のある日本に生まれてつくづくよかったと実感する映画です。言うまでもなく樹木希林さんの十分に重みのある、でも自然な演技、本当に日本映画界は大きな財産を失ってしまったと思います。黒木さん、多部さんもとても味わいのある演技で、ゆったり、まったりほのぼの観られて心地よい余韻の残る素敵な作品です。個人的には鶴見辰吾さんが黒木さんのお父さんか〜って感慨深いものがありましたね。金八先生での当時のインパクトが懐かしく思い出されます。戌年からふた回りを経て黒木さん演じる主人公の新たな挑戦を暖かく見守りたくなりました。
本当に残念な感じのお茶の映画だった
自分の居場所を見つけるのに24年掛けた女性の話。でも、薄----いんだこれが。
かつ、お茶の映画。これまた、薄いーーーーーーー。否、浅いか。
樹木希林さんの所だけ大気圏外。四季折々の風情を伝える映像はかろうじて美しけり、という映画で、眠らなかった自分を褒めたくなるし、比較的大きな寝息を立てていた、後ろの方のお父さんの気分も良く分かる映画でした。
毎日毎日の小さな幸せを見落として生きている人たちに、お茶の世界を通じ、こんな風に生きてみませんか?って説いてる映画なんだろうと思うが、これじゃ通じない、って思いました。それは、物語を構成する「お茶の世界」「主人公女性の生き方」の両者の描写が共に浅くて薄いからだと思う。
(追記)
「自己を研ぎ澄ます」。日本の文化・芸能・武道などに身を置く者に求められる精神です。黒木華、全然ダメでしょ。才能あるとか無いとか、いつまでも言ってる。この子のお茶は24年経っても「習い事」です。
四季は肌で、体で感じる。雨は音だけじゃ無い。傘を差して「外」を歩けば、重さと温度が季節を教えてくれる。
矢張り、どの様に眺め様が浅いと思うのだが、この映画。軽くコミカルな表現も三声和音のピアノとか子供っぽいだけでしょ。
希林さんと彼女の着物とお茶菓子の三点は良かった。
心を充たす
涙の一歩前の何か、
「今」を味わう
黒木華さん、多部未華子さん、樹木希林さんといった、演技派のキャストが揃っており、登場人物が皆、生き生きと表現されていてとても魅力的でした。
中でもやはり希林さんの演じる武田先生は素晴らしく、彼女が発する一言一言が、まっすぐに心に響いてきました。
私が感じたこの作品のテーマは「今を味わって生きる」というものでした。
明日、どんなことがあるか分からない。突然、大切な人がいなくなるかもしれない。
でもそんなことでくよくよしても仕方がない。私たちにできることは今を大切に生きることだけだ。
「雨の日は雨を聞く。雪の日は雪を見て、夏には夏の暑さを、冬は身の切れるような寒さを。五感を使って、全身で、その瞬間を味わう。」
茶室はそんな瑞々しい「今」を味わうのに1番の場所だったのかもしれません。
未来は「今」の積み重ねで出来ているということを忘れないでいたいと思いました。
日本人でよかった。
諸行無常と一期一会
一期一会。利休以来の茶の湯の真髄を示す言葉だ。その日その時その場所での邂逅を喜び、堪能するのがお茶の心であり、それはとりもなおさず人生の楽しみでもある。この言葉は映画の中の台詞にも出てくる。
諸行無常。平家物語の最初に出てくるこの言葉は、時代の移り変わりと人の栄枯盛衰をたった四文字でいみじくも表現している。さすがにこの言葉は台詞としては出てこないが、登場人物それぞれの物語ひとつひとつを語る黒木華のナレーションには、諸行無常の響きがある。
この作品には、二つの四字熟語をひとつのドラマで描いたような、深い味わいがある。茶道の映画だけあって、シーンの大半は茶室が舞台であるが、二十四節季に合わせて掛け替えられる掛け軸と、気候に合わせて供せられるお茶菓子のひとつひとつには、見るたびにハッと気づかされるような繊細なセンスがあり、それぞれのシーンの楽しみにもなっている。唯一変わらないのが「日日是好日」という書で、決して掛け替えられることはない。掛け替えのない言葉なのだ。
世の中では、茶室がその後茶の間と呼ばれて家族が季節を愛でたり気持ちを交わしたりする部屋となったが、いつの間にかテレビを見る場所になり、そして今では茶の間という言葉さえ死語になりつつある。それもこれも諸行無常だが、日日是好日という一期一会の感性は、これからも受け継がれていくだろう。
樹木希林の演技は、もはや何も言うことがない。芭蕉にとっての松島のように、映画の樹木希林は、樹木希林なのであった。
黒木華は、決して美人ではないが大和撫子らしい奥ゆかしさと清々しさがある主人公を十分に演じた。先に形を作って後から心を入れていけばいいという、とても分かりにくい師匠の教えを、鵜呑みにもしなければ頭から否定もしない。答えを出す代わりに、年月を経て彼女なりの所作、彼女なりのお茶を見つけていく様子が、美しい四季の映像とともに描かれ、心が洗われるように涙が止まらなかった。
大森立嗣監督は、三浦しをん原作の「光」でその独特の世界観を披露していた。不協和音の演出は賛否両論だったが、多分どうしても心の中のカオスを表現するのに必要だったのだろう。本作品でも海に浮かぶ父親のイリュージョンに対して絶叫する不思議なシーンがあった。大和撫子の心の中にも闇はあるのだ。
嗚咽して号泣して涙と一緒に闇が流れたとき、再びお茶を楽しむ日常が戻ってくる。日日是好日。本当に素晴らしい映画だった。
希林さんに会いたくて
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