「黒木華ってこんな大根役者だっけ?」日日是好日 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
黒木華ってこんな大根役者だっけ?
主演の黒木華は、若手でも指折りの演技のしっかりした俳優だと認識していたのだが、この作品における彼女は、時折高校生の演劇部かと思わせるほどに拙い芝居をしている。
それとも、これは相対的な印象に過ぎず、樹木希林の演技の前には彼女のそれが小手先のものに見えてしまうだけなのか。
いずれにしても、大学生から中年までを黒木がどう演じるのかを楽しみにしていた観客にとっては、少し物足りない味わいとなっている。
そして、フェリーニの「道」についての言及が、それほどまでに必要だったのか。正直、映画のどの場面よりも、黒木が「道」について語る部分で、ジェルソミーナとザンパノの哀しい物語を思い出し涙腺が緩んでしまった。
確かに、ものごとを「すぐに理解できること」と「時間をかけて理解すること」に分けて考えるという、現代に失われつつある弁えの具体例を提示する意図は分かる。
しかし、映画を観ている者に、映画を具体例として提示することは、あまり賛同できない。他の映画を引き合いに出していることが成功している作品もあるが、それはもっと他愛ないことを語っているものである。「道」はあまりにも重い。
遺作となってしまった樹木についてはもちろんのことなのだが、父親役の鶴見辰吾もとても良かった。
茶道のお稽古をサボって中華街へ行こうかと迷う黒木に、「自分で決めなさい」と言える父親がこの世に何人いるだろう。自分自身も同じ年頃の娘を信頼して、同じことを言えるだろうか。
恋愛で躓いた娘が、久しぶりにお稽古へ出掛ける。立ち直りの兆しを感じた父親が、「お母さん、お酒飲もうか?」と、真昼間から一升瓶を取り出す。隠しきれない嬉しさ。
この二つのシーンの鶴見が素晴らしい。歳を重ねるにつれて、素敵な俳優になってきた。
そして、最後に樹木の演技(なのか、地なのかもはや誰にも分かりはしない。)である。映画の中での彼女のセリフに「頭で考えずに、体で覚えなさい。」「手が知っている。」という、茶道の指導者としての言葉ある。
これは、彼女の演技そのものについても当てはまるのではないだろうか。
頭で考えた人物造形ではなく、その人物としてものを考え、感じると、その必然的な結果としてある言葉や表情が勝手に出てくる。彼女の演技がそんなところから生まれてくるような気がする。
少なくとも、この俳優がその人物のことを、誰よりもよく知っている人なのだということが、スクリーンを見つめている側には感じられるのだ。