「あまりの痛さに悴然とする。」聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
あまりの痛さに悴然とする。
因果応報というのか、運命のいたずらとでも言うべきなのか。しかしながら、そのあまりの痛さに悴然たる思いが拭えませんでした。評論子は。本作を観終わって。
確かにスティーブンの所為は、医者としては、絶対に行って良いことではなかったことでしょう。
しかも、心臓外科という、危急の場合には微妙な手技が要求される手術を緊急に施行しなければならない立場にある者としては、なおさら。そして、スティーブンの内面に重く重く、重くのしかかる反省、悔悟、後悔、斬鬼の念が、ますます彼を狂気へと駆り立ててゆく…。
そんな「怖さ」が、全編にわたって溢れている一本だったと思います。
また、映画作品としても、いかにも不安げなBGM や、スティーブンスが勤務する病院のシーンがでは、カメラの構図の取り方が何とも不安定というのか…気持ちの悪いくらい歪(いびつ)で、それがまた、作品全体に広がる不安感を強く醸し出していたと思います。子供たちをが罹患してしまったという謎の奇病の不可解さとも相俟って。
(本作のように、画面の構図の取り方で、観ていて不安に駆られるというのは、評論子には初めての体験でした。)
本作は、レンタル店の店頭で見て、邦題に惹かれて、何の予備知識もなく観ることにしたものでしたが、こんな作品だったは。
(これも、映画を観ることの醍醐味のうちでしょうか。)
「元々は自分が蒔いた種子なのだから、自分で刈り取れ」と言ってしまえば、それだけの話なのかも知れませんけれども、人間は、誰だって「常に完璧」と言うわけではないもの。
しかし、本来が人の命を預かる立場の医師であったスティーブンスには、そんなご託は、最初から通用しなかったと言うべきなのかも知れません。
(もう一歩進めて考えると、実はマーティンは、スティーブンス医師自身の良心の呵責の化体だったと考えたら、それはやはり、評論子の独りよがりというものでしょうか。)
本作は、ギリシャ神話の「イピゲネイアの犠牲」を素材としているそうですが、いずれにしても、これもストーリーとして「犯した罪の償い」という意味では、秀作では、あったと思います。評論子は。