ジュピターズ・ムーンのレビュー・感想・評価
全4件を表示
エウロパの希望と現実
人が、宙に浮く。それをどう表現するのか?シンプルなアイディアを斬新な切り口で観せている、それだけでこの映画はかつてないほどユニークである。
浮遊する少年を見上げたり、見下ろしたり、まるで一緒に浮かび上がっているような視点。
ここのレビューにも沢山書かれているように、思ってもみなかった視点で映像が紡ぎ出されるので、三半規管がダメージを受けるのも致し方ない。
物語はシリア難民の少年・アリアンと、難民キャンプの医師シュテルンの出会いから始まる。二人の間に特別な絆はない。
はぐれた父を探したいアリアン。アリアンをダシにして金を貯めたいシュテルン。そこには信頼も尊敬も同情もない。
アリアンを銃撃した国境警備隊のラズロも、己の行為を隠蔽するために二人を追っているだけで、そこには正義もない。
ヨーロッパ、という希望の地をチラつかせられ、新天地を求めるシリア人。難民を理解する事には関心のないヨーロッパの白人たち。利己と保身から時に非道な手段に出る国境の国ハンガリー。
それぞれを擬人化したようなキャラクターが興味深い。
宙に浮くアリアンをたまたま目撃した女性は、「天使」と表現した。ヨーロッパに危機をもたらす難民問題の、その当事者である難民のアリアンが「天使」であるとする見方が何とも皮肉。
生きることに困難を抱え、大量に流入する難民たちをどこか「自分達より劣等」と思っているんじゃないのか?
ムンドルツォ監督からの、痛烈なメッセージだ。
映画の中でアリアンは、父との安全な暮らしという望みを断たれ、新天地だと思っていたヨーロッパに見放された。アリアンをテロリストとする報道の中で、かろうじて味方と言えるのはシュテルンだけになってしまった。
シュテルンもまた、医療ミスの訴訟を取り下げてもらう望みを失くし、恋人にも裏切られ、拠り所と言えるのは「アリアンは神が遣わした天使なのではないか」という脆い予感だけ。
お互いに何の関心もなかった存在だが、追いつめられた逃避行の果てに残ったのは、お互いの存在だけである。
映画の中では一切言及されないが、アリアンが宙に浮く時、それと前後して人の死がある。病に侵された金持ちの死、差別主義者の自殺、テロ行為の犠牲者たち。
多分アリアン自身、最初の銃撃で命を落としていて、それが彼の肉体を浮遊させるきっかけになったのだろう。
なんとかアリアンを別の国に逃がそうとするシュテルンは、瀕死の重症を負う。
シュテルンの命と引き替えに、アリアンはラズロの追跡を逃れ、その姿は多くの人が見上げる事となる。
人生の最期に、アリアンという存在を信じ天に召されるシュテルンと、シュテルンの死を受け入れ、死をもって自分を助けようとするシュテルンを信じて飛んだアリアン。
それは確かに理論を超えた感情だった。
地を這うものたちは、自分の価値観が覆るような存在をどう見たのだろうか?
魂の解放?信仰への回帰?種を優劣に分けるような価値観への拒絶?
その問いは地から解放されたような映像体験と共に、私の中にいつまでも残り続ける。
奇蹟を眼にした人達
ハンガリーを舞台にしたのは初めてかも。
なかなか渋い舞台。
密入国者を射殺する警官も酒飲んで医療ミスする医者もなかなか世俗にまみれていい味してる。
一筋縄ではいかない世の中で、何故かピュアな奇蹟を体現する密入国者の少年が現れる。
否定したり利用したりしようとするけれど、奇蹟を目の当たりにしていると変わっていくものかと考えさせられる。
彼の浮遊感が気持ちいい。
シリア難民問題で揺れるヨーロッパに、天使が降臨する
コーネル・ムンドルッツォ監督といえば、カンヌの"ある視点"部門グランプリを獲得した「ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲」(2015)。ハンガリーのブタペストを駆け抜ける250匹の犬。法律によって保護施設に入れられた雑種犬たちと、ひとりの少女が起こす反乱を描いた独創的な作品だった。
本作は、そのムンドルッツォ監督によるSFタッチの社会派映画である。
オープニングで語られるタイトルの、"木星の月(ジュピターズ・ムーン)"とは、木星にある69個の衛星(月)のうちのひとつ、"エウロパ"のこと。1610年にガリレオが発見した衛星で、海を持っていることから生命の存在の可能性があるとされる。"エウロパ"はギリシア神話のゼウスが恋した姫の名前で、ヨーロッパという地名の語源でもある。
このことから、本作が"ヨーロッパ世界"を語っていることを暗喩している。さらに"空中浮遊"の特殊能力を持った少年アリアンが出てくるのだが、宇宙SFドラマではない。
少年はシリア難民を代表する象徴であり、父親と共に、内戦の祖国シリアからハンガリーに逃げてくる。国境を越えようとした少年は、父とはぐれてしまい、さらに国境警備隊のラズロに銃撃されてしまう。そのとき、少年は"空中浮遊"という不思議な力を得る。
少年の"空中浮遊"はゆっくりと幻想的で、最新のVFXでは出せないアジを醸し出す。実際にCGではなく、撮影はクレーンで吊るというアナログな手法である。
難民キャンプで少年と偶然出会うのは、医師シュテルン。自身の医療ミスで患者を死に至らせ、遺族からの訴訟と多額の慰謝料に追い込まれている。仕方なく難民の不法入国を助けて、金を稼がなければならない。
シュテルンは金を稼ぐため、少年アリアンの"空中浮遊"を利用して、神の為せる業と、"天使の降臨"と称することを思い付き、荒稼ぎをはじめる。
しかし、少年を銃撃したラズロは執拗に追いかけつづけ、医師シュテルンと少年の逃避行がはじまる。本来エリートであり、人の命を救う聖職であるべき医師のシュテルンは、少年との関係性の中で、"自己犠牲の精神"を思いだし、改心していく話だ。
本作のテーマは、大勢のシリア難民を受け入れるか、拒否するかで揺れるヨーロッパ諸国の人々の行動を問う作品になっていて、一方で、難民による自爆テロの現実も挟み込んでいる。
終盤、シュテルンはついに少年にひざまずき、自身の罪の赦しを乞うようなイメージシーンが出てくる。少年は空から人々を見下ろす、"天使"となり、地面と周りしか見ていない人々の目線を、空に向けるための"象徴"ともなる。
少年を追いかけていたラズロも、最後には少年の能力を畏怖し、少年の逃亡を見逃す。本作は、SFのようなアプローチがとりながら、強いメッセージをヨーロッパ社会に投げ掛けている。
医師がひとりひとりの命と向き合い、患者を救済していくように、難民も、国が考える"難民問題"というカタマリではなく、ひとりひとりに人格や能力があり、それぞれの命を大切に考えていくことなんだということを主張する。
ひとりの医師が命を懸けて、たったひとりの難民の少年を救うことで、ひとりを救うことにも意味があると、じわじわと滲ませている。
(2018/1/30 /ヒューマントラストシネマ渋谷/シネスコ/字幕:横井和子)
普通に楽しめます。
日経の映画批評で☆が満点の5点だったので、期待して観に行きましたが、感想は普通です。まぁ、それなりに楽しめますが…
ラストも主人公がどうなるかは観た人に任せる形で終わります。
全4件を表示