「エウロパの希望と現実」ジュピターズ・ムーン つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
エウロパの希望と現実
人が、宙に浮く。それをどう表現するのか?シンプルなアイディアを斬新な切り口で観せている、それだけでこの映画はかつてないほどユニークである。
浮遊する少年を見上げたり、見下ろしたり、まるで一緒に浮かび上がっているような視点。
ここのレビューにも沢山書かれているように、思ってもみなかった視点で映像が紡ぎ出されるので、三半規管がダメージを受けるのも致し方ない。
物語はシリア難民の少年・アリアンと、難民キャンプの医師シュテルンの出会いから始まる。二人の間に特別な絆はない。
はぐれた父を探したいアリアン。アリアンをダシにして金を貯めたいシュテルン。そこには信頼も尊敬も同情もない。
アリアンを銃撃した国境警備隊のラズロも、己の行為を隠蔽するために二人を追っているだけで、そこには正義もない。
ヨーロッパ、という希望の地をチラつかせられ、新天地を求めるシリア人。難民を理解する事には関心のないヨーロッパの白人たち。利己と保身から時に非道な手段に出る国境の国ハンガリー。
それぞれを擬人化したようなキャラクターが興味深い。
宙に浮くアリアンをたまたま目撃した女性は、「天使」と表現した。ヨーロッパに危機をもたらす難民問題の、その当事者である難民のアリアンが「天使」であるとする見方が何とも皮肉。
生きることに困難を抱え、大量に流入する難民たちをどこか「自分達より劣等」と思っているんじゃないのか?
ムンドルツォ監督からの、痛烈なメッセージだ。
映画の中でアリアンは、父との安全な暮らしという望みを断たれ、新天地だと思っていたヨーロッパに見放された。アリアンをテロリストとする報道の中で、かろうじて味方と言えるのはシュテルンだけになってしまった。
シュテルンもまた、医療ミスの訴訟を取り下げてもらう望みを失くし、恋人にも裏切られ、拠り所と言えるのは「アリアンは神が遣わした天使なのではないか」という脆い予感だけ。
お互いに何の関心もなかった存在だが、追いつめられた逃避行の果てに残ったのは、お互いの存在だけである。
映画の中では一切言及されないが、アリアンが宙に浮く時、それと前後して人の死がある。病に侵された金持ちの死、差別主義者の自殺、テロ行為の犠牲者たち。
多分アリアン自身、最初の銃撃で命を落としていて、それが彼の肉体を浮遊させるきっかけになったのだろう。
なんとかアリアンを別の国に逃がそうとするシュテルンは、瀕死の重症を負う。
シュテルンの命と引き替えに、アリアンはラズロの追跡を逃れ、その姿は多くの人が見上げる事となる。
人生の最期に、アリアンという存在を信じ天に召されるシュテルンと、シュテルンの死を受け入れ、死をもって自分を助けようとするシュテルンを信じて飛んだアリアン。
それは確かに理論を超えた感情だった。
地を這うものたちは、自分の価値観が覆るような存在をどう見たのだろうか?
魂の解放?信仰への回帰?種を優劣に分けるような価値観への拒絶?
その問いは地から解放されたような映像体験と共に、私の中にいつまでも残り続ける。