ベロニカとの記憶 : 映画評論・批評
2017年12月19日更新
2018年1月20日よりシネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほかにてロードショー
絶妙なキャスティングで魅せる、孤独な老人が直面する残酷な真実と微かな希望
近年、ジュリアン・バーンズの「終わりの感覚」ほど、老いのもたらす記憶の摩滅作用、あるいはその捏造のからくりを精緻きわまりないリアルさで解剖してみせた作品はほかにない。このブッカー賞を受賞した英国小説の最高峰を、インド出身で「めぐり逢わせのお弁当」のリテーシュ・バトラ監督が映画化すると聞いた際には、当初、いささかミスマッチな組み合わせに一抹の不安を抱いたが、それは杞憂にすぎなかったようだ。
成功の理由はなによりも主人公トニーをジム・ブロードベント、初恋の女ベロニカをシャーロット・ランプリングが演じる絶妙なキャスティングにある。
平穏で一人きりの引退生活を送るトニーのもとに見知らぬ弁護士から手紙が届く。日記と500ポンドをあなたに遺した女性がいると――。その女性は四十年前に別れた初恋の相手ベロニカの母親だった。託されたのは高校時代の親友でケンブリッジ在学中に自殺したエイドリアンの日記で、別れた後ベロニカは彼の恋人になったが、その日記がなぜ母親のところにあったのか。
トニーはその謎を探りながら、次第に、多感だった青春期をノスタルジックに追想し、甘美な感傷に耽り始める。しかし、そんなトニーに冷水を浴びせるように、彼の脳裏に断片として浮かぶ記憶のことごとくが、いかに都合よく修正され、独りよがりで欺瞞に満ちた捏造の産物であったことが容赦なく暴かれる。いわば過去に復讐されるのだ。ジム・ブロードベントは曖昧な照れ笑いで常に自己防御している、救いがたいまでに愚鈍な老人を見事に演じている。
さらにトニーに再会し、「やっぱりあなたはわかっていない。でも、いつでもそうだった」とつぶやくときのシャーロット・ランプリングの深い諦念を漂わせる、謎めいた眼差しはやはり圧巻である。
原作との大きな違いはトニーの娘スージー(ミシェル・ドッカリー)を出産まじかのシングルマザーにしたことだろう。トニーは離婚した妻マーガレット(ハリエット・ウォルター)ともこの娘を介して、かろうじて親密な関係を維持しているのだ。原作では、残酷な〈真実〉に直面した主人公を冷徹につきはなす、痛切でアイロニーに満ちたエピローグが鮮烈な印象を残す。しかし、映画は、この自己本位で孤独な老人を、時間によってゆるやかに形成された、悔恨と赦しと微かな希望が兆す円環の中に静かに解き放つのだ。
(高崎俊夫)