「プレイが良く見えるテニスシーンに好感」バトル・オブ・ザ・セクシーズ 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
プレイが良く見えるテニスシーンに好感
社会はまだまだ発展途上で、今現在も、性別や人種やLGBTQや障害などによる差別をなくしていこうとしている途中の状態。この映画の1970年代前半という時代から、45年をかけてどうにか今に至ってはいるものの、長い歴史で考えれば”僅か”45年前まで、ここまであからさまな男女差別が横行し、それが当然とさえ思われていたということに、(もちろん分かってはいたけれど)改めて少なからず衝撃を受ける。45年と聞くと長い歴史に思うけれど、いやいや全然昔話でもない。45年前で30歳だった人がまだ70代で存命どころかまだまだ元気なのだから、自ら価値観のアップデートをしていない限り彼らが「老害」扱いされるのも仕方ない気がしてくる。
世界的にウーマンリブが盛り上がっていた時代。テニス界で起こった、時代を象徴するかのような試合を描いたこの映画。映画を見ているだけで、70年代に女性がいかなる扱いを受け抑圧されていたかが肌で感じられてくる。女は寝室と台所にいるものであり、男は女より生物学的に優れた存在である、と本気で考えている男連中が次々に登場する様子に面食らうが、今だからこそ彼らを愚か者に思えても、当時はそれが一般的な価値観だったということなのだと思い出す。そして、そんな男性至上主義者の象徴として、スティーヴ・カレル演じるボビー・リッグスが君臨するわけだが、この映画が巧いのは真の差別主義者がどこにいるかに言及したところ。ボビーは確かに男性至上主義者だっただろうが、と同時に彼はそれを演じる道化師でもあった。真の差別主義者は紳士のような顔をして女性選手を差別に追い込むジャック・クレイマー氏(ビル・プルマンが妙演)であることを突き止める。彼は自分を差別主義だとさえ気づいていないかもしれない。心底、女より男は優れていると信じているるから悪意はない。だからこそ余計にたちが悪い。エマ・ストーン演じたビリー・ジーンも、ボビーに勝つことよりも、ボビーに勝つことでクレイマー氏に打ち勝つことが目標の先に見えていたのではないだろうか。ただビリーにテニスで勝っただけでは、この映画のテーマは表現しきれなかったはず。そこにジャック・クレイマー氏のような真の差別主義者への言及があったことで、よりこの映画のテーマがくっきりしたように思う。
またこの映画で何より良かったのは、クライマックスのテニスシーン。何しろ、きちんと試合が見える、きちんとプレイが見えるテニスシーンだったのが何より良かった。スポーツ映画でクライマックスの試合を見せるとき、臨場感やスピード感を出すために(あと役者とスタントの境目を誤魔化すために)やたらカット割りを増やして、今だれがどこで何をしているんだか分からないほどカットが刻まれてしまうようなことも少なくないのだが、この映画は俯瞰からテニスコート一面を映したショットをメインにし、それぞれのプレイがしっかりと見える演出になっていた。まるで中継で実際の試合を画面越しに見つめているような感覚。だから思わず見事なプレイが出ると、おっ、と拳を握ってしまうような瞬間が何度もあった。派手な演出ではないけれど、だからこそ良かったなと思った。
作中、女性選手が男性選手と同額の賞金を求めたのに対し「欲張りだ」と言うセリフがあった。
いつだったか、LGBTQのとある団体がハリウッドの映画業界に対し、LGBTQの役柄をもっと増やしてほしいと申し立てをしたというニュースが流れた。そのとき、そのニュースを見た一般の人のコメントは(私が目にする限り)「欲張りだ」「こういうことを言うからLGBTはめんどくさい」と言うものがほとんどだった。
45年で何が変わったかと言えば、差別する対象がスライドしただけで、差別の内容は変わっていないのでは?と思わされた。