聖なる泉の少女のレビュー・感想・評価
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【”癒し手・・。”幽玄なる自然と、信仰と風土が醸し出す静謐な雰囲気がジワリと来る作品。聖なる泉に棲む真白き鯉と、少女が”聖なる泉の守り手”になる決意をする姿が印象的な作品でもある。】
■ジョージアにある山深い村。
そこには人々の心身を癒やしてきた聖なる泉があり、ある家族がその水による治療を代々行ってきた。
今は家族はそれぞれ独立しており、年老いた父親は娘のツィナメに後を継がせようとする。彼女はその使命に思い悩むのだが、徐々に自らの使命を自覚し、聖なる泉の守り神である、白い鯉を自ら湖に戻すのである。
◆感想
・今作の様な幽玄な作品は個人的に好きである。故に、今作の様な作品にドラマティックな展開を求めてはいけない。
只、観る側はその幽玄なる世界観に浸れば良いのである。
<今作は、聖なる泉を守って来た父と、白い鯉に対し、最初は何で私が継ぐの?と思っていた少女が、その崇高な行為に目覚めていく過程を静謐なタッチで描いた作品なのである。
今作の、スピリチュアルな雰囲気も愉しみたい作品でもある。>
ジョージア映画で観る、今や失った世界
静謐なもの悲しい話
グルジアの幽玄な自然と静寂に圧倒される
45分の短編映画であれば佳作
古くから続く信仰の終焉。すぐそこに迫る環境破壊。
必ずしも個々のシーンの内容を理解できたわけではなかったが、テーマは分かる気がする。
だが、例えば、父親が椅子に座るシーンを長々と映すのが、“映画”なのか?
45分の短編映画であれば、印象深い佳作だったろう。
しかし、どうでもいい映像によって、かなり希釈されてしまっている。
そもそも、映像で何かを遠回しに暗示したり、注意深い鑑賞者のみが意味をキャッチできるような映像の出し方は、自分の好みではない。
映像の形でしか表現できないものは別だが、平凡な話を深遠に見せかけているだけだと思う。
最後のシーンは、キリストのように水面を歩く奇跡だったのだろうか?
それすらよく分からないくらい、良くも悪くも、しっとりした空気感を最優先したシネポエムであった。
人間ドラマとしても、掘り下げが浅い。
泉を守る父娘でさえ、街へパンを買いに行き、車に乗って移動する生活とは無縁ではない。
公式サイトにあるような、「今日の物質文明に異議を投げかける」のならば、父娘の生活の全体像をリアルに示してこそ、真の問題に触れたことになるのではないだろうか?
一方、この映画が、非現実的な“おとぎ話”の、美しい映像化に過ぎないとすれば、自分としては観に行って失敗だった。
自らの内在的な要因から魔力を失う巫女の話なのか、環境破壊という外在的要因で涸れる泉の巫女の話なのか、はたまたその両方なのか? 茫洋としており、自分にはよく分からない映画であった。
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