「同じ岐阜人として」モリのいる場所 fuhgetsuさんの映画レビュー(感想・評価)
同じ岐阜人として
映画「モリのいる場所」を、またまた名古屋で見逃したので、岐阜の懐かしの映画館での公開初日に行ってきました。
結果的にこないだの「おだやかな革命」もだけど、岐阜人としてどちらも岐阜の劇場で観れたことは感慨深い。
モリとは、言わずと知れた熊谷守一さんのこと。
尊敬してやまない大好きな画家の、画集や展覧会などで見聞きする作家のエピソードなどで勝手にイメージはしていたものの、長い生涯の中のほんの一瞬である晩年の日常をさらりと描くことで、それまでどんな人生であったかも超越した、あるがままの守一像を映し出した秀作である。
監督がだれであれ 、被写体がいいからいい作品に仕上がったというのも違う。
沖田修一監督だからこそのモリのいる場所へ、観るものを誘ってくれたように思う。
樹木希林さんは演じることなく、「万引き家族」よりさらに自然体でそこにいてくれました。
山崎努さんの奥西死刑囚役だった「約束」もすごかったけど、モリ役はさすがすぎて言葉にならない。
近年、こうした自然に還るライフスタイルを題材にした映画がロングランとなるほど時代は変わったのはよいことだけど、あの「人生フルーツ」より、わたしにはこっちの生き方や暮らしの方が自然で好きだ。
どっちがいいかを比較してるわけではない。
自分もこうなりたいという気持ちにさせるのがフルーツなら、モリは自分もそうなっちゃいそうな非常に近い感覚が、魂なのか血なのか身体の奥から、迷ってないでなっちゃいな、今すぐやればいいじゃんと後押しするワクワク感。
今この時代に映画化してくれたことにも感謝だけど、この偉大な画家が本当に評価されるのはもっともっと先の50年後100年後なんじゃないかと思うほど、まだまだ知らない魅力に満ちた存在なのです。
映画についてもあれこれ書きたいことは山ほどあるけど、ネタバレ暴走しそうなんでやめときます。
そして、ここで観た理由がもう一つあります。
映画館シネックスを出てすぐのところにある、柳ヶ瀬画廊へ初めて訪れることができました。
ここは昔から熊谷守一の魅力を発信しつづけてきた老舗画廊。
展示されてる絵や書を見せてもらったり、オーナーさんたちとモリ話に花が咲きました。