シェイプ・オブ・ウォーターのレビュー・感想・評価
全659件中、281~300件目を表示
不思議で素敵な作品。
全体的に暗い感じの映像でしたが、とてもノスタルジックで美しかった。
特に雨のシーンや水中のシーン、そして部屋を水浸しにしてしまうシーンなと、「水」をとても美しく描いていて印象に残りました。
正直、こういったモンスター物?が作品賞を獲るとは思っていませんでしたが、とにかく妙に余韻の残る作品です。
偽善と差別と偏見に満ちた現代社会を風刺しているようにも感じられましたが、全体的に愛を感じる作品でした。
とても不思議なファンタジーです。
女性性について
何だか大佐の印象が強く残る
レビューの評価がよかったので見に行ってきました。思い返すと、主人公や半魚人より、大佐の印象が強く残りました。一緒に見た妻は、キャデラックを買うシーンや自宅二階のシーンは要らないのでは、と言ってましたが、私はどちらも必要だと思いました。バスタブのシーンの方が2回も出てきて、うーん。。。
たまたま大佐の顔に似た人が会社にいたからか、もしかして同情しちゃったのかも。。。あと、半魚人がネコを頭から食っちゃったのには笑わされました。そんな彼と恋に落ちるんだから、やっぱ女の人は強いよね。
同じ思いと特徴を持った異性のラブストーリー
デルトロさん相変わらずエロと暴力描写がどぎついな〜と思う所もありま...
静かな魅力
主人公イライザは声を失っており、周りの人たちも日常において会話の機会ぎ明らかに少ない。そんなところに半魚人が現れて…
コミュニケーションらしい会話は無く、イライザと"”モンスター”の恋は続いていくわけだが、自分にはネット社会が確立された現代への風刺の様に感じられた。
オーバーな描写は極力抑えられていて、静かに2人が描かれており、そこに作品自体の価値、魅力が見られた。また、恋愛映画にとらわれず、カテゴリーの枠を超えた作品とも言える。
ただ、イライザも結局川に行ってしまうラストはその場では飲み込み切れず、作品のパンチはそれほどなので、アカデミー獲得という色眼鏡は避けるべきか。
ライク荒木飛呂彦
個人的にはハマらなかった作品でした。しかし、鑑賞後はいろいろ考えさせられたため、ジワジワと本作の魅力を味わっているところです。
鑑賞中は恋愛描写が美しいな、との印象を抱きました。
イライザはいきなり半魚人に惹かれるわけですが、それは不思議とすぐに腑に落ちました。彼女は喋れず天涯孤独な身。時代背景もあり、自己実現的な仕事にもついておらず、生き甲斐もなさそうです。彼女はこの世に生きながらどこかこの世にフィットしていない感覚を感じながら生きているように感じました。そんな彼女が、半魚人にいきなり異界に連れてこられた悲しみを見出し、運命を感じるのも無理ないかな、と思ったのです。私たちはお互いに異界に生きている、そんな気持ちを抱いたのではないでしょうか。
恋した後のイライザの盲目っぷりも美しいです。バスルーム全体に水を溜め、半魚人と愛し合う姿は狂った美しさがありました。狂おしい、とでも表現できそうです。情動の色・赤を少しずつ身にまとうのもすごく印象に残りました。恋をして成長する、という雰囲気はないのですが、恋の高揚感が伝わってきました。
もちろん、水中で半魚人と抱き合うラストシーンは有無を言わせない美しさがあったと思います。ラストシーンをポスターにするとは大胆ですが、ポスターにせざるを得ないシーンですね。
ただ、鑑賞直後はラストに納得がいかなかった。イライザは半魚人とともに水中の世界に行く、すなわちこの世に別れを告げる、という終わり方はなんだか逃避的に思えてしまったのです。恋の狂気から愛の成熟に移行しなかったように思えたのです。
イライザはあくまでもこの世に生きている人間。異界の存在と出会い惹かれあっても、あくまでも現実の枷からは逃げられないはず。しかもジャイルズやゼルダといったこの世で連帯できた仲間もいた。だからこそ水中、すなわちあの世に行くラストには強い違和感を覚えていたのです。
…が、よくよく考えてみると、イライザにとってはこの世があの世であり、本当に異界人だったのでは、との仮説を持つに至りました。
イライザは「川」で拾われた孤児とのことでした。首の傷痕はラストでエラとして機能する。何よりイライザを演じたサリー・ホーキンズの魚っぽい顔立ち!(ハゼに似ていると思う)
イライザは本来半魚人だったのでは、つまり水中こそが彼女の「この世」であり、本来住むべき世界に帰って行ったのでは、と考えるようになりました。
こう考えると、真の意味でラストはハッピーエンドなのでは、なんて感じています。
また、本作は別の視点でも大いに楽しめました。全体的にジョジョ的というか、荒木飛呂彦っぽいように感じたのです。
半魚人のシェイプは何度見てもスタンドですね!スピーディな動きもスタンドそのもの。あれは明らかに接近戦に強いタイプです。ヒーリング能力もあり、クレイジーダイヤモンドっぽいです。ラスト近く、ストリックランドに撃たれたものの立ち上がる半魚人の姿はモロに荒木節。ゴォォォォオーン!といった擬音を思わず心の中で絶叫。
また、ストリックランドが思いっきり荒木飛呂彦的悪役なんです。異常なまでにサディスティックだったり、強迫観念に駆り立てられたり。巨悪にプレッシャーを掛けられて狂乱する姿はバオー来訪者のドルド中佐のようでもあります。また顔がモロに荒木キャラなんですわ。
やはり、白眉は博士を殺すところでキャンディの説明をしだすシーンです。この異様な緊張感は荒木飛呂彦ですよ。正直、ニヤニヤが止まりませんでした。
サリー・ホーキンズは魚顔でありながらジョジョ顔でもありますね。全体的にダークな世界観もロマンホラーでした。
そういえば、ジョジョ第4部が映画されたと聞きました。そうか、これがそうだったのか、第4部の映画化ではなかったが荒木飛呂彦の書き下ろし新作がデルトロ監督の元で映画化されたか、と知り、しみじみした次第です(ウソ)。
確かに
たしかに、この空気感がいい。
1962年の設定で、濃いめの映像が素敵だ。
たしかに、彼女イライザは美人じゃないだろうね。
主人公の女優としてはね。でも心惹かれるものがある。
たしかに、半魚人、見にくいところはあった。
でも中盤からはなんとなくいとしいものが芽生える。
たしかに、イライザの同僚の黒人女性。
どこにでもいそうな善人のようだ。
たしかに、半魚人を連れてきた悪党官僚。
こんな風な一方的な人もいるよね。
たしかに、イライザの初老の絵描きの同居人。
夢が叶えられず彼らの逃亡に力を貸す。
みんなどこにでもいそうな登場人物たち。
でもストーリーはファンタジー。
ありそうな人たちの中で生まれた、あり得ない物語。
しゃべれない女と人間社会に置き去りにされた半魚人の
切なく純粋な恋。
たしかに、人間同士が信じにくい世の中だから、
こんなファンタジーが生きているのかな?
それにしても、彼女が悪党官僚に向かって、
「なんて卑怯なクソ野郎!」と手話したイライザ。
その凛とした姿がいまでも目に焼き付いている。
綺麗
映像や世界観がとにかく美しかった。
水槽の脇で音楽をかけゆで卵をあげるシーン、何故か涙が出てきた。
ストーリーはわりと御都合主義が続くが、波が多く、結局どう着地するんだろう?と気になりのめり込めた。
冒頭自慰やベッドシーン、グロは無ければギリ子どもも見れるかな?と思えたし、なきゃ無くても良かったけど、それがなければあの不気味な生々しい世界観が出来上がらなかったとも思う。
差別や人間の本能や欲や、そういう生々しい汚い部分描写があってこそ、2人に芽生えた愛のようなものとか世界観が余計綺麗に感じられたのかなと。
まあ禁断の恋愛は映像や文章では綺麗に見えがちなものだけど。そういう恋愛は本人たちが陶酔してるから雰囲気をだしやすいの?
綺麗な世界観だった。心に残る良い映画。
きっとまた観るだろうな〜
シェープオブウォーター
好みはハッキリ分かれそう。大人向けのおとぎ話。
【賛否両論チェック】
賛:孤独な2人がお互いに惹かれ合い、決断の末に辿っていく儚くも哀しい運命に、観ていてハラハラさせられる。映像美も見事。
否:雰囲気はかなり淡々と進むので、惹かれないと眠くなってしまいそう。ラブシーンやグロシーンもあり。
雰囲気としては、同じギレルモ・デル・トロ監督の「クリムゾン・ピーク」に近いような感じでしょうか。「完全大人向けのおとぎ話」といった印象です。
言葉を話せず、世間から一線を画してひっそりと生きているイライザと、故郷から連れてこられ、研究所で酷い扱いを受ける生物。一見異なるようで、実は似たような孤独を抱えた2つの魂が出逢い、やがてその喜びや悲しみを共有していく姿は、どこか切なくもあり、またどこか神々しくもあります。そんな2人の愛が果たしてどんな結末を迎えるのか、落ち着いた雰囲気の中にもハラハラさせられるものも感じさせます。
そのファンタジー独特の現実味のない世界観や、ラブシーンやグロシーンがある故の好みは分かれそうですが、気になった方は是非。
愛の輪郭
異質なる存在
美しい映画
知ることを恐れない
しばしば『人魚姫』の男女逆転版と紹介されている本作。だが、逆転しているのは男女間だけではない。逆転しているもう一つの要素はズバリ“言葉”だ。
人魚姫は人間の王子様に恋をし、足と引き換えに声を失うが、本作のヒロイン・イライザは半魚人を愛することで“言葉”を得る。言葉と言っても手話ではあるが、寡黙で控えめな彼女が物語が進むにつれて徐々にその発言力を増していく。とりわけ、悪役・ストリックランドに向けて中盤に発せられる言葉は、前半の彼女の振る舞いからは想像できないほど強い反発心をむき出しにする。
表向きはラブストーリーであるが、この作品の根底にあるのはコミュニケーションの大切だ。ストリックランドは半魚人に対してコミュニケーションを一切取ろうとしないのに対し、イライザは様々な手段で半魚人とコミュニケーションを交わそうとする。そして、その行為は彼女自身を解放し、やがて自らの存在を主張し、更には自分のあるべき姿を見出していくのである。
我々は知らない者を恐れることがある。その相手が何者なのか?どんな人なのか?と。この物語では、半魚人が一体何者なのかが問いかけられる。ストリックランドがラストに述べる言葉がその答を示しているのだとすれば、知ることを恐れなかったイライザと知ろうともしなかったストリックランドが迎えるが結末の違いは当然の結果と言える。
正直、アカデミー作品賞を勝ち獲るとは思っていなかったが、人種やセクシャル・マイノリティの差別や偏見と向き合うアメリカの今をファンタジーに置き換えた、デル・トロ監督にしか撮れない見事な一作である。
不思議な映画でした
全659件中、281~300件目を表示