スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明けのレビュー・感想・評価
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映像綺麗でした
映像はとても綺麗でした!!
話の内容はとても薄く新キャラに感情移入できず、あっけなく終わった感です。唐突な内容が多くてグッと来るシーンもグッとこなかったなぁ...8がもっと良い伏線はってくれてたら9の色々なシーンが生かせたのだろうか?
スターウォーズファンとしてはちょっと残念な気持ちになりました。
いっそのこと1~6キャラ出さなかった方が良かったんじゃないかなぁ...どうしても期待してしまうので。
でも、パルパティーンのフォースの絶望感は良かったです(笑)
まだ次回作あるんですよね?次はどうか良い作品になりますように...
【レビュー1】 「スカイウォーカの夜明け」と「ジェダイの帰還」 ク...
【レビュー1】 「スカイウォーカの夜明け」と「ジェダイの帰還」 クライマックス・シンクロニシティー
◼️ SW最終作はしっかりと「オリジナル」に立脚した作品になっていた!
SWシリーズ「フォースの覚醒」「最後のジェダイ」はSWだか何だか分からない作品になっていたと感じていた。「ニューホープ」「帝国の逆襲」「ジェダイの帰還」オリジナル3部作と全く関係のない作品になってしまった。僕らの愛したSWはどこへ行ってしまったのか。全く隔絶された別の映画になってやって来た。そんな風に感じていたものだった。
それで、レイにもカイロ・レンにも感情移入ができず、SWのシリーズ自体への関心さえ薄れてしまったのだ。(この詳細はレビュー3で)
しかし、最終三部作の最終作、スターウォーズ神話のオーラス作品「スカイウォーカーの夜明け」によって、全てが覆された!
「スカイウォーカーの夜明け」はSWシリーズ最初の3部作の完結編である「ジェダイの帰還」と相似形を成す、正統なるSWシリーズの完結編として編み出されていたのだ!!
◼️ スカイウォーカーのクライマックスは、ジェダイの再現!
かつて、「ジェダイ」で、スカイウォーカー親子が皇帝に対峙して、それに打ち勝ったクライマックスはこんなシーン構成だった。
若き日のルークが皇帝を倒すために、単身デススターに乗り込み玉座の前で皇帝と対峙する。窓の外には惑星エンドアに突入しようとする友軍機の様子が見えている。友軍は強力なバリアに阻まれてエンドアに突入できず、次々とスターデストロイヤーに撃ち落とされる。反乱軍の絶望的な状況を見せながら、「お前もダークサイドに落ちるのだ」と、皇帝がルークを惑わす。
一方、「スカイウォーカー」のクライマックスはこうだ。
皇帝を倒すため、単身シスの本拠地に飛び込んだレイ。玉座の前でレイと皇帝が対峙する。レイの上空では友軍がスターデストロイヤーと交戦中だが、圧倒的な戦力差に友軍はどんどんと撃ち落とされてゆく。皇帝はレイに、「友軍を助けたいならお前がダークサイドに仲間入りし玉座を継げ。それしか助ける方法はない」と、レイを惑わす。まさに「ジェダイ」の再現だ。
また、「ジェダイ」では皇帝とルークの他に、皇帝が手塩にかけた暗黒卿であるダース・ベイダーも立ち会っている。皇帝とルークの内的な戦いが繰り広げられるが、戦闘シーンの演出としてはライトセーバーがポイントになっている。
「スカイウォーカー」でも、玉座の前では皇帝とレイの他に、皇帝が暗黒卿として育てて来たカイロ・レンが現れる。そして、皇帝とレイの決戦の際にもライトセーバーが戦いのポイントになっている。
力の入るクライマックスだが、多くの古きSWファンが、このシーンにジェダイを重ねながら観ていたのだと思う。興奮は倍増だった!
皇帝は結局倒される。「ジェダイ」ではジェダイ・ナイトのルーク・スカイウォーカーと良心を取り戻した元の暗黒卿アナキン・スカイウォーカーの協力によって。「スカイウォーカー」では、ルーク・スカイウォーカーの弟子であるレイと、良心を取り戻した元の暗黒卿カイロ・レンの協力によって。
◼️ いずれのファルコンのコックピットにも・・・
「ジェダイ」と「スカイウォーカー」のシンクロニシティーはそれだけではない。ルークの窓外、レンの頭上で戦う反乱軍の中には、いずれもミレニアム・ファルコン号が飛んでいるのだが、その操縦席には時を超えてランド・カルリジアンが座っているのだ! この点でも「ジェダイ」を重ねながら観ていた古きSWファンは少なくないだろう。あまりに感慨深くて、思わず腹の奥の方から暑い息が漏れて来てしまったものだ。
JJエイブラムスは、SWファンとしての本懐を遂げてくれた! そんな嬉しい思いでいっぱいだ。
【レビュー2】 ファミリーネーム「スカイウォーカー」を選ぶということ
スターウォーズは問うのだ。スカイウォーカーは何処にいるのか、と。
「スカイウォーカーの夜明け」で、シスとの戦いの後、レイはあの懐かしいタトゥーウィンに居た。レイはかつてルークの住んでいた家のそばに2本のライトセーバーを埋める。もう武力で平和を守る時代は終わることを象徴するシーンだ。それは、レイの居る銀河だけの話ではない。
もちろん、シスの宗主が滅んだからといって銀河の隅々までが途端に平和で安逸になるわけではない。これから、彼らには新世界創建の別の戦いが待っているだろう。
ライトセーバーを埋めたレイに、通りがかりの老婆が名を訪ねる。レイと答えると、ファミリーネームを問われる。
血は水よりも濃いという。血の繋がりは他人との深い関係よりも強いものであるという意味だ。
スカイウォーカーはジェダイであることを運命付けられた血族である。では、同じようにパルパティーンの血は暗黒のシスを運命付けられた血なのだろうか。
そうではない。そうではないのだ。
劇中では「血よりも強いものがある」と語られる。
世界は過去から連綿と続く暗黒のコントロールの時を超えた。過去の呪縛を脱する時が来たことを宣言をするために「スカイウォーカーの夜明け」が作られたのだ。過去や血統、つまりは環境に隷属する時代ではなく、己の意思と行動によって己を創造する時代が来たのだ。
レイの銀河で、レイはスカイウォーカーを選択して、未来を創造し始めた。「それで、そちらの世界のお前はどうするのだ?」フォースはそう問いかけているのだ。スターウォーズを通して。
『スカイウォーカーの夜明け』とは、銀河の彼方のスカイウォーカーの人生の話ではない。私が夜明けに向かうかどうかの選択の話なのだ。
スカイウォーカーはいるか?
スターウォースは問いかけるのだ。
【レビュー3】 令和・スカイウォーカー
◼️ エンタメを超え神話になったスターウォーズ
壮大な銀河ドラマから大河ドラマへと変容し神話になったSWは、この時代において大きな影響力を持つと見るべきだ。なぜなら、世界中で多くの若者がSWを何度も観て心に刻み、ジェダイの教えから多くの教訓を学び、自分の価値観に反映させるからだ。
逆に、世界中から多くの人の強烈な思念が寄せられながら完成した作品である「スカイウォーカーの夜明け(本作)」は、製作者の意図を超えた様々な要素が織り込まれる作品になったと考えられる、と書くとファンタジック過ぎるだろうか。
SWは、一つの娯楽映画の枠を超えて、今の時代を象徴し宣言する作品に昇華している様に思えてならない。
◼️ SWの背後に今の時代が重なって見える
神話はメタファー(比喩)に富んでいる。SWと今私たちが生きる世界を重ねてみた。
銀河を長い間カゲで支配してきた暗黒皇帝は、ルークとダース・ベイダーによって30年前に既に倒されていたはずだった。しかし皇帝はおぞましい姿で生き続けており、今だに暗黒面から銀河を支配している事が本作で判明する。年を経た蛇は健在だったのだ。さらに、暗黒面の根源とも言えるシスの本拠地も遂に明らかになった。
一方、私たちは希望の21世紀を迎えたはずだったが、2001年を超えてからというものむしろ、より衝撃的な未曾有の事件が勃発している。日本では未来が無い社会でハイティーンの死因の1位が自殺である。しかしまたその一方で、私たちの周りでは闇に隠れていたものがどんどん明らかにされていると感じる。インターネットを媒介する情報はテレビ等の旧来メディアの様にはコントロールし切れない。人の世を裏から支配してきたダークサイドの情報もどんどん溢れ出る。一部の利権者・為政者によって歪曲されてきた歴史までが真の姿を表す時代になったのが今だ。
我々のリアルな社会におけるダークサイドの本拠地が明らかになるのも時間の問題の様に感じる。
◼️ ダークサイドは哀れに、自滅する
劇中で、暗黒皇帝が生命維持装置に繋がれて出てきた時、皆さんはどう感じただろうか。私が感じたのは「哀れみ」だった。「ああ、あんたまだ居たんだ」と。もののあわれ。
強大な敵が放つ恐怖のオーラみたいなものはもう無い。厄介な老人の登場という感じだった。
その厄介な老人は、今回、完全に木っ端微塵になった。
その厄介な老人、暗黒皇帝に最後のトドメを刺したのは、その皇帝の孫レイだった。カイロ・レンもそのトドメに参戦したが、彼もまた皇帝の育てていた新たな暗黒卿である。ダークサイドの宗主は、いずれも自分の身内によって倒されたのだから、ダークサイド側の自滅とも言える。これがとても暗示的だと感じた。
ダークサイドはダークサイド故に自ら滅んで行く。それがSW神話で語られたメタファーであると読み取った。
かつて、日本では「フォース」を「理力」と訳していた。銀河にフォースの安定がもたらされるということは、理法が通り、道理が引っ込まなくなる世の中になるということだと考えるとわかりやすい。
武器を埋め、和をもたらすレイ
戦いが終わって、レンは自らの手元に来ていた2本の剣、ライトセーバーを地に埋める。
ライトセーバーとは「善の守護者」の意味だが、善の防衛の為の武力すらもう必要ない時代が到来したことを示すシーンと受け止めた。核の抑止による見せかけの平和などではなく、より根源的な平和。
SWは令和の始めの年に言霊の国日本にやってきて、「レイが和をもたらす」というクライマックスを持って物語を終えた。
そして、レイはスカイウォーカーになった。
https://note.com/miniminicar/m/m4cf2efa8ea2d
これで終わりですかね
スターウォーズ新3部作のラスト観ました。
終わり方が微妙という人もいたけど、個人的にはいいんじゃない?と思ってます。
ずっと気になってたレイの正体、パルパティーンの孫だったとは…ちょっと予想と違いましたね。
オビワンの血縁か、他のジェダイマスターの子か、ルークの隠し子とか色々考えてたんですが違いました笑
スカイウォーカーの夜明けということで、今作でスカイウォーカー血縁者が一人もいなくなります。
スノークはパルパティーンなんじゃないの?と7を観た時から思ってたので、そこはあまり驚きませんでした。
やっぱりか!という感じ。
でもまさかクローンだとは。
そして相変わらず強すぎますね。クローン体で身体の不自由がなければ、ライトセーバーで戦ってたらレイは勝てなかったんじゃないかなと思います。
観ていて思ったのですが、スカイウォーカーはジェダイ、パルパティーンはシスの体現者?でいいのかな。だったのではと。
最後にレイがスカイウォーカーの名を語りますが、そこはパルパティーンの孫であったレイがレイ・スカイウォーカーとなることで物語の終わり、フォースの善と悪の戦いに終止符が打たれたのだなと感じましたね。
面白い最後だったです。
新三部作をやる意味は?
7は過去作からの同窓会、8はダラダラと無駄なシーンだらけで敵から逃げるだけの回、9はめちゃくちゃになった8からの軌道修正。
ストーリーとして見ても、そもそも作る意味があったのか疑問に思う。
それなら6で綺麗に終わったままで良かったなー。新キャラクターそれぞれに対しても愛着が沸かないままだったし、全体的に特に盛り上がらない3部作だったと思う。
完結させたこととアダム・ドライバーの演技以外に褒めるところがない
EP7はEP4のコピー、EP8は徹底的な逆張りなのでどうオチをつけるか気になって見に行ったが、正直期待外れだったとしか言いようがない。
過去作を彷彿とさせる展開の連続でシーンだけ見れば悪くない部分は多いのだが、全体的なストーリーやスター・ウォーズ全体の世界観で見た中での問題点が多すぎる。特にEP6をリスペクトしているように見せかけているが、諸々の要素からEP6の顔に盛大に泥を塗っているのが今作の特徴だ。
・フォースは善悪や生死の調和の象徴にもかかわらず最後は結局「正義が勝つ」で終了。これではSWではなく普通のアメコミだ。観客はSWを見に来たのであってアベンジャーズを見に来たわけではない。フォースのバランスと調和こそがSWの世界観の根底にあるはずなのだが、今作ではそういった要素はどこにあったのか?
・EP9で全て決着させるためには強大な悪役が必要だったとはいえ、パルパティーンは実は原形を保ってました、半死人ですが生きてましたという展開はEP6で我が身を擲ってルークを救いライトサイドに帰還したベイダーの犠牲を無にしている。せめてフォースと一体化した霊魂の状態なら良かったのだが…
・フォース・ライトニングでレジスタンスを攻撃するパルパティーンのシーンも疑問。そもそもフォースはそこまで強力な力ではないし、便利な魔法でもない。ディズニーの商業化路線のせいなのかウケ狙いなのかは不明だが、なんでもかんでも叶える便利な力ならEP1~6の苦労は何だったのか…
・山ほど出てきたデススター級の火力を持つスター・デストロイヤーも疑問。というか今後は星を破壊する宇宙戦艦がポンポン出てきてドンパチやるのか?ジェダイが存在する意義が失われてしまうのだが。
・全体的に戦闘に緊張感がなさすぎる。ジェダイの戦闘と言えばライトセーバーだが、結局素人のチャンバラごっこに毛が生えた程度だった。かといって艦隊戦もEP4や6、ローグ・ワンのような迫力はなく、ただ寡兵故にピンチになり、増援が来て盛り上がっただけ。しかもあっさりピンチになる。
・EP1~3ではライトサイドの隆盛と崩壊、EP4~6ではダークサイドの隆盛と崩壊を描いていたのだが、シークエル3部作は何がしたかったのかよく分からない。EP8では既存の概念を破壊するというカイロ・レンの目標も見えたのだが…
個人的に最も不満なのはEP6で死んだはずのパルパティーンをあっさり復活させたところだ。EP6でのアナキンの死は完全に無駄だったのか?この展開を手放しで褒めるのはベイダーとルークの関係を描いたオリジナル3部作を全否定することと同じだ。
作中で唯一褒められるのはアダム・ドライバーの演技。揺れ動くカイロ・レンの心情を見事に演じて見せた。だがそれだけでSWという傑作シリーズに泥を塗ったシークエルを評価する気にはなれない。
結局、EP4~6の名シーンの猿真似は出来ても、仏作って魂入れずというか、「なぜSWは0から固定ファンを獲得するほどの傑作になったのか?」という視点がすっぽり抜け落ちてしまった見せかけのハリボテ以上の仕上がりにはならなかった。
それどころか、EP7同様客が喜んで金を落としてくれるんだからそれでいいだろ?俺たちは金もうけのために映画を作ってるんだから世界観なんて知ったことじゃない!という作品になってしまった。世界観を単純化し、フォースの概念を陳腐化し、古参ファンに媚びまくった本作は興行的には成功だろうが、その内実はスター・ウォーズの皮を被った出来の悪い二次創作に過ぎない。外身が動いて客が来ればいい。あとはとりあえず過去作の人気キャラが動いているんだから喜ぶだろう、といったレベルの低い発想によって作られている本作は、まさにパルパティーンの亡霊のようなものだ。
折角ルーカスの手を離れたのにルーカスの劣化コピー以上の作品にはならなかったのは期待外れどころの騒ぎではない。そもそもEP4~6のような展開が見たいのであればそれらを改めてみればいいだけの話であり、何の意欲もなく「ただ金儲けのため」だけに作った映画に時間を割くくらいなら過去作を見た方がいい。はっきり言ってプリクエルの方がルーカスの考えるSW世界の動きが明らかな分、シークエルの100倍は面白い。
しょっちゅう敵が復活したりインフレして過去の努力や犠牲をなかったことにするマーベルのように、今後もディズニーの都合のいい集金装置としてルーカスの焼き直しを続けるのだろうか。ルーカスが『我が子を奴隷商人に売ってしまった』と嘆く気持ちがよくわかる。ルーカスの思い描いたSWは死んだ。仮にルーカスがシークエルを手掛けていればこんな気持ちにはならなかったのだろうか…本当に残念だ。
3部作を見た感想は「EP6で見るのをやめればよかった。ルーカスのSWこそが真のSWであり、シークエルなんてものはなかった」、これに尽きる。
初めてのスターウォーズでしたが・・・
自分はこのスターウォーズが初めて見るスターウォーズでした。
見ている分には全くつまらないという訳でもなく、所々で見たら面白いシーンもちょくちょくありました。ただ、全体としてストーリー展開が大雑把で、所見だからよく分からないのかと思っていたところもありましたが、そうでもなかったようです。
恐らく作り手は、見た目の面白さを求め、あっちこっちにノンストップでいくような形にしたのでしょうが、そのせいであっけない展開も多く、盛り上がり切れませんでした。そして、妙にクールにそれぞれのシーンを閉めようとしているので、さらに冗長で肩透かし。結果的にはトータルではつまらないと一刀両断ではないものの駄作だったかと思います。
これを見た後に過去作から見直しているのですが、全体の流れはそれなりに似て、絵も多少古いですが、非常に楽しく鑑賞しています。
以下9が問題だと思う点
・キャラの能力描写がちぐはぐ。強くなったり弱くなったりで。。
・戦闘シーンに緊張がなく、ボコられる→なんかのきっかけで圧勝、てきなシーン多々なので、盛り上がりに欠ける。正直4のぎこちないダースベーダーvsオビワンの方が短くて結構シンプルな割には殺陣としては圧倒的に面白かったです。
・フォース。スーパーパワーの描写があったかと思えば、戦いではビミョーにしか使われてない。ここまで来たらもう派手なフォース合戦にして、見栄えをよくしてもよかったのでは?
・キャラの発言が2点3点しすぎ。なんかさっき言ってたことと全然ちがくね、というのがありすぎ。
・使いきれてないキャラ多数。入れなかった方がストーリーがより面白かったんじゃないのか的なのが何人も。。
いい素材を使って使った映像集をむりくりつないでみたという感じで、もったいないというのが率直な感想です。ディズニーのノリでスターウォーズをやりましたということなのでしょうが、面白い題材をある面白いプロットにそのまま当てはめたからといって、それが面白いとは限らず、この両者は向いていなかったのだと思います。
フォースっていうより魔法
スターウォーズなんだけど、なんだかちょっと違うように感じてしまった。
ラストはレジスタンスの逆転勝利っていうのは、もう想像通りだったんで、
もうちょっと意外さが欲しかったかな。
個人的にファースト・オーダーのスパイが明るみになって、あっさり殺される
ところが面白かった。
しかしながら、フォースのパワーが、ジェダイの神秘的なパワーっていうより
都合の良い魔法にしか見えなかったなー。
私はジャージャーが好きだ。
かなりネタバレあります。
スターウォーズ好きなので、
新しい映画を製作してくれて、
鑑賞できた事を嬉しく思います。
ただ、好きで長い物語だったからこそ、
もう少しレイ以外のキャラクターも
大事に扱って欲しかって。
せっかくベンとかフィンみたいに
興味の湧くキャラクターが
新しく生まれたからこそ、そう思います。
他の映画だったら割と満足だったと思うのですが、スターウォーズだからこそなんだか見終わった後軽く感じました。
ベンの扱いに関しては特に嫌でした。ハンに似た仕草をしたのを見た後なので特に。でも、フィンとかみてるとキャラクター達それぞれに本当はストーリー性を作りたかったし、もう少し焦点を当てたかったんだろうなと感じました。ただ何かしらの理由でしたくても出来なかったのかなと。観ている側からするとあまり関係無い話になってくるんですけどね。
フィンはジェダイになるんですかね?
他の脱走組も含めて。
フィンが言おうとしてたのって
フォースを感じるって事だと思うのですが、
この後ジェダイが生まれること考えると複雑ですよね。
ライトがあればダークがあるので、
ジェダイが大量に生まれたら逆にシスも出て来る可能性高いですから。
流石に何世代もかけて頑張ってるジェダイとレジスタンスが終わりなき戦い過ぎて可哀想になります。善悪の戦いはそもそもキリがないんですけど、それでもキャラクター達の人生観てると可哀想だなっ思います。
ただ、シスが出てこないのなら平和な時代にジェダイは必要なのかって話になりますね。悪党は存在しますけど、帝国ほどの悪党でなければジェダイが出るのはちょっとなって思います。例えば泥棒に対して戦闘機使ってる感じ。
スターウォーズなので期待が大きいですよね。
製作側もリスクがある作品ですね。
とりあえず、チューイーが1人にならなくてよかった。次々に周りの仲間に置いていかれるのは切ない。あと、ランドのレイアへの伝言の字幕そっけなくて、もう少しちゃんとランド感をだして欲しかったです。英語では愛を君にかなんかってそんな様な事言ってた気がしたので。。。もっとたらした訳にして欲しかったです。
ルーク達の若い頃が出てくるんですけど同時に歳取った姿もでてくるので切なくなりました。キャラクターも本人達も歳をとっていって、物語でも現実でも亡くなっていく事がリンクしてすごく切ない気持ちです。
最後になりますが、ここで大事なお知らせです。ジャージャーはついに出て来ませんでした。
行方が心配な方は小説かなにかのネタバレを調べるとジャージャーのその後を知る事が出来ます。是非ジャージャー欲を満たして下さい。
スカイウォーカーサーガ、完結に寄せて
まあ自分はゴリゴリのスターウォーズマニアではないけれど。本作と共に歳を重ねてきたファンの一人ではあると思う。
ep1,2,3のストーリーやキャラクター、ep4,5,6をデジタル\((* °ᗜ°* ))/サイコーって感じで改変しちやったことについてはちょっと言いたい事もある。
けれども。ルーカスさん。そしてこの映画に関わり創り上げてきた全ての皆さん。
ともあれ、スカイウォーカーに関する物語は一区切りとなりましたね。
ちょいとクサいけど。言っておきたいのだ。
万感の想いを込めて。
ありがとう、と。
ルーカスさん、想ったとおりに構想は吐き出せましたか?成長し1人歩きを始める世界観に、戸惑われたりしたのでしょうか。
でも、あなたの想い、アイデアが、いざ作り出してみた時の、予算や他のスタッフさん達から受ける影響、スケジュールなどで変わっていったとしても、それを悲観したり否定したりは、しなくて良いと思うのです。
その時の現場の熱量、人の意思。そういうものが刹那的に産み出した物が、当初の自分の思い描いたものと違っていても、それはそんなに悪いものではないでしょう。
寧ろ結果として最高の物が出来上がっていて、それはその状況や現場の人達が、互いに影響しあってできた、その時・そこでしか生まれ得ない特別なものであったのだと思います。
現に僕らは、公開当初のスターウォーズに、とんでもない衝撃を受けました。言葉がうまく出ませんが、そこに、確かにスターウォーズの世界観、ルーク達の登場人物達の存在を、感じ取っていました。少なくとも、そう感じさせる説得力がありました。
そうして生み出された物だからこそ、こんなにも多くの人達に、強大なインパクトを残したのではないでしょうか、と勝手ではありますが思ったりしています。
まあこちらも身勝手な見方ではありますが、ふとカイロ・レン(ベン・ソロ)は、ep 4.5.6の頃に生み出された、スターウォーズの世界観そのものを体現しているのではないかな、なんて思います。
強大な力と可能性を持って世に出たけれど、その在るがままをを否定されてしまい、変えられようとして、傷つき、絶望に襲われながらも、存在を認めて欲しいと悲痛な叫びを上げながらダークサイドの誘惑に身を委ねてしまう感じの所が…。
まるで"スターウォーズ"そのものである様に思えてきました。
ラストで、亡くなった時身体が空に消えるのは、ジェダイであった証と捉えていますが、シスの世界に一度は深く堕ちかけても、ベン・ソロが葛藤の末そう亡くなったのなら、
作品世界は、その想いを遂げられたのでしょうか。少なくとも、自分は、世界の片隅にいる一ファンでしかありませんが、そうであったのではないかと思います。
そして、フィンが言いかけた事が、自分たち観る側の思い違いでなければ、フォースに触れ、感じつつあるという事であるならば。
(ep7で彼がライトセイバーを使った時、何だ、皆が使える汎用武器にする設定にしたのか、と思ってしまったのですが、後から考えると、所謂使用資格のあるとされる人以外だとフィンしか使ってない…)、あるいは8の終わりでホウキをたぐり寄せた子のように。
あなたが、皆さんが産み出し、次に繋いだ可能性は、そう悪いものではなかったし、"スターウォーズ"世界自身しとても、昇華できたのではなかったかと思います。
Man, that was a hell of ride!time fries like light speed eh!
Thanks for the great 43 years ride.
May the force be with all of you guys.
and , Godspeed!
…まあ、一般的ヲタとしてはどうしてもレイのパスファインダー探しの道中、流砂から地下世界→威嚇してくる原生種→敵意に敵意を返すのではなく原因である負傷を感じとり治してあげる…の流れは、「森へ(いやここは砂漠だが)おかえり」ってセリフが聞こえちゃうのは否めない😅
ー追記ー
とは言え、スポンサーの過剰な横槍は頂けませんな…。😣
期待しないで見て楽しむべし
3Dで見ようと思ってたら4なんちゃらってやつも付いてて座席動いたり水出たりして大変で後悔しました 何度も座席からずり落ちそうになりました 汗
最後はレイ パルパティーンでも良かったんじゃないかと思ってしまいましたが その後生きづらくなるからダメかな?
まあなんにせよ宇宙に本当の平和の夜明けが来ましたね よかった そしてありがとう
おわり
物語が終わりというだけでなく、自分の中でスターウォーズに期待していた部分もこれでお終いですね
ストーリーも個人的に好みでなく、ちゃんと修行を行っていた123のキャラクター達より凄い事をやってのけるレイ、レン
設定のインフレが激しく好きになれなかったです
でも、レイア、ルークの若い頃とかルークのエックスウィングとか古参のファン向けの要素も点在していてただ酷評するだけのクソ映画とは言えない
ワクワクしなかった
エピソード1からエピソード6のスターウォーズは、それこそワクワクしながら観ていたが、今回はそのワクワク感に欠けていた。どうもスターウォーズを観ている気がしない部分があった。何故なのか自分なりに考えてみた。自分があの頃より歳をとったからとも思ったが、それだけではない。
多少過去作品のことも書くが、ご容赦いただきたい。
1、warsなのにあまり戦ってない。
スターウォーズのエンターテイメント性が現れるのはライトセーバー戦、空中戦、地上戦の迫力だと思ってる。個人的には空中戦が好きなのだが(デス・スター表面での戦闘機の追いかけっことか)
今回はその三つとも量が少ない。地上戦は皆無。
かわりに何に時間を割いたかというと、パルパティーンの隠れ場所に行くためのアイテム探し。これじゃファンタジー。○イレーツオブカリビアンやハリー○ッターを観ているような感覚だった。
2、銀河感が薄い
また、スターウォーズならではの魅力は何と言っても銀河感。独特な星、独特な異星人、独特なドロイド、独特なクリーチャー。クリーチャーに関しては1に出てくる海にいた化け物や、2のジオノーシスの処刑場に送り込まれた3匹の怪物。5のホスにいた雪男みたいなワンパ、6のランコア等々、男たる者それは興味をそそられる。(ランコアが出てきたは、「あ、これ死んだわ」と思った笑)しかし、今回は大きく印象に残った生物がいない。序盤3秒くらいでてきたデカいやつと傷治してもらった蛇くらいしか覚えていない。(そもそもフォースって、そんな回復魔法みたいな力もあるのか?!)その2匹でさえ、「え、もう、終わり?」というほどの登場時間の短さ。
星の設定もスターウォーズの醍醐味。ナブー、オルデラン、エンドア等、それぞれの星の特徴があってとても素敵。
しかし、今回(正直、7と8もだが)は、おぉ!ってウキウキする星は出てこない。
加えて異星人もいたのかいないのかよく分からないくらい印象がない。
3、新3部作の設定を自らぶっ壊しすぎてる。
・エピソード8でカイロレンに「お前はただの凡人だ」と言われたはずなのに、レイは今回晴れてパルパティーンの孫に昇格。
・ローズを観客が受け入れなかったため、本作では最早モブキャラ扱い。
・ベニチオ・デル・トロはなんだったんだ。今回出ないのか。何のために8で出した。
・8にてレジスタンスの劣勢の幾分かはポー・ダメロンに責任があるように感じた。しかし、なんとその咎めも特になく将軍に抜擢される。
・7と8の最高指導者だったスノークもいたのかいなかったのか分からないくらいになっとる。最高指導者が聞いて呆れる。
・そして、しょーがないからパルパティーンをラスボスにもってきて、なんとかしようとしてる感。
ちなみにエピソード1からエピソード3の普遍性は見事だった。銀河共和国の最高議長が実はシスの黒幕だったというのことが明らかになるのはエピソード3なのに、すでにエピソード1で示唆するような場面があったし、エピソード2で母親が死ぬことで、大切な人を失うことを経験したアナキンが、その傲慢な性格に加え、エピソード3で異常なまでにパドメを失うことを恐れる。その結果ダークサイドに堕ちるという流れは、素晴らしかった。
4、ラストの不完全燃焼
・カイロレン。ラストで助太刀に来た割には、パルパティーンに一蹴されてしまう。劇場版のベジータじゃないんだから、もう少し活躍させて戦わせてあげてほしい。
・ラストの舞台設定がアメコミの敵がいるような場所で、これまたファンタジーみたいだった。
・ライトセーバー戦ではなく、電撃返しで決着。
・多くの観客が感じたように、レンとレイは断じて接吻する間柄じゃない!感極まり過ぎている!
以上
考えたことを好き勝手に記してみた。
事情は分からないが
エピソード7に取り掛かるタイミングで
もっとじっくりコトコト時間をかけて
構想を練り、あらゆる視点から検証して作っても良かったのではないかと思う。
気が付いたこと
まず毎度の迫力あるきれいな映像に満足。因みに映画を見た夕暮れ、映画の中に出てくるいずれかの星の夕暮れみたいであったので、みんな地球の夕暮れでインスピレーション受けて、映像に使ってるなと思いました。
展開についてはこちら歳なせいか、ついていけないと同時に、宇宙のどの地域が舞台なのかついて行けなかった。これは個人的な能力で「よく勉強してから見ろ!」と言われるでしょう。
気が付いたことは「レンのヘルメット」ですが、あれは割れた抹茶碗などに使われる金継の手法だ!と感じました。普通、金継は漆の上に金粉を蒔いて研ぎ出し、その線は金色になります。しかし、中には赤い漆のものもあり、まさにそのイメージでしたので、ヘルメットの補修はあえて、漆の金継(漆継)の手法をとったと見ました。
もともと、ダースベーダー―のヘルメットは同じものが福岡市博物館の「鎧」があります。同じものとは言いすぎですが、本当によく似た兜です。スターウォーズには日本のものから発想したと思われるものがよくあります。
今更感がありますが、宇宙戦艦が崩壊するときに、人々が落ちていきますが、どこの引力に引っ張られて「下に」落ちるのでしょうか?恐らく私が無知なゆえに言っているのでしょうが・・・。事情通の方は「それも分からんか!」「それは当然、なになに星の引力に決まっとろうが!」ということでしょうが。
粗くてもよい
7は劇場で途中で眠くなる、8に地上波でつい最近追い付き見た輩の感想。
色々な方が書かれているようによくまとてめたな感が一番強く残った。ちゃんと劇場で見てよかった。旧エピのキャラとかスターデストロイヤーみたいなデザインセットとか、往年のジェダイとかの登場にじーんときた。
もちろん、
フォースってそんな誰でも感じられるもんだっけ?つーか場所とか物とかそんなに自由自在になるっけ?
あれ?スノークなんだったんだ?ローズは?
レイの出世の謎はすぐピンとくる流れだけど、いまいちわからんような??
等等思わずにはいられないし、
なにより直接対決のラストは大味感が否めない。
それでも、最初に戻るが、よくまとまってると。他の作品とは違うのがスターウォーズという意見もあるだろうけど、言うてもハリウッドだしディズニーだし、こんなものでは?と個人的には思う。
エンディングロールの音楽がやっぱりいい。ちなみ初ドルビーアトモス。大きい音量より静かなシーンのほうが本領発揮な印象を受けた。
もうひとつ。ダークサイドに堕ちた幻影のレイが持っていたのはダースモールのタイプのライトセイバー、かっこいい。
完結‼️
42年の長きに渡ってファンを劇場に足を運ばせただけで⭐️5つ。
コアなファンではなかったけれど、遂に完結。
感慨深いものがあります。
レイとベンのキスシーンは必要ないし、
ディズニー特有の、死んだはずが生きてた?!の使用過多は
感激が薄っぺらになるので失敗でしょう。
ただ、ラストシーンをタトゥイーンにしたことで、
ディズニーからルーカスに返した、という感じがして納得しました。
すべてはここから始まったわけですし。
ルーカスが少年時代に見ていた夕陽の景色がひときわ胸に迫りました。
完結を待たずしていなくなってしまった人の分も観てきたので、
とりあえずここで長〜い旅が終わった感があります。
光とはどうあるべきか
まさに今の地球、宇宙の姿、その中で私たちの今後あるべき姿を示唆している作品です。今の地球に生きる私たちが気づくべきこと、目指すべき未来、心のあり方など、一つの作品の中にうまくまとめられているように感じられました。
今という時は、この地球にとって前代未聞の新しい時代への変化と遂げるとき。そのなかにあって、闇に勝つために光はどうあるべきか。フォースという力は特別な使命のある者だけでなく、誰にでも使える力であること。決して血筋ではなく、本人の強い意志によって望んだ使命が成し遂げられる、それも決して一人の力ではなく縁ある存在たちの支えがあってこそ果たされるものであるということ。レンのように闇に落ちてしまった魂であっても救われる可能性は必ずある、宇宙は決して見捨てることなく導いてくれるものであること。しっかりと揺らぎなく描かれていて、感動しました。決して陳腐な恋愛ものに流れることもなく。主人公役のレイは、特にピッタリの配役と感じられました。正義感が感じられ、フォースが使えることに違和感がなく、変にセクシーだったりもせず…とても好感が持てました。
これからの地球を、宇宙を思い描き、闇を光に変えていくために自分にできることを模索する上で、間違いなく、すばらしいきっかけと勇気を与えてくれる作品です。素晴らしい作品を届けてくれた関係者の皆様方に心から感謝です。今の地球に、こうして存在できていることにも感謝したくなりました。
単なるSFではない、私たちへの宇宙からのメッセージと言ってもいいのではと思いました。
ラストスパート
猛スピードでゴールまで突っ走ってった。もうなんだ、あれか、SWフリークじゃなけりゃ楽しくないのだろうか?
実は前後編で、それを無理矢理凝縮して1本にしたって言われたら頷けなくはない。それほどに1エピソードは短いし、あっちゃこっちゃにシーンが飛んでいく。
点と点をつなぎ合わせたような仕上がりなのだ。もしかすると3作まとめて観たら丁度いいのかと、そんな疑念を抱く。
いやいや、そんなセコい戦略をハリウッドがするわけなかろうが…。
とにもかくにも物足りない。
ドラマもそうだし、全体的にせっかちな感じだし、「はい、終わった。次!」みたいな編集で疲れる。
戦闘シーンもCGモデルは凄んごいだけど、大味でしまりがない。
前2作はそれなりに緩急も盛り上がりもあったと思うのだが、なぜ最後の最後にこおなった?
なんつうか…ルークとレイアはそこまでピックアップされる程なのかと、根本的なとこにまでクレームを付けたくなる程、よく分からない内容だった。
…背景が良かった!
どんな感想やねん。SW観て言う事ちゃうわ…。
宇宙空間とか惑星とか、緑の深い山々や…中盤あたりの荒れ狂う海とか!
全然的外れなとこに斬り込んでっても、テンションが下がら…下がりにくいッ!
そう、CGが、凄い良かったなぁ……。
CGが。
ラストも絆がああだこうだ言う割には、3作目にしか出てこない人ばかりに思えたし、機体なんかはほぼ点のようで判別しようがないし、盛り上がるとこなんだろうけど、そこらへんがおざなりで…虚しい。
なんか終始忙しなく過ぎていって、尻つぼみな幕引きに肩を落として映画館を後にした。
フォースのバランスを見た
スターウォーズは宇宙を舞台にした冒険活劇にとどまるものではない。フォースという謎の力をめぐる哲学的なテーマが大きな魅力になっている。
しかし新三部作の登場によって、そのテーマが壊されたと見るファンが多い。はたして、そう言えるのだろうか。
EP8のライアン・ジョンソン監督が滅茶苦茶にした映画を、EP9のJ. J. エイブラムスが何とか無難にまとめてくれたとする評価が散見される。しかし、私にはそう思えない。それどころかEP8は新三部作にとって極めて重要な、まさに中心的な作品なのである。今回のEP9を鑑賞して、その確信を強めた。理由を説明しよう。
EP6までのスターウォーズは男性中心に描かれていた。フォースもしかり。男性のフォース使いは、弱い人の心を操り、照準器を使わずにミサイルを的中させ、遠隔操作でものを動かす。それは大きな力ではあるが、一方で怒りと憎しみをコントロールしなければ、あっという間にダークサイドに陥るという危険な側面もあった。
それに対してEP7以降では、物語の中心が女性になる。まず、レイを通して女性的なフォースが覚醒する。
その女性的なフォースとは何か。それは、宇宙的生命の根源との一体化である。レイアによる生身での宇宙遊泳は、その象徴であろう(EP8)。これは大変不評な場面であるが、テーマ設定上、重要な役割を果たしている。
レイに話を戻そう。彼女は暗黒面を恐れず、敵(レン)との心の交流を求める(EP8)。皇帝の座には興味がなく、むしろその立場になるのを極度に恐れる(EP9)。さらに彼女は、生命の再生(癒し)のためにフォースを用いるようになる。それはフォースが宇宙的生命の根源と結びつくものだからである。
以上のように新三部作では、過去作には見られなかったフォースの側面が次々に現れる。男性中心のシリーズ(EP1~6)に慣れ親しんだファンにとっては衝撃であり、受け入れがたいかもしれない。とくに、EP8の男性陣の情けない姿が不評のようだ。
弟子訓練の失敗を後悔して身を隠すルーク(新たな希望を待つオビワンとヨーダの隠遁とは対照的)、自分の弱さを隠そうと必死になって強くなろうとするベン・ソロ(カイロ・レン)、レジスタンスからの逃亡を企てるフィン、功を焦って失敗するポー・ダメロン。観客は、敵であれ善であれ、強い意志をもったヒーローたちによる鬼気迫る戦いを期待するが、それは見事に裏切られる。しかし新三部作はヒーローたちの弱さと失敗を描きながら、彼らを救う女性たちの活躍を描いている。
それは、男性と女性を互いに助け合う存在として描くためである。その結果、フォースのバランスが完成することになる。EP9ラスト近くでのベンとレイのキスシーンは、その象徴であろう。これは男女の恋愛を描く場面ではなく、男性と女性による二つのフォースの一体化を表していると解釈できる。
一方、パルパティーンの復活は、権力欲に陥った古き男性支配の最後の悪あがきの象徴である。このゾンビのような存在は、男性ルークと女性レイアのライトセーバーの反射によって消滅する。こんな輩を切る必要はなく、自滅すれば十分であるというメッセージであり、同時にフォースのバランスの勝利を描いている。
ついでにEP8に出てくる謎の少年にも言及しておこう。彼は奴隷の身分であり、フォース使いである。EP1のアナキンを思い起こさせる存在である。しかし彼はアナキンとは違い、帝国やファーストオーダーのような支配構造には従わずに成長するだろう。なぜなら彼は、フォースのバランスの完成を見ることになるからである。もちろん、それを示す直接的な場面はないが一つの暗示がここに見られる。
他にも、見落としているテーマや象徴がたくさんあるに違いない。それを発見する楽しみが残されているので、今後も繰り返し鑑賞したいと思う。とりあえず今、私は9本の映画が42年の歳月を経て一本の名作になるという奇跡に直面し、大きな衝撃と幸せを感じている。
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