「【レビュー1】 「スカイウォーカの夜明け」と「ジェダイの帰還」 ク...」スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け HaradaJEEPさんの映画レビュー(感想・評価)
【レビュー1】 「スカイウォーカの夜明け」と「ジェダイの帰還」 ク...
【レビュー1】 「スカイウォーカの夜明け」と「ジェダイの帰還」 クライマックス・シンクロニシティー
◼️ SW最終作はしっかりと「オリジナル」に立脚した作品になっていた!
SWシリーズ「フォースの覚醒」「最後のジェダイ」はSWだか何だか分からない作品になっていたと感じていた。「ニューホープ」「帝国の逆襲」「ジェダイの帰還」オリジナル3部作と全く関係のない作品になってしまった。僕らの愛したSWはどこへ行ってしまったのか。全く隔絶された別の映画になってやって来た。そんな風に感じていたものだった。
それで、レイにもカイロ・レンにも感情移入ができず、SWのシリーズ自体への関心さえ薄れてしまったのだ。(この詳細はレビュー3で)
しかし、最終三部作の最終作、スターウォーズ神話のオーラス作品「スカイウォーカーの夜明け」によって、全てが覆された!
「スカイウォーカーの夜明け」はSWシリーズ最初の3部作の完結編である「ジェダイの帰還」と相似形を成す、正統なるSWシリーズの完結編として編み出されていたのだ!!
◼️ スカイウォーカーのクライマックスは、ジェダイの再現!
かつて、「ジェダイ」で、スカイウォーカー親子が皇帝に対峙して、それに打ち勝ったクライマックスはこんなシーン構成だった。
若き日のルークが皇帝を倒すために、単身デススターに乗り込み玉座の前で皇帝と対峙する。窓の外には惑星エンドアに突入しようとする友軍機の様子が見えている。友軍は強力なバリアに阻まれてエンドアに突入できず、次々とスターデストロイヤーに撃ち落とされる。反乱軍の絶望的な状況を見せながら、「お前もダークサイドに落ちるのだ」と、皇帝がルークを惑わす。
一方、「スカイウォーカー」のクライマックスはこうだ。
皇帝を倒すため、単身シスの本拠地に飛び込んだレイ。玉座の前でレイと皇帝が対峙する。レイの上空では友軍がスターデストロイヤーと交戦中だが、圧倒的な戦力差に友軍はどんどんと撃ち落とされてゆく。皇帝はレイに、「友軍を助けたいならお前がダークサイドに仲間入りし玉座を継げ。それしか助ける方法はない」と、レイを惑わす。まさに「ジェダイ」の再現だ。
また、「ジェダイ」では皇帝とルークの他に、皇帝が手塩にかけた暗黒卿であるダース・ベイダーも立ち会っている。皇帝とルークの内的な戦いが繰り広げられるが、戦闘シーンの演出としてはライトセーバーがポイントになっている。
「スカイウォーカー」でも、玉座の前では皇帝とレイの他に、皇帝が暗黒卿として育てて来たカイロ・レンが現れる。そして、皇帝とレイの決戦の際にもライトセーバーが戦いのポイントになっている。
力の入るクライマックスだが、多くの古きSWファンが、このシーンにジェダイを重ねながら観ていたのだと思う。興奮は倍増だった!
皇帝は結局倒される。「ジェダイ」ではジェダイ・ナイトのルーク・スカイウォーカーと良心を取り戻した元の暗黒卿アナキン・スカイウォーカーの協力によって。「スカイウォーカー」では、ルーク・スカイウォーカーの弟子であるレイと、良心を取り戻した元の暗黒卿カイロ・レンの協力によって。
◼️ いずれのファルコンのコックピットにも・・・
「ジェダイ」と「スカイウォーカー」のシンクロニシティーはそれだけではない。ルークの窓外、レンの頭上で戦う反乱軍の中には、いずれもミレニアム・ファルコン号が飛んでいるのだが、その操縦席には時を超えてランド・カルリジアンが座っているのだ! この点でも「ジェダイ」を重ねながら観ていた古きSWファンは少なくないだろう。あまりに感慨深くて、思わず腹の奥の方から暑い息が漏れて来てしまったものだ。
JJエイブラムスは、SWファンとしての本懐を遂げてくれた! そんな嬉しい思いでいっぱいだ。
【レビュー2】 ファミリーネーム「スカイウォーカー」を選ぶということ
スターウォーズは問うのだ。スカイウォーカーは何処にいるのか、と。
「スカイウォーカーの夜明け」で、シスとの戦いの後、レイはあの懐かしいタトゥーウィンに居た。レイはかつてルークの住んでいた家のそばに2本のライトセーバーを埋める。もう武力で平和を守る時代は終わることを象徴するシーンだ。それは、レイの居る銀河だけの話ではない。
もちろん、シスの宗主が滅んだからといって銀河の隅々までが途端に平和で安逸になるわけではない。これから、彼らには新世界創建の別の戦いが待っているだろう。
ライトセーバーを埋めたレイに、通りがかりの老婆が名を訪ねる。レイと答えると、ファミリーネームを問われる。
血は水よりも濃いという。血の繋がりは他人との深い関係よりも強いものであるという意味だ。
スカイウォーカーはジェダイであることを運命付けられた血族である。では、同じようにパルパティーンの血は暗黒のシスを運命付けられた血なのだろうか。
そうではない。そうではないのだ。
劇中では「血よりも強いものがある」と語られる。
世界は過去から連綿と続く暗黒のコントロールの時を超えた。過去の呪縛を脱する時が来たことを宣言をするために「スカイウォーカーの夜明け」が作られたのだ。過去や血統、つまりは環境に隷属する時代ではなく、己の意思と行動によって己を創造する時代が来たのだ。
レイの銀河で、レイはスカイウォーカーを選択して、未来を創造し始めた。「それで、そちらの世界のお前はどうするのだ?」フォースはそう問いかけているのだ。スターウォーズを通して。
『スカイウォーカーの夜明け』とは、銀河の彼方のスカイウォーカーの人生の話ではない。私が夜明けに向かうかどうかの選択の話なのだ。
スカイウォーカーはいるか?
スターウォースは問いかけるのだ。
【レビュー3】 令和・スカイウォーカー
◼️ エンタメを超え神話になったスターウォーズ
壮大な銀河ドラマから大河ドラマへと変容し神話になったSWは、この時代において大きな影響力を持つと見るべきだ。なぜなら、世界中で多くの若者がSWを何度も観て心に刻み、ジェダイの教えから多くの教訓を学び、自分の価値観に反映させるからだ。
逆に、世界中から多くの人の強烈な思念が寄せられながら完成した作品である「スカイウォーカーの夜明け(本作)」は、製作者の意図を超えた様々な要素が織り込まれる作品になったと考えられる、と書くとファンタジック過ぎるだろうか。
SWは、一つの娯楽映画の枠を超えて、今の時代を象徴し宣言する作品に昇華している様に思えてならない。
◼️ SWの背後に今の時代が重なって見える
神話はメタファー(比喩)に富んでいる。SWと今私たちが生きる世界を重ねてみた。
銀河を長い間カゲで支配してきた暗黒皇帝は、ルークとダース・ベイダーによって30年前に既に倒されていたはずだった。しかし皇帝はおぞましい姿で生き続けており、今だに暗黒面から銀河を支配している事が本作で判明する。年を経た蛇は健在だったのだ。さらに、暗黒面の根源とも言えるシスの本拠地も遂に明らかになった。
一方、私たちは希望の21世紀を迎えたはずだったが、2001年を超えてからというものむしろ、より衝撃的な未曾有の事件が勃発している。日本では未来が無い社会でハイティーンの死因の1位が自殺である。しかしまたその一方で、私たちの周りでは闇に隠れていたものがどんどん明らかにされていると感じる。インターネットを媒介する情報はテレビ等の旧来メディアの様にはコントロールし切れない。人の世を裏から支配してきたダークサイドの情報もどんどん溢れ出る。一部の利権者・為政者によって歪曲されてきた歴史までが真の姿を表す時代になったのが今だ。
我々のリアルな社会におけるダークサイドの本拠地が明らかになるのも時間の問題の様に感じる。
◼️ ダークサイドは哀れに、自滅する
劇中で、暗黒皇帝が生命維持装置に繋がれて出てきた時、皆さんはどう感じただろうか。私が感じたのは「哀れみ」だった。「ああ、あんたまだ居たんだ」と。もののあわれ。
強大な敵が放つ恐怖のオーラみたいなものはもう無い。厄介な老人の登場という感じだった。
その厄介な老人は、今回、完全に木っ端微塵になった。
その厄介な老人、暗黒皇帝に最後のトドメを刺したのは、その皇帝の孫レイだった。カイロ・レンもそのトドメに参戦したが、彼もまた皇帝の育てていた新たな暗黒卿である。ダークサイドの宗主は、いずれも自分の身内によって倒されたのだから、ダークサイド側の自滅とも言える。これがとても暗示的だと感じた。
ダークサイドはダークサイド故に自ら滅んで行く。それがSW神話で語られたメタファーであると読み取った。
かつて、日本では「フォース」を「理力」と訳していた。銀河にフォースの安定がもたらされるということは、理法が通り、道理が引っ込まなくなる世の中になるということだと考えるとわかりやすい。
武器を埋め、和をもたらすレイ
戦いが終わって、レンは自らの手元に来ていた2本の剣、ライトセーバーを地に埋める。
ライトセーバーとは「善の守護者」の意味だが、善の防衛の為の武力すらもう必要ない時代が到来したことを示すシーンと受け止めた。核の抑止による見せかけの平和などではなく、より根源的な平和。
SWは令和の始めの年に言霊の国日本にやってきて、「レイが和をもたらす」というクライマックスを持って物語を終えた。
そして、レイはスカイウォーカーになった。
https://note.com/miniminicar/m/m4cf2efa8ea2d